2-2
「『まちよつはなかむま』だけど、『太陽はなかった』なのかな」
実験がひと段落ついた頃、林檎の部屋で人工的な青空が映し出された天井を見上げながら、梅が呟いた。先ほどから指をひょいひょいと動かしていたのは、それを考えていたのか。
「太陽はなかった……?」
携帯端末で『太陽はなかった』と入力してみると、『まちよつはなかむま』と入力するときの指の動きとよく似ていることが分かった。
「だとしても、何を伝えたかったのか分からないんだけどね」
「太陽はなかった」
林檎は何度かその言葉を復唱してみたが、その意味は掴めなかった。
「あとさ、ずっと気になってたんだけど。リンちゃん、ちょっとその隅の方に行ってみてくれない?」
梅が扉の近くを指差す。言われた通り彼女の示した場所に立つと、梅は「やっぱり吸収されないね」と頷いて手招きした。林檎は梅の隣に腰を下ろす。
「君さ、誰?」
梅が身を乗り出し、たった今林檎が立った誰もいないところに向けて尋ねた。
「残影がいるの?」
「そう、リンちゃんに吸収されない残影が一人だけいるんだよね。なんとなく、他の残影やリンちゃんよりも背が高い気がする。この子、ずっといるの」
「それって……」
林檎は扉の近くを見やりながら、その意味を少し考えた後、驚いて身体を起こした。
「私の他にも、瞬間移動を使える人がいるってこと?」
「そうなのかも」
前に考えていた通り、隕石が原因でこの能力が身についたのだとしたら、同じような境遇の人が他にいてもおかしくない。
早速、『はい』と『いいえ』と『分からない』で回答する方法をその残影に伝え、その正体についてあれこれと質問を始めた。
二人が予想した通り、その残影は林檎とは別の人間の残影だった。しばらくやりとりを続けて分かったことは、その残影が男性であること、二人より五歳くらい年上であること、そして瞬間移動の能力についての自覚が曖昧だということだ。『瞬間移動の能力を持っているか』という質問に対して、その残影は『はい』と『わからない』の中間の地点に立った。もしかしたら、その人が初めて瞬間移動を行った時に発生した残影なのかもしれない。その場合、残影の目線からすれば、自分の身に何が起こったのかは分かりにくいだろう。
また、彼には梅以外の人間が見えないらしい。林檎のことも見えていないようだ。以前の林檎の残影からの回答と合わせると、残影から見えるのは、本体である自分自身と、梅のように残影が見える人間だけ、ということになるらしい。
彼は本体に吸収されることを望んでいるらしいのだが、どういうわけか、彼自身の身の上のことを尋ねると『分からない』という回答が多くなる。住んでいる区画を絞り込むための質問については、全て『いいえ』の回答だった。
「覚えていないとか?」
相手は人間ではないため、どんな可能性だって考えるべきだろう。しかし残影は『いいえ』の方に立った。
「分からないんじゃなくて、答えられないのかな。なんらかの理由で情報を与えられていないか、他者に伝えるのを禁じられているか……」
「うーん」
「そういえば、いつまでもここに残っているということは、本体の居場所が分からないか、分かっていてもそこまで行けないってことだよね」
「確かに」
二人は他に良い質問が思い浮かばず、互いに黙って考え込んでしまった。
「せめて名前を聞いてみよう」
質問するのにくたびれた梅に代わり、林檎が質問することにした。
「えーと、じゃあ、名前の読みは三文字以下ですか?」
しかし、林檎の質問は残影に伝わらなかったようだ。この残影は林檎の残影ではないため、林檎のことが見えないだけではなく、声も聞こえないらしい。仕方がないので、再び梅が質問する。
「名前の読みは三文字以下ですか? ……はい」
「三文字ですか? ……はい」
「初めの文字は『あ行』ですか? ……いいえ」
「『か行』ですか? ……いいえ」
この要領で名前の確認を行い、彼の名前が『ユキト』であることが分かった。
「ユキトさんね」
「ユッキーって呼ぼう」
梅が勝手にあだ名をつける。
「でも『ユキト』ってあまり聞かない名前だよね」
深園では、国民の名前が規則的につけられる。林檎の名前は『十二の林檎』、梅の名前は『十二の梅』、木蓮の名前は『九の木蓮』だ。名前の前半は住んでいる区画に基づき、後半は国に与えられた名称だ。『ユキト』という名前を、二人は初めて聞いた。
すぐに国のシステムにアクセスして検索をかけてみたが、『ユキト』という読みをする人間は見つからなかった。林檎は不安な顔で梅を見たが、彼女の目は既に好奇心で輝き始めていた。
手がかりが見つからないため、ユキトと名乗るその残影が本体の元へ帰れるのは、まだ先になりそうだった。
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