第二章 まちよつはなかむま

2-1

「あなたは幽霊ですか?」


 林檎は、梅の顔と彼女の視線の先とを交互に見る。梅は視線をすっと左に向け、「いいえ、だってさ」と告げた。


 梅が言うには、その幽霊のような存在、そしてたった今自分は幽霊ではないと自称したものは、人型の白いもやのような見た目らしい。


 そのもやは、林檎が瞬間移動した際に、移動する前の場所に発生するという。つまり、瞬間移動するまさにその瞬間、梅には、林檎本人がその白いもやに置き換わったように見えるのだ。梅はそれを『残影』と名付けた。


 その話は、林檎を大いに怖がらせた。瞬間移動するたびに、何か大切なものが体から抜け落ちているかのように思われた。しかも、それが意識のようなものを持ち、うろうろとその辺を歩き回っているというのだ。


 梅の話によると、残影が林檎と接触すると、吸収されるような形で消えるらしい。「だから大丈夫!」と、梅は無責任に言い切った。


 瞬間移動はあれから何度か試しているため、残影はいくつもいるようだ。たいてい林檎の傍へ来るとすぐに吸収されるらしいのだが、今回は発生したばかりの一体に、その場に留まるようお願いして質問をしている。林檎にしてみれば、そもそも言葉が通じること自体が驚きだった。


 二人は残影に対して、『はい』もしくは『いいえ』で答えられる質問をする。『はい』の場合は壁に向かって右端、『いいえ』の場合は左端、分からない場合は真ん中へ移動するよう指示をした。


「あなたはリンちゃんですか?」


 林檎は梅の質問に戸惑いを覚えながらも、その様子を見守る。梅の視線は右に向いた。


「はい、だってさ」と梅は少し興奮した声で告げた。


 鳥肌が立った。冗談じゃない。林檎は私だ。


「じゃあ、今朝、トイレで何をしましたか」


 林檎は挑戦的に質問を投げる。


「選択肢を出さないと」

「そうだった。じゃあ、トイレットペーパーを補充したなら右、掃除したなら真ん中、読み終えた小説を交換したなら左」


「右だってさ。トイレットペーパー」


 残影の回答は正しかったが、林檎は重ねて、自分にしか答えられないような質問をいくつかした。その結果、残影が自分に関する情報、言い方を変えるなら自分と同じ記憶を持っているということが分かった。この残影は、自分のことを私自身だと言いたいのだろうか。


 梅はさらにいくつかの質問をして、その返答を林檎に教えてくれた。


「あなたは、自分を人間だと思いますか? ……いいえ、だってさ」


「あなたは、さっきまでリンちゃん本人でしたか? ……はい、だってさ」


「あなたは言わば、リンちゃんの複製のような存在ですか? ……はい」


「つまり、あなたは瞬間移動をきっかけにリンちゃんから複製された存在で、リンちゃん本人と同じ記憶を持つという認識で合ってる? ……はい」


 二人は顔を見合わせる。幽霊という梅のはじめの見立てとは、随分かけ離れた話になってきた。


「あなたには、自分自身のことは白いもやに見えていますか? ……いいえ」


「普段通りに見えているということ? ……はい」


「ちなみに、私たちのことは普段通りに見えていますか? ……はい。あ、ちょっと待って」


 梅が質問を止めた。


「別の残影が、私の前に来てる。今の質問に関して、何か言いたいことがあるのかも。ちょっと深掘りしてみよう。私たち二人の姿について、伝えたいことがありますか? ……いいえ。でも、また私の前に来た」


「うーん、じゃあ、私たち以外の人の姿について、伝えたいことがありますか?」

 林檎が質問する。


「はい、だってさ!」


 さらにいくつかの質問を経て、この残影には、梅と林檎の姿しか見えていないということが分かった。残影から見ると、この国には林檎と梅しかいないということになるようだ。


「それは、寂しそうだね」と梅が呟き、「はい、だってさ」と付け加える。


 瞬間移動の発生条件が判明してから、二人は人に見つからないよう慎重に準備を重ね、いくつもの実験を行った。その結果、移動後の主観の景色を思い描くことで移動するという発生条件の他にも、いくつかのルールを見つけた。


 まずは、少なくともこの国の中であれば、距離を問わず移動できるということだ。可能な限り遠距離への瞬間移動を試したが、問題なく移動できた。


 次に、林檎が思い描いた光景と実際の光景が、厳密に同じではなくても移動できるということだ。梅ひとりで梅の部屋の模様替えを行った上で、彼女の部屋への瞬間移動を試みたところ、林檎の思い描いた光景とは異なっていたものの、無事に移動できた。


 三つ目に、林檎が行ったことのない場所へも移動できるということだ。映画の一場面を見ながら瞬間移動を試みたところ、その場所を知らなくても実際に撮影場所に移動できた。これは大きな発見だ。写真や映像を使わず、梅が移動後の光景を言葉で詳しく説明するという手法も試してみたが、それでは移動できなかった。移動後の主観の光景をリアルに思い描くことが必須の条件のようだ。木蓮とは相変わらず連絡が取れないが、病院の内部の写真をいくつか手に入れられば、人に見つかる危険を冒さないように会いに行くことができるかもしれない。


 瞬間移動の際に梅も一緒に移動できないかと思ったのだが、どうやらそこまで親切な能力ではないようだ。梅は非常に残念がった。

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