1-6

「気を取り直して」

 梅は聞こえていなかったかのように、もう一度指を立てた。


「次は方法について考えてみよう。これまでの二回のことをよく思い出して。条件があるのかもしれない」


 どんどん話を進めてくれる梅の柔軟さを、林檎は頼もしく思う。梅は元々の性格からか、すんなりこの状況を受け入れているように見える。もじもじしていた自分が逆に恥ずかしくなってきた。


 林檎はまず、一度目の瞬間移動のことを思い出そうとした。昨日隕石が落ちた後に、梅と二人で十二区画の広場へ行き、そこで隕石のことを知った。それから木蓮の安否を確かめるため、十二区画のレールキャブの駅へと向かった。その途中で九区画へ瞬間移動したはずだ。あの時、私と梅はすぐ傍で一緒に走っていた。隕石のニュースのせいで辺りはざわざわしていて、私たちも気が急いていた。何より、頭の中は木蓮のことでいっぱいだった。少しでも早く木蓮の顔を見たいと思っていたはずだ。


 そういえば、さっきの病院での時も、木蓮に会いたいと願っていた。これは共通点かもしれない。


「もしかして、木蓮が関係してるのかな?」


 林檎は瞼を閉じて木蓮の顔を思い浮かべ、彼女に会いたいと強く願ってみた。しかし目を開けてみても、特に変化はない。思い返してみると、さっきの病院での時は、木蓮のことよりも林檎ジュースのことを考えていた時に移動した気もする。


「さっきの病院での瞬間移動を、はじめから頭の中でなぞらえてみたら」


 林檎は梅の提案通り、先ほどの出来事を頭の中ではじめから順に辿ってみる。まず、私たちは病院の前の通りにいた。それから、窓のブラインドの隙間から病院の中を覗いた。そこには自動販売機と背もたれのないソファがあった。自動販売機を見ていると林檎ジュースが目に入って、私は喉が渇いていることを思い出し、それを飲みたいと思った。その後に瞬間移動したはずだ。特に変わったことはしていないと思う。他に、思い出していないことがあるだろうか。


 林檎ジュースのことを思い出したら、また喉が渇いてきた。そうだ、私はあの時ジュースを飲む様子を詳しく想像したような気がする。林檎は先ほどと同じように、自動販売機の前に立ってジュースを買い、それを飲む光景を頭に思い描いた。


 その時、再び瞬間移動が発生した。


 心臓の音が耳元で響く。辺りは薄暗いが、間違いなく先ほど瞬間移動した病院の中だ。しかも、あの自動販売機の前。周りに人がいなくて良かった。


 そうか、これで条件が分かった!


 林檎はすぐに、自分の部屋への瞬間移動を試みた。条件はもう分かっているので、想定通りに瞬間移動は成功した。バランスを崩して、お尻からソファにどしんと座り込む。


 林檎の部屋の入口のところで廊下を見回していた梅は、こちらを振り返ると「びっくりした!」と叫んだ。


「条件が分かったよ。移動した後の、主観で見える景色を思い描くと、移動できるみたい。待って、もう一度やって見せるね」


 林檎は目を閉じると、廊下の外から自分の部屋の扉を眺めている光景を頭の中で思い描き、そこへ移動したいと願った。すると、林檎はちょうど梅の背後に瞬間移動した。


「すごい! すごい!」


 梅は大興奮で両手を上げ、少女のように飛び跳ねた。林檎がなんとか彼女を落ち着かせ、やっと飛び跳ねるのを止めさせると、梅はすぐに提案した。


「この力を使って、レンレンに会いに行こうよ。レンレンが何を伝えたくてあのメッセージを送ってきたのか気になるし、この力があればコンピュータを欺けるかもしれない」


 梅の希望に満ちた眼差しを、林檎は真正面から受け止めた。目を逸らし損ねたと言ってもいい。


「これって冒険じゃない?」


 梅は、幼稚で魅力的な言葉を無邪気に使う。林檎は、肩を大きく揺さぶられた気がした。


 林檎は、このまま生きていても仕方がないと思っていたのだ。これまでに何千人も通ってきた平坦な道を、自分もそのまま辿ることになるはずだと思っていた。冒険という言葉なんて、自分の人生には登場しないと思っていた。無為に過ごす毎日の中で、差し向けるところのない鬱屈した気持ちが爆発したり、生きることへの希望が見つからないまま病気になったりする人の気持ちがよく分かるのだ。


 林檎は、信じられないような気持ちで梅の顔を見つめ返す。


 私はもしかして、轍のない道を進んでいけるのだろうか。この力を使って、コンピュータにも、木蓮にも、誰にも予想できなかったことができるのかもしれない。私の人生は、その時にやっと始まるのだ。たとえ安全や平穏を失っても、この陳腐な人生に発生したイレギュラーは、間違いなく自分のものだ。


 林檎は、ひとすじの光を見た気がした。


「あのさ」


 周りが見えなくなりかけていた林檎だが、やっと梅が何か言いたそうにしていることに気がついた。


「あまりにも、瞬間移動の方がすごすぎて、言い出しづらかったんだけど」


「なに?」


 梅は言い出しにくそうに俯いている。


「幽霊が見えるの」


 その言葉は林檎の思考を鈍らせた。


 木蓮の「死にたい」と同じように、梅の「幽霊が見える」も、口癖のようなものだ。梅のこういう話には、これまで肯定も否定もしないという態度を取ってきた。ただ、話を聞く分には面白いので、本当にそうだったらという仮定で話に付き合ってきたのだ。


 林檎はなんと言えばいいのか迷い、口をつぐんだ。梅は明らかに緊張した表情をしている。いつもの冗談半分の態度ではなく、彼女は本気で信じてほしいと思っているのだ。しかし、瞬間移動が現実に起こったことで、彼女の思い込みが強まったという可能性が林檎の頭をよぎる。


「本当なの。しかも昨日から」

「昨日から?」


 梅の頬に少しずつ赤みが刺している。信じてもらえないと思っているのかもしれない。林檎の中に小さな罪悪感が生まれると同時に、迷いは消えた。


「信じてくれる?」


 瞬間移動が現実に起こったのだ。幽霊がいたっておかしくない。林檎は頷いた。


「信じる」


「さっきから、そこにいるんだけど」


 梅がちょうど林檎の隣を指差したので、林檎は慌てて飛び退いた。

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