1-3

 太陽光を浴びる危険を避けるため、二人は先ほど掲示板で見た崩壊した地域を大きく迂回して走ることにした。レールキャブで九区画へ向かうのが早いと判断し、急いで駅へ向かう。しかし、緊急事態の今、果たして無事に動いているだろうか。


 林檎は、隕石が落ちた時に木蓮との通話を切ってしまったことを悔やんでいた。彼女は無事なのだろうか。今すぐにでも彼女の安否を知りたい。もし崩落に巻き込まれていなかったとしても、太陽光を浴びてしまったら無事では済まない。万が一、生き埋めになっていたらどうしよう。あのまま通話を繋いでいれば、救助する余地があったかもしれない。悪い想像が膨れ上がり、林檎は嫌な汗をかく。一刻でも早く、木蓮の顔を見たい。彼女の無事を確かめるため、必死で腕を振る。


 九区画の広場の様子を思い描きながら、林檎は心を決める。そこで、何事もなかったかのように木蓮と再会するのだ。


 次の瞬間、天地が逆さになった。


「痛い!」

 悲鳴が聞こえる。


 頭を打ち、腕を捻り、林檎は痛みに呻いた。靴底が、ぐにっとした何かを踏む。


「ちょっと!」

 林檎の下敷きになっている女性が、怒りの声をあげる。慌ててその女性の上から退き、咄嗟に「ごめんなさい」と謝ると、何が起こったのかと辺りを見回す。


 林檎は口をぽかりと開けた。壁にでかでかと『九区画』の文字がある。


 ここは九区画の広場だ。


 ほんのさっきまで、十二区画の廊下を梅と一緒に走りながら、レールキャブの駅へ向かっていたはずだ。しかし今は、どういうわけか、九区画の広場へ到着してしまった。さっきの場所からここへ来るには、レールキャブに乗ったとしても五分はかかるはずだ。何が起こったのだろう。


 林檎は混乱したまま、周囲を観察する。十二区画の広場と同様に賑わっているが、何度見ても、壁には『九区画』と書いてある。ここは九区画の広場で間違いないようだ。足元で、女性がこちらを睨みつけている。


「今……今、何が起こったか分かりますか?」


 林檎の問いかけに、女性は顔をしかめた。


「あんたが私の上に突っ込んできたんでしょうが」


 要領を得ないまま、林檎は改めて丁寧に謝ると、その途端、大事なことを思い出した。


「木蓮、見てませんか」


「どの木蓮よ」


「九区画の木蓮です」


 木蓮という名の人物は、この国に何人もいる。ただし、この区画の木蓮は一人のはずだ。


「私は知らないわね」


「そうですか」


 それから五分くらいして、梅が到着した。林檎がちょうど、木蓮の知り合いを見つけたところだった。


「リンちゃん? いったいどういうこと?」


 梅は目をまん丸にしたまま、問いただすような素振りを見せたが、「この人が木蓮のこと知ってるって」と木蓮の知り合いを紹介すると、言葉を飲み込んで話を聞く姿勢になった。


 林檎が見つけた木蓮の知り合いは、彼女のはす向かいの部屋で暮らしている男の子だった。

 彼は言いづらそうに話を始める。


「木蓮さん、太陽光を浴びたみたいだった」


 どきりとする。


「目も見えないみたいで」


 顔色を変えた林檎と梅を安心させるように、彼は「話はできるみたいだったから、命に別状はないと思うけど」と言った。


「太陽を見たってこと?」と梅が訊く。


「たぶんそうだと思う」


 木蓮は生きていた。でも。


 目が見えなくなるというのは、どれほどの、どういう苦しみだろうか。盲目の人物が登場する小説や映画を思い浮かべる。想像だけでは、きっとその苦しみの一面しか理解できないだろう。目が見えないだけではない。皮膚が焼けたのもきっと痛かっただろう。しかも、太陽を見たということは顔に太陽光を浴びたということだ。痕も残るかもしれない。


「今、どこにいます?」

 林檎が食い気味に尋ねる。


「病院だと思う。顔がすごく痛そうだったし。国の人に連れて行かれたのを見たよ」


 二人は思わず苦い顔をする。国の人間は厄介で、話の通じないタイプの人が多いように感じる。それに、国の施設である病院へ連れて行かれると、なかなか出られないばかりか、面会するのも難しいと聞いたことがある。


 彼にお礼を言うと、二人は広場の隅に腰を下ろした。林檎は携帯端末を確認したが、木蓮からの連絡はまだなかった。


「さっきの、リンちゃんのところに来てたメッセージは、目が見えない状態で打ったってことかもね」


 梅の言葉を受け、林檎はさっきのメッセージを表示する。


『まちよつはなかむま』


 これが届いたのは、隕石が落ちた後、私と梅が十二区画の広場に着いた頃だ。木蓮は、太陽光により負傷して、視力を奪われて間もない時に、私に何かを伝えようとした。痛みに耐えながら、目が見えないながらも携帯端末を操作してこのメッセージを送ったのだ。このメッセージは、よほど伝えたかったことか、早急に伝える必要があったことに違いない。


 林檎は携帯端末で別の画面を開き、同じ文言を打ってみる。これと似た操作で打ち込める文言には、何があるだろう。


 林檎が画面と睨めっこをしていると、梅が待ちきれない様子でこちらを見た。


「あのさ、さっき……」


 梅は口を開いたものの、その後どう言葉を繋げればいいのか分からないようで、困った顔をした。


「さっきの、何」


「さっきのって、九区画へ向かっていた時の話だよね」


「ウン」


 梅が言っているのは、私が九区画の広場で見知らぬ女性に衝突した時の話だろう。自分でもさっぱり分からないのだが、十二区画を駅に向かって走っていたつもりが、いつの間にか九区画の広場にいたのだ。


 林檎は、もしかしたら短期的な記憶障害か何かではないかと考えていた。十二区画から九区画へ移動する過程の記憶が抜け落ち、女性にぶつかる直前からのことしか覚えていない状態なのだ。それなら一応の説明はつく気がした。不可解な出来事なので、他に考えられる理屈が思いつかない。こんな経験は初めてのことだ。


「私もよく分からないんだけど……」


 梅から見て、自分はどんな様子だったのか尋ねようとすると、「少し前を走ってたリンちゃんが、急に消えたように見えたんだけど」と梅が言った。


「え?」

 林檎は困惑する。


「しかも、九区画に着いたら先にいるし。どういうこと?」


 確かに、林檎が九区画へ着いてから、梅が到着するまでに時間がかかった。林檎だけが先に九区画へ到着したような形だ。移動時の記憶が抜け落ちたのではなく、一瞬で十二区画から九区画へ移動したと考えるべきだろうか。しかしそんなことは不可能だ。


 林檎が自分の経験したことをそのまま説明すると、梅は目をギラギラさせて「瞬間移動ってこと?」と言った。梅は非現実的なことが大好物なのだ。


 その言葉の幼稚な響きに、林檎はなんとなく恥ずかしさを感じながら「分からない」と答えた。


「でも、そうなら面白いと思う」


 梅は天井を仰ぐ。

「隕石は落ちるし、リンちゃんは瞬間移動するし、一体何が起こっているの」


 林檎は心の中で「木蓮は目が見えなくなるし」と鉛のような重い言葉を付け加える。梅も同じことに思い至ったのか、笑みを消して目を伏せた。

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