第6話

 レイムの町で過ごして、二週間が経った。


 俺とノワールは、すっかり町に馴染んでいた。依頼を順調にこなし、評判も上々だ。


「ルークさん、今日もよろしくね!」


 宿の女将が、朝食を運びながら声をかけてきた。


「ああ、いつもありがとうございます」


「あんたたちが来てから、運搬依頼がすぐに片付くようになったって、みんな喜んでるよ」


「そう言っていただけると、ありがたいです」


 俺は朝食を食べながら、今日の予定を考えていた。


 依頼は順調だが、そろそろ次の町に移動してもいいかもしれない。一つの場所に長くいると、ノワールのことが噂になるリスクがある。


「ルーク」


 向かいに座るノワールが、小声で言った。


「……あの男、こちらを見ている」


「ん?」


 視線を向けると、酒場の隅に座っている中年の男がいた。旅商人風の格好だ。


「知り合いか?」


「いや、知らない。だが——何か、聞きたそうにしている」


 確かに、男はこちらをちらちら見ている。何か用があるようだ。


 俺は席を立ち、男の方に歩み寄った。


「何か用ですか?」


「ああ、すまない。あんた、冒険者だろう?」


「ええ、一応」


「実は——ちょっと聞きたいことがあってね」


 男は周囲を見回し、声を潜めた。


「最近、この辺りで『変な噂』を聞かなかったかい?」


「変な噂?」


「ああ。ミレーヌむらって知ってるかい? ここから東に半日ほど行った場所にある小さな村だ」


「いえ、知りませんが……」


「その村の近くに、古い神殿があるんだ。もう何百年も放棄されてる場所なんだが——最近、そこから『音』がするって話を聞いてね」


「音?」


「剣戟の音だそうだ。まるで誰かが戦っているような——」


 男は首を傾げた。


「だが、その神殿には誰もいないはずなんだ。村人も気味悪がって、近づかなくなってる」


「……なるほど」


 俺は考えた。


 放棄された神殿から、剣戟の音。

 普通に考えれば、盗賊の隠れ家か、魔物の巣窟か——だが、何か引っかかる。


「その神殿について、もう少し詳しく教えてもらえますか?」


「ああ、いいとも。実は俺も気になっててね——」


 男は、神殿について知っていることを話してくれた。


 ◇


 旅商人との話を終え、俺はノワールと宿の部屋に戻った。


「……聖剣の神殿、か」


 男の話によると、その神殿は昔、「聖剣」を祀っていた場所らしい。

 

 聖剣——勇者が魔王を討伐するために使う、神が創りし武器。この世に数本しか存在しないと言われる伝説の剣だ。


「だが、その聖剣は何百年も前に『失われた』とされている」


 ノワールが言った。


「勇者が現れず、聖剣は誰にも選ばれないまま——神殿ごと忘れ去られた。そういう話は、私も聞いたことがある」


「お前、詳しいな」


「三百年も生きていれば、嫌でも色々な話を耳にする」


 ノワールは肩をすくめた。


「だが——もしその聖剣がまだ神殿にあるなら」


「盗賊や冒険者が狙うだろうな」


「それだけではない」


 ノワールの赤い瞳が、真剣な色を帯びた。


「聖剣には『意思』が宿ると言われている。もし音がしているなら——聖剣が何かを訴えているのかもしれない」


「聖剣が……?」


「あくまで推測だが」


 ノワールは少し考えてから、言った。


「ルーク。その神殿に、行ってみないか」


「え?」


「気になる。何があるのか——確かめたい」


 俺は少し驚いた。

 ノワールは普段、自分から何かを提案することは少ない。彼女がここまで興味を示すのは珍しい。


「……何か、思うところがあるのか?」


「……少しだけ」


 ノワールは窓の外を見つめた。


「私は三百年間、ずっと一人だった。誰にも必要とされず、誰にも選ばれず——居場所がなかった」


「…………」


「もし、その聖剣が——同じように『選ばれなかった』存在なら」


 ノワールの声が、わずかに震えた。


「少しだけ——会ってみたい」


 俺は、彼女の横顔を見つめた。


 三百年の孤独を知る少女。

 同じ孤独を抱えているかもしれない、神殿の聖剣。


 ——行ってみる価値はある、か。


「……わかった」


 俺は頷いた。


「明日、その神殿に行ってみよう」


「……いいのか?」


「ああ。お前が行きたいなら、俺もついていく。それに——」


 俺は笑った。


「聖剣なんて、ロマンがあるじゃないか。冒険者としては、見逃せない」


「…………」


 ノワールが、ほんの少しだけ——口元を緩めた。


「ありがとう、ルーク」


「どういたしまして」


 ◇


 翌朝、俺たちはレイムの町を出発した。


 目的地は、ミレーヌ村の近くにある古い神殿。

 半日ほど歩けば、着くはずだ。


「しかし、聖剣か……」


 歩きながら、俺は呟いた。


「本当にあるのかね」


「わからない。だが——何かがあることは、確かだろう」


 ノワールが答えた。


「剣戟の音がする以上、ただの廃墟ではない」


「だな。盗賊か、魔物か——あるいは、本当に聖剣か」


「どちらにせよ、注意は必要だ」


「ああ、わかってる」


 俺たちは、街道を東に向かって歩いていった。


 やがて、道の先に小さな村が見えてきた。

 ミレーヌ村だ。


「あそこで、神殿の場所を聞こう」


「ああ」


 俺たちは村に入り、村人に道を尋ねた。


 神殿は、村の北の森の奥にあるらしい。村人たちは皆、神殿の話になると顔をしかめた。


「あそこには近づかない方がいいよ、旅の人」


 老婆が忠告してきた。


「最近、変な音がするんだ。まるで誰かが——剣を振っているような」


「……ありがとうございます。気をつけます」


 俺たちは村を出て、森の中に入った。


 木々が生い茂り、日差しが遮られる。薄暗い森の中を、俺たちは進んでいった。


「……見えたぞ」


 ノワールが指さした。


 森の奥に、古びた石造りの建物があった。

 苔むした壁、崩れかけた柱。明らかに何百年も放置されている。


 ——これが、聖剣の神殿か。


「行くぞ、ノワール」


「ああ」


 俺たちは、神殿の入り口に足を踏み入れた。


 その奥に、何が待っているのか——まだ、知る由もなかった。


 ◇


 神殿の内部は、薄暗かった。


 崩れた瓦礫の間を縫って進む。足元には苔が生え、天井からは蜘蛛の巣が垂れ下がっている。


「……静かだな」


 俺は小声で言った。


 村人が聞いたという剣戟の音は、今は聞こえない。だが——何かがいる気配は、確かにある。


「ルーク」


 ノワールが俺の袖を引いた。


「奥に——何かいる」


「わかってる」


 俺は【無限収納インフィニティ・ストレージ】から短剣を取り出し、構えた。


 神殿の奥へ、一歩ずつ進む。


 やがて——広い空間に出た。


 そこは、神殿の最奥部だった。

 高い天井。石造りの壁。そして中央には——


「あれは……」


 俺は目を見開いた。


 台座の上に、一振りの剣が突き立てられていた。

 白銀に輝く刀身。神々しいオーラを放つ、紛れもない——


「聖剣……」


 ノワールが呟いた。


「本当に、あったのだな」


「ああ……」


 俺は、その剣に見入っていた。


 美しい。

 それが、最初に思った感想だった。


 だが——同時に、どこか寂しげにも見えた。

 長い年月、誰にも触れられず、ここに放置されてきた剣。


 その孤独が——伝わってくるようだった。


「——誰だ」


 声がした。


 俺とノワールは、同時に身構えた。


 声の主は——聖剣の隣に立っていた。


 白銀の長髪。青い瞳。凛とした美貌の女性。

 いや、女性というより——少女か。年齢は十八歳くらいに見える。


 彼女は、冷たい目で俺たちを見つめていた。


「また、来たのか。私を奪いに来た盗賊か、それとも——」


 彼女の声には、深い疲労と諦めが滲んでいた。


「どちらでもいい。どうせ、お前たちにも私は抜けない」


 俺は、その言葉の意味を理解した。


 彼女は——聖剣そのものだ。

 聖剣に宿る意思が、人の姿を取っているのだ。


「俺たちは盗賊じゃない」


 俺は、彼女に向かって言った。


「ただ——噂を聞いて、見に来ただけだ」


「噂?」


「この神殿から、剣戟の音がするって話だ」


「……ああ、それか」


 彼女は自嘲するように笑った。


「暇だから、素振りをしていただけだ。五百年も一人でいれば、やることがなくなる」


 五百年——。


 俺は、ノワールを見た。

 彼女の赤い瞳に、何かが揺れていた。


 三百年の孤独を知る少女と、五百年の孤独を抱える聖剣。


 二人は——似ている。


「お前、名前は?」


 俺は、聖剣に尋ねた。


 彼女は少し驚いた顔をした後、答えた。


「ブラン。ブラン・セイクリッド——それが、私の名前だ」


 こうして俺たちは、二人目の「規格外」と出会った。

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