後編

 俺は死んだ。

 五月、初夏。梅雨に入る前のまだ空気が青々として気持ちが良い日曜日。そんな清々しい休日の昼間に、一人で死んだ。

 そして俺は、幽霊になった。

 死んだら幽霊になるなんてそんなのゲームの中だけだと思ったが、そんなことないんだなあ。

 ふと気づいたら天井のあたりからベッドに寝転がる自分のことを見下ろしていた。

 幽霊が空を飛べるのはマジらしい。

 ぷかぷか浮かんで自由自在にあちこち行ける。なんて便利なんだ。

 まあ、死んじまったもんは仕方ない。せっかく幽霊になったんだから満喫しなきゃもったいないよな。

 まず俺がしたことは、本当に俺が死んでるのか確かめるためにベッドの上で寝てる自分の体に触ることだった。しかし、触れない。体に戻ることもない。

 幽体離脱という線を一応疑ってみたんだが、違った。

 そして、自分の身体はもちろん、他のものにも何も触れなかった。ベッド、机、バット、壁、何も触れずすり抜ける。

 つまり俺は、どこにでも行けるってことだった。

 それなら行きたい場所はひとつだけだ。

 自分ちの壁をすり抜けて外に出る。

 外に出ると、自分以外の幽霊の姿を見た。道路にもよその家の庭にも色んなところにいる。

 こうして自分も幽霊になってるから怖いとかそんな気持ちにもならないんだな。

 目的の場所はうちのすぐ近く。望の家。

 望の部屋の場所はよく覚えてる。

「おじゃましまーす」

 と、声をかけながら壁をすり抜けて入る。

 勝手知ったる望の部屋。この間来たときと変わらない、いつも通りの部屋。

 そこで、望はベッドに寝転がって漫画を読んでいる。

「おーい、望?」

 俺は望の隣に寝そべって、とはいってもベッドの上に実際に寝られるわけじゃないから体感的には空を飛んでるのと変わりないんだけど、寝そべる体勢になって、その横顔に声をかける。

「のーぞーむ」

 しかし、望からは何の反応もない。

「のぞむー」

 目の前で手を振ってみても、ベッドをすり抜けて望の目の前に顔を突き出してみても、無反応。

 ふむ。

 見えてないのか。

 そうか、望って見えないやつなのか。

 残念だと思ったけど、それでもいいと思った。

 俺の願いは、望と一緒にいることだったから。


 どうやら俺は心不全で死んだらしい。

 うちの母さんに呼び出された望について行って、俺も一緒に話を聞いた。

 母さんも望も、望の母さんも信じられないと言った様子だった。俺だってついさっきまで自分では健康そのものだと思ってたから、驚きだ。

 ……うーん、自分が死んだワケについて心当たりがあるにはあるけど、あまり現実的じゃない。いや、幽霊が言うことではないか。

 実はここ最近クラスの女の子たちの間で恋のおまじないが流行ってる。

 好きな子とずっと一緒にいられるおまじない。

 俺はそれを試して、その途中で馬鹿馬鹿しくなってやめて不貞寝したんだ。

 そしたら死んじゃったってわけ。

 いやまさかな。

 でも現実こうしてそのおまじないは叶ってるわけだし、俺としては満足なわけだが。

 これからは望のおはようからおやすみまで一緒にいられるってわけだ。それだけで死んだだけの甲斐はある。

 それに、俺が死んだ望がこんなにショックを受けるのだと知って嬉しかった。

 うん、嬉しかったんだ。

 血の気が引いた顔色は真っ白で、俺と望とどっちが死んだのかわかんないくらい。

 映画とかゲームとかで悲しい場面ではボロボロ泣くくせに、いざ俺が死んだら泣けないでいる望。

「お前の親友は薄情なやつだな。ごめんな」

 と俺の死体に向かって呟く。

 薄情な奴はそんなこと言わないんだよ。

 ああ、好きだ。

 俺は望から見えてないのをいいことに、望のことを抱きしめた。


 望は優しい奴だった。真面目で、この年になってもまだ自分のことを僕って言ってる。なのに結構口が悪いリアリストで、負けず嫌いのくせに諦め癖がある。

 俺は望とする野球が好きだったけど、望はお前には敵わないとか言ってやめちゃって、すごく寂しかったのを覚えてる。

 あのときに、俺は望が好きだって気がついた。

 ずっと隣にいられるものだと思ってたから、そうじゃないことに気づいてびっくりしたんだよな。

 思い返せばいつだってそばに望がいて、親がいなくて寂しいときも、望がいれば平気だった。

 まあ、気がつく前からずっと好きだったんだろうな。望のことがさ。

 でも、気づいたからと言って、それを望に直接伝える気にはならなかった。

 俺も望も男同士だし、万が一でも望にキモがられたら無理。耐えらんない。

 だから幼馴染の親友でいいと思ってたんだけどな。それって望の一番ってことじゃん。

 でもそれじゃ我慢できなくなった。

 望に好きな人が出来た。

 クラスメイトの朝田さん。目立つタイプじゃないけど、気配りが出来る女の子。

 俺はずっと望のことを見てるから、好きなんだろなってすぐにわかった。

 最初はちゃんと応援してあげようと思ってたんだぜ。これでもさ。

 朝田さんと話してるときに照れくさそうに笑う望の顔が可愛くて、でも悔しくって、やっぱ女の子には敵わないなあって思って。二人のこと、お似合いだと思ったし。望が幸せならそのほうがいいなって。

 本当、本当なんだよ。望に、好きな人が出来たって言われるまでは。


 いつも通り望と学校行って、いつも通り一緒に帰ってたその日。

 望がいつもよりテンション高くってさ、なんとなく理由はわかってたんだけど、それでもつい聞いちゃったんだよね。

「なんか元気だね、いいことあった?」

 って。

 学校で望と朝田さんがなんかやけに楽しそうに話してたのを見た。だから、それが理由じゃなきゃいいなって思ったんだよ。わかってんのにさ。

「あー、うん。そうかな……」

 それから望は少し口ごもって、頬をかき、

「……永太、僕、好きな人できた」

 と言った。

「……へー、そうなんだ! えっ、誰?」

「朝田さん。隣の席の」

「そうなんだ。最近よく話してるもんね」

「え、そうか?」

「うん、そうだよ。自分で気づいてなかった?」

「あ、いや……そんな気はしてた」

 それから、望がぽつぽつと朝田さんの話をするのを、俺はうんうんと頷いて聞いていた。本当は聞きたくなかったけど、聞きたいフリをした。

 こういうときちゃんと聞いてやるのがいい親友だと思った。望から打ち明けてくれたことを嬉しいと思いたかった。なんでも言える相手だと思われたままでいたかった。

 でもすぐに限界が来ちゃって、駄目だった。

 いつも待ち合わせしてる交差点、いつもさよならする場所。そこに差し掛かったとき、ちょうど沈もうとしてる夕焼けが目に染みて、俺は泣きたくなっちゃったんだよね。胸が痛くて苦しくってさ。

 あとは手を振って帰るだけだったのにね。

「じゃあまたな」

 と背を向けようとする望の手を掴んだ。

「どうした?」

「俺、俺さあ、」

 望が首を傾げる。不思議そうな顔をしてる。

「望のこと、」

 好きだよ。

「応援してるね」

「あー……うん、ありがと」

「じゃね」

「ん、じゃあな」

 そう言って照れくさそうに笑う望の手を離す。

 俺はちゃんとあのとき笑えていたのか、自分でもわからない。

 

 んで、その次の日に俺はクラスの女の子たちが話してた恋のおまじないを試してみて、途中で馬鹿馬鹿しくなってやめた。

 望と一緒にいたい。他のやつに取られたくない。

 やり始めたときはそんな気持ちだったんだけど、途中でなんか女々しいし、だせえし、どうせ無理だしと思ってやめたんだよね。

 おまじないなんかに頼る自分に呆れちゃってさ、不貞寝したらこんな有様よ。


 そんなこんなで幽霊になったわけなので、俺は望にくっついているのだが。

 目に見えて落ち込んでいる望の姿に、俺は気分が良かった。望には悪いが、望にとっての俺がこんなにでかい存在だったと自覚できて嬉しくて仕方なかった。

 望はいつも通りだと思ってるのだろうが、全然そんなことはない。

 望はまっすぐ前を見て歩くんだけど、俺が死んだのを知ってからすぐに俯くようになった。

 ふとしたときにぼーっとして手が止まったり、朝田さんと話すときも、無理して笑ってる。

 放課後も教室の窓から野球部の方をじっと見たりしてんの。

 俺はずっとそんな望を見てた。ずっと、ずっと。

 幽霊ってのは寝たり起きたりする必要がないようで、朝から晩までふよふよその辺を彷徨っていられる。

 普段は規則正しい生活を送ってる望が、よく寝られてないのも、朝起きられないのも、俺はずっと見ていた。


 だから、俺の葬式の日、望がおかしくなったのも、俺はすぐに気がついた。

 式場に着いた途端、望は

「え」

 と言うなり固まった。

 何が見えてるのか検討もつかず、その辺を見てみたけど何もない。

 この場所に俺以外の幽霊もぷかぷか浮いていたが、そこには誰もいない。

「な、なんで」

 と声を絞り出す望の目に映ってるのは、俺の遺影が飾られた祭壇だけ。

「望?」

 思わず声をかけちゃったけど、もちろん俺の声は望に届かない。これまで何度話しかけてもそうだったように、このときも同じだった。

「そんな、馬鹿な」

 と望が言う。何に驚いてるんだろう?

 まさか遺影の俺が格好良すぎて……なんてことはないか。

「本当に、永太なの?」

 と望が言った。

 どうやら、望には俺が見えてるらしい。

 でもそれはおかしな話だ。だって俺、そこにいないもん。俺は今、望の後ろに浮いてるんだよね。

 まるで目の前に俺が立ってるみたいに、望は言った。


 式が始まっても望はずっと変だ。ぼそぼそと何か言って、隣を見る。

 望に見えている俺は、望の隣にいるらしい。なんだか羨ましくなって隣に立ってみたが、地に足がつかないせいで微妙に目があわない。虚しくなってすぐやめた。

 だから俺は式場の上をふわふわ浮かびながら、自分の葬式を眺めることにした。

 俺が死んで、こんなにたくさんの人が悲しんで泣いてくれているのを見ると胸が痛む。

 なかでも、母さんが泣いているのはやっぱり堪えるものがある。母さん一人になっちまうもんな。俺って親不孝者だ。

 お坊さんが念仏を唱えるなか、みんなが祭壇の前に来てなんかよくわからないことをしてる。あれ、何してるんだろう。俺の死体にお辞儀して、粉みたいなものをぱらぱらと。

 みんな順番にやってって、望の番になる。

 望も他の人たちと同じようにぺこりとしたあと、ちらりと隣を見る。

 ねえ、それって、俺にしてるんじゃないの! 隣には誰もいないじゃん。俺はここにいるのに。せめて目の前にある俺の死体にしてくれよ。

 ますます望が何を見てるのか気になってくる。なんで俺じゃないの。

 

 滞りなく式は進み、俺の死体は花まみれになる。自分の体をこうして見下ろしていることにただでさえ違和感があったのに、それが綺麗な花まみれなのも余計におかしい。俺の人生、花とか無縁だったのにな。

 いよいよ葬式もフィナーレなのだろう、みんな感極まって泣いている。

 そのなかで望は真っ白い顔をしてぼうっとしていたので、ちょっと浮いてた。他にも泣いてない人は何人かいたけど、まあそんなに仲良くないやつとか、泣かないように我慢してるやつとか、そういう感じだったからそいつらは浮いてるって感じじゃなかった。

 望はなにもないところをぼうっと眺めてから、

「生きてるみたいだ」

 と呟いた。

 周りの人たちが、俺の死体を見ながら綺麗な顔だね、とか、眠っているみたいね、と言っているから、そういう意味なのかなって思ったんだけど、望の言い方はなんか違うような気がする。

 だって、俺の死体と何かを見比べて言った。

 そして望は母さんから白い花を受け取って、俺の顔の横に置く。なんかでっかい花びらの白い花。

 どんな匂いがするのだろう。幽霊になってからは匂いがわからなくなってしまって、せっかく望が置いてくれた花がどんな匂いがするのかもわからない。

 俺の死体が入ってる棺に蓋がされて、俺が見えなくなる。

 あれってこのあと燃やすんだよね? あれがなくなったら、俺ってどうなるのかな。

 でも周りにいる幽霊たちは年齢も様々だし、なんか大丈夫な気がするけど、どうなんだろ。

 嫌だな、消えたくないな。

 望に見えてなくても、一緒にいたいな。


 葬式が終わったから、ついに俺の死体を燃やしに行くらしい。

 母さんが望に声をかけていて、母さんが一人にならないのも、望が俺を見届けてくれるのも、よかったと思った。

 母さんて寂しがりやだからさ、一人だとダメなんだよな。俺も同じだからよくわかる。

 式場からクラスメイトや野球部の部員たちがぞろぞろと去っていく。あ、望が変だから朝田さんに心配されてる。俺だって気づいてたのにさあ。ずりいよ。本当。ああでも、ははは、望強がってやんの。作り笑いが下手すぎ。かわいいなあ。はあ。

 母さんと、望と、望の母さんしかいなくなった葬式場は急に広くなったような喪失感があった。そして、タクシー呼ぶとかなんとかで、母さんたちもいなくなり望が一人きりになる。

 すると望が、

「お前はどうやって行くの」

 と訊ねて来た。

 え、俺? 俺に聞いてる? 実は俺のことが見えてるのかと思ってちょっと期待したけど、俺が何か言う前に

「そりゃそうだけど。でも、お前、飛んだりしないし」

 と続いて、ああやっぱり違うのかと思い知る。だって俺、飛んでるし。

 望に見えている俺らしきものは飛んでないらしい。

 今の俺は物理法則を無視しているらしく、飛ぶしすり抜けるし便利だ。火葬場だってなんの問題もなくあっという間に飛んでいける。

 たぶん、他の幽霊の人たちもそう。そんな感じがする。

 じゃあ、望に見えてるものってなんなんだろう? 幽霊とは別の、なんかそういう化け物とかいんの?


 火葬場は町外れの森のなかにあった。

 火葬場って幽霊の宝庫みたいなイメージだったけど案外そんなことないな。学校とか家の周りのほうが多い。

 まあ、誰だってこんな寂しいところに、いたくないよな。

 でかい火葬場の前の駐車場の真ん中に、望がぽつんと立っている。

「でかいね」

 何もないところを見上げて、望が言う。

 その前に立ってみると、ちょうど俺の顔のある位置くらい。もちろん、目線はあわないんだけどね。

 望はきょろきょろと辺りを見回してから口を開く。

「今なら人がいないから話せるな」

 また一瞬、俺に話しかけているのかと期待してしまったけど、俺は首を振ってそんなことはないと思いなおす。さすがにね、もう勘違いしないよ。

「なんで幽霊になったの」

 と望は一人で続ける。

 へえ、望に見えてる俺も幽霊なんだ。いいなあ。その俺は望と話せてるんだ。

「そういうもんなの? ……なんで僕にしか見えないんだよ」

 ね。俺も気になる。なんで望には見えてるの?

 俺にも見えない俺はなんなの?

 俺、他の幽霊はたくさん見えてんのにな。

 「なんか、未練とかあるの」

 未練か。別に俺が聞かれたわけではないけど、考えてしまう。望にそんなこと言われたらね、気になっちゃうからさ。

 ……野球とか、これから出るゲームとか、母さんとか、挙げだしたらキリがないな。でも、そんなことより望のことしか考えてなかったからなあ。 

「そりゃそうか」

 と望が言う。なんか今、会話が成り立ったっぽくてちょっと嬉しかった。望の前で話してる俺はなんて言ったんだろ。

 俺は腕を組み、ぷかぷか浮いて考える。

 望に見えている俺も、ちゃんと俺っぽい。

「それにしたって、なんで僕のそばなの」

「そんなの、望のことが好きだからだよ。決まってるじゃん」

 と俺は思わず声に出す。どうせ届かないから、生きてたときより素直に言えた。あの日飲み込んだ言葉がするりと出て来てちょっと驚く。

 望の前にいる俺はどうなのだろう。

「……お前、死んでも寂しがりのままなのな」

 望はそう言って、笑った。

 俺もなんだか笑っちゃいそうだった。望の前にいる俺は、望に好きって言えないんだなあ。なんだそれ。せっかく望と話せるのに。ああでも、話せるから言えないのか。

 もし今、俺が望と話せたとしても言えないもんなあ。望に聞こえてないから好き勝手言えるんだ。

「あ、そういえばさ、お前って触れるの?」

 と望が言う。

「触れないよ」

「試してみていい?」

 そして、望が手を伸ばす。

 俺はそうっとその手を握る。

「触れないよ。ね?」

 俺の手は望の手をすり抜ける。

 望は全然気づかない。

 手だけじゃなくて、顔も、身体も、どこを触っても触れない。

 散々試したんだから。

 望が何もないところに手を伸ばしたままなのをいいことに、俺は望を抱きしめる。

 話せないし、見えてないし、これくらいいいだろ。

 結局、その手が望に見えてる俺に届く前に望は望の母さんに呼ばれて火葬場に向かっていった。

 

 俺の身体が燃えちゃったら俺も消えちゃうのかなって悩んでたけど、そんなことはなかった。

 燃やされ始めても、痛いとか熱いとか何もない。もう俺はこの幽霊のほうの俺が俺なわけだから、あの死体はもう自分じゃないって感じかな。

 だから自分の身体が燃えることより、泣きながら自分を責める母さんの姿のほうがきつかった。母さんは悪くないのにな。

 俺はいたたまれなくなって外に逃げ出した。親不孝者だ。

 駐車場でぼんやりと空を見上げていると、やがて火葬場から望が一人で出てきた。

 まあ居づらいよな。わかるわかる。

 望は駐車場の隅にある植え込みに腰掛けたので、俺はそれを追いかけて隣に座った。座ったというか、胡坐をかいて浮いているというか。

 深々とため息をついた望は、

「誰のせいだよ、誰の」

 と隣にいるらしい俺に悪態をついている。

 あ、俺そっち側にいるんだ。望が反対側に向き直るのでそっぽむくみたいになった。

 俺は望の顔を見ていたいので、そっち側に移動する。

 その間に、望が何もないところを蹴飛ばしている。望って、たまに腹立ったときに肘で小突いてきたり蹴飛ばしたりしてくるから、たぶんいつものそれ。

 そしたら望はきょとんとして、

「うん。あるんだな、幽霊も、足」 

 と言った。

 え、あるの? 足。俺の足、見えるけど地に足つかないんだけどな。

 俺は自分の足を見下ろしてから改めて望の顔を見る。

 うわ。

 初めて見る顔だった。

 今にも泣きだしそうな、でも笑ってるような、ひどい顔。こんな顔するんだ。

「……永太、なんで死んじゃったの」 

 俺の、ないはずの心臓がぎゅっと苦しくなった。

 俺が死んで、こんな顔してるんだ。

「元気だったじゃん……違ったのか? 僕が、それに気づかなかったから、だから僕の前にいるのか?」

「俺は、ただ望が好きだから、望と一緒にいたいからここにいるんだよ」

 俺って本当にひどいやつ。

 母さんに悪いと思ってたのに、望にも、悪いと思ってるのに。

 今、俺、すげえ嬉しい。

 みんな俺が死んですげー辛そうなのにさ、俺は、俺のせいでこんなに望が苦しんでるのが嬉しくてたまらない。

 好きって嫌な気持ちだ。俺、好きな人が幸せならいいなんて、絶対思えないよ。

「……なあ、僕はお前と最後どんな話してたっけ? 思い出せないんだよ」

 望はひどい顔をしたまま言う。

 望、あの日のこと覚えてないんだ。

 望にとっては、大したことなかったのかな。

 朝田さんのことを好きだって言った、ただそれだけのことなんだけどね。

 思い出してほしいけど、思い出してほしくないな。今は俺のことだけ考えててほしいから。

「本当に?」

 望が言う。

 ねえ望の前の俺はなんて言ったの?

 ちゃんと本当のこと話してる?

「……でも、お前との、最後の」

 ……ん?

「……たしかに、うん」

 望はほっとしたように笑う。

 ……あれ、言ってないなこれは。俺、言ってない。あの日のこと。

 なんとなくわかるぞ。覚えてないならそれでいいんじゃない? 大した話じゃないよ。みたいなこと言ったんじゃないか。

 やるじゃん俺。

 と思うと同時に、俺はいよいよ望に見えている俺がなんなのかわからなくなる。

 俺がうんうん唸りながらこいつの正体を考えているうちに、望は一人で話し始める。いや、一人じゃないな。望に見えている俺と。

 俺のやりかけのゲームを代わりに望がやってくれるらしい。あとは野球を一緒に見に行ったりしてくれるらしい。

 それって最高じゃん。羨ましい。望もさっきよりちょっとだけ、元気そうになってる。

 なんなんだろう、そいつは。

 幽霊じゃない、と思う。

 望に触れるし、話せるし、羨ましいことばかりだ。

 でも、たぶん俺じゃない。俺だったら、最後何話したのって聞かれたら馬鹿正直に言ってる。

 お前、朝田さんのこと好きだって俺に言ったんだよって。応援してるって言ったの、俺は。って。

 俺のさ、なけなしの我慢と格好つけだったんだよね。だから、言ってると思う。

 なんていうの? 望に見えている俺は、俺よりもっと格好つけてるっていうか。理想の男って感じ? 都合の良い男?

 望の理想の俺、的な? いや、それはちょっと俺に都合がよすぎる妄想かな。

 まあ、考えてもわからないんだから、仕方ない、こいつが何かを突き止めるのは諦めるか。幽霊がいるんだから、何がいたっておかしくはない。

 

 望の独り言を聞いているうちに、俺の身体は焼き上がっていた。真っ白くてカラカラの骨になっていた。俺の中にはあんなに立派な骨があったのか。

 自分の骨を見てもなんの感慨もなかったけれど、大声で泣き出した母さんを見るのは辛かった。母さんがあんなに泣いてるところを見たのは初めてだった。ドラマとか映画を見てるときに泣いてるのはもちろん見たことがあるし、葬式のときだってずっと泣いてた。

 それが、こんな子どもみたいにわんわん声を上げて泣くなんて。マジできつい。すげー悪いことしたと思った。

 見てるしかできないって、辛いなあ。

 望にも、母さんにも話しかけられない。

「母さん、一人にしてごめん」

 声に出しても、母さんには届かない。俺も泣きたいくらいだったけど、幽霊って泣けないんだね。

 ひどい息子でごめん。

 俺の骨はあっという間にちっちゃい骨壷に納まって、母さんの両腕に抱えられる。

 望はぼうっと骨壷を見つめていた。


 母さんと、望と望の母さんが簡単な挨拶をして家に帰るのを見送ってから、俺はどこへ行くのか少し悩み、結局望の部屋に向かった。

 母さんのことは心配だったけど、俺にできることないし。

 なら、やっぱり最初の俺の願い通り、望のそばにいようと思った。

 好きな人とずっと一緒にいることが、俺の願いだから。

 いつまで幽霊として望と一緒にいられるかわからないんだから、それなら離れる時間がもったいないと思う。

 明日消えちゃうかもしれないし、ずっと消えないかもしれない。何もわかんないけど、わかんないなりに満喫するしかない。


 わからないといえば、望に見えている俺は結局何かわからないままだ。

 でも、それでもよかった。

 望は望の目に見える俺と過ごすことで、周りからどんどん距離を置かれるようになってった。

 無視されるとかじゃなくて、腫れ物に触るような扱いっていうの? 望、急に俺に話しかけたりとか、俺のこと見たりしてるんだけどさ、周りから見たらなんもないところを見て、急に独り言言い出す人でしょ? おかしくなったと思われてるみたい。

 可哀想だなと思った。でも、同じくらい嬉しかった。

 教室ではもう俺の話をする人もいなくなって、すっかりいつも通り。朝田さんすら、望のそばから離れてった。

 望はいつも一人。隣にいるのは俺だけ。

 望の話し相手をしてる俺は俺じゃないけど、俺みたいなもんだし、いちいち妬くこともなくなってきた。

 教室では女の子たちが、あの恋のおまじないの話をしている。

 好きな人とずっと一緒にいられるおまじない。

 俺は望を見る。

 望は俺ではない俺を見ている。

 俺にはもう、これだけでよかった。



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