第1話 違法越刻(いほうえっこく)は運び屋へ①
「お兄ちゃん、マジでやばいって!もう時間だよ、起きてってば!」
トリィネは助手席から身を乗り出し、スレヴァーの肩を両手でガシガシ揺さぶった。コード付きのイヤホンを外し、古びたスマホをカバンに突っ込む。体を揺らしながら、運転席の背もたれからようやく身を起こした。
ダッシュボードの時計が15時55分を示している。運び屋は依頼主との約束の時間まであと5分。スレヴァーの背中を、一筋の汗が滑り落ちた。
スマホに届いたのは「もう店に着いた」のメッセージ。
指先がわずかに震える。スレヴァーは慌てて荷物の確認に取りかかった。
スレヴァーが車のドアを開けた途端、熱気が一気に流れ込み、車内の温度が急上昇する。
「あっつ」
コンクリートから足へと靴越しに熱が伝わってきそうなほど外は暑く、真夏の陽射しは、肌を通り越して骨まで刺さるようだった。
スレヴァーはドアミラーを覗き込み、筋肉質な腕で自身の真っ白な髪を整える。
車から出てきたトリィネはそんな彼を見て、深い溜息をついた。
「なんだよ、ため息なんかついて」
「いや~そのスーツ……だらしなさを隠しきれてないよね」
指摘を受けて再びミラーに目を移す。スレヴァーの服装は安物スラックスとカッターシャツにネクタイ。ジャケットは羽織らず、袖口はほつれかけている。
そういうトリィネはどうなのかと、スレヴァーは彼女の全身を舐めるように眺める。
黒のジャージに、袖元の赤いライン。その赤は、彼女のパンツと同じ色で統一されている。加えてホルスター付きの小さいバックも黒。
多少の暗い印象は受ける。しかし赤のラインとパンツのおかげか、バランスのとれた色合いになっていた。
ウルフカットで整えられた髪の色は、兄と同じ白に、ところどころ黒が混じっている。無造作なのに、どこか計算されたようなバランス。
「似合ってる」そう言いかけて、言葉を飲み込んだ。
「どう?お兄ちゃん」
「……ジャージはだらしなくねえのかよ」
「服装はだらしないかもね。でも、お兄ちゃんは存在がだらしないから」
「ひっでえ」
トリィネはスレヴァーから顔を背けると、クスクスと笑いながら集合場所である喫茶店へと向かった。
指定された喫茶店に入ると、外とは打って変わって、冷えた空気が2人を包む。スレヴァーは思わず「涼しい」と声を漏らした。
店内は薄暗く、優しい雰囲気の伴奏が流れている。
周りを見回すとテーブルを拭いている店員と目が合い2人のもとに近づいてきた。
「いらっしゃいませ。何名様でしょうか」
「連れが中にいると思うんだけど……」
「おそらく一番奥に座られているお客様ですね。ご案内いたします」
店員の後を追い、店の奥に進むと、四人掛けのテーブルに男が一人と、その隣に女の子が一人座っていた。
男性は少女の汚れた口元を優しく拭く。されるがままの少女はスレヴァーたちを見ると、何か確信めいた目で指を差した。
男性は少女の指を辿ってスレヴァーたちと目が合う。その瞬間、男は手に持ったタオルを地面に落としてしまった。
スレヴァーは軽く頭を下げる。
「すみません。少し遅れました」
「ほ、本当に来た」
男性は驚きをそのまま口に、目を見開く。
「そりゃあ来ますよ。依頼をしたのはそちらでしょ」
「いや、それでも、信じてはいなかっというか……。試しに送ってみただけで」
トリィネは肩を落として声を張る。
「えー!もしかして冷やかしってこと?」
「いやいや、とんでもない。依頼はするよ。掲示板に貼ったでしょう」
スレヴァーたちが管理しているその掲示板。ここに依頼を書き込めば、過去や未来に物や人を届ける。時空を超えた運び屋─それがこの兄弟。
今日はその依頼人と会いに来た。
男性はスレヴァーたちを見上げながらハッとする。
「ひとまず座ってください」
スレヴァーとトリィネが席に着くと、配膳用ロボットがテーブルに2人分の水を持ってくる。
スレヴァーは水を取りながら、男性の顔をチラ見する。優しそうな顔立ちからは、父性を感じさせられた。
「すみません。注文していいですか?喉渇いちゃって」
「ああ、ぜひ」
タッチパネルを操作してスレヴァーはアイスコーヒー、ミルクとシロップありを注文していると「トリィはオレンジジュース」と、トリィネが明るく口を挟む。
「へいへい」
スレヴァーはタッチパネルを置くと男性に目を向ける。男性の目は穏やかだが、先ほど子供に向けたものと比べると鋭く見えた。
「早速ですが依頼の話をしてもらってもいいですか?」
「その前に自己紹介を……私の名前は坂東タイキ。娘はユキノ」
ユキノは名前を呼ぼれタイキを見るが、すぐさま目の前のジュースに視線を戻す。無我夢中でストローに吸い付いていた。
「2人の名前と年齢を聞いてもいいかな?」
完全に話の手綱を握られ、スレヴァーは無意識のうちに返事をする。
「お、じゃなくて僕はスレヴァー、19歳です」
スレヴァーは手に持っていたおしぼりを机に置きお辞儀をする。その表情はわずかにこわばり、目つきの悪さが際立ってしまっていた。
「トリィネ、13歳です」
トリィネはまるで緊張を知らないように、にこりと微笑んだ。
小さな体に似合わぬ社交性の高さが、どこかズレを感じさせる。目つきの悪いスレヴァーとは対照的に、可愛らしい顔立ちからは元気さが溢れ出ていた。
「19歳と13歳か……思っていたよりもだいぶ若いんだね。それにもっと怖い人たちが来ると思ってた」
タイキの声が先ほどまでと比べて少し低くなる。スレヴァー達に向けられた視線も鋭さを増していた。スレヴァーは固唾を飲み自然と背筋を伸ばす。
「分かった、ありがとう。それで早速依頼の内容なんだが」
これまでの柔らかい口調とは打って変わって低くなったタイキの声に、スレヴァーはたしかな圧を感じる。横に目をやるとトリィネの曲がった腰もいつの間にか真っすぐになっている。どうやら彼女も同じものを感じているようだ。
「ケッ、時間旅行が5周年だとよ」
不意に響いた男の声が、タイキの言葉をかき消した。
店内の空気が一瞬止まり、数人が声の主の視線を追ってテレビを振り返る。
テレビには「時間旅行5周年」の文字と猛スピードで走るバスの映像が映し出されていた。バスは多くの人に見守られながら走り去る。その周囲は少し歪んで見えた。
「もう5年も経つのか」
タイキは話を止められたことに対して特に苛立つ様子もなくテレビの方を見ていた。
スレヴァーは再び画面に目を移す。画面に映るのは時空観光用のバス。
長い間、人々の空想の中だけに存在していたタイムマシン。だが、技術革新が急速に進んだこの時代では、それが実現し、生活の一部になりつつある。
特にこの「時空観光用バス」は、富裕層向けの観光商品として大きな話題を呼んだ。数千万単位の金を払えば、誰もが過去を目にすることができる。
ただし、そこに手が届くのは一握りの人間だけだ。
店内の空気が少しだけ重くなった気がした。スレヴァーが横目で見ると、テレビを見つめる客たちの目には嫉妬が見える。きっと、一般人以下の人々にとって、これらが空想の産物であるのには変わりがないのだろう。
「続いてのニュースは……」
話題が変わると先ほどまでテレビに集まっていた注目も薄れ、静かだった店内も話し声で少し賑やかになった。
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