作中で象徴的に用いられる音楽――Tubular Bells。
これは単なる引用曲ではない。むしろ、この物語そのものの構造を映し出す鏡だ。
1973年、**マイク・オールドフィールド****はアルバム『Tubular Bells』を発表した。冒頭のフレーズはホラー映画『エクソシスト』のテーマとして世界的に知られているが、作曲者自身が語っている通り、この音楽は本来、恐怖を描いたものではない。イングランド、ソールズベリー地方の、単調で退屈な風景――変化の乏しい日常を、淡々と音に置き換えたものにすぎない。
しかし、この曲を「演奏する側」に立った瞬間、その本質は牙を剥く。一度でもピアノで再現しようとすれば、誰もが異常性に気づくはずだ。メトロノームは合っている。テンポも狂っていない。それなのに、右手と左手は明らかに違うリズムを生きている。まるで二つの人格が、同じ身体を共有しながら、互いを顧みずに演奏しているかのように。
この分裂こそが、『Tubular Bells』の本質であり、そして同時に、この物語の本質でもある。
登場人物たちは同じ時間、同じ場所、同じ「部活」に属していながら、それぞれが異なる拍子で生きている。全国という目標、音楽への執念、身体的制約、過去への後悔。すべてが同一のテンポを刻んでいるように見えて、決して噛み合わない。それでも音楽は前へ進む。
『Tubular Bells』が示したのは、調和ではなく、並走だった。
完全に理解し合えなくても、同じ小節を生きることはできる。
この物語もまた、その不揃いなリズムの重なりによって成立している。
だからこそ言える。
作中で鳴り響く「チューブラーベルズ」という音楽は、単なる引用ではない。
それは、この物語がどのように鳴っているかを、そのまま示す――
構造そのもののメタファーなのだ。
廃部寸前の吹奏楽部が、最後に大きな何かを成し遂げようと努力する現代ドラマ作品です。
主人公は、様々な要因で人が減ってしまった吹奏楽部の部員を務める女子高生。
種類ごとのより分けができるほどの部員もおらず、打楽器ばかりが5人残っている状況です。
一般的な吹奏楽部が目指す大会には、すでに出られない。けれど、残ったメンバーで何かを成し遂げたい。
そう考えた彼女たちは、別の大会への参加を目標に練習を始めます。
彼女たちが成そうとするのは、音楽的には革命でも、大会的には閉口もの。
それも覚悟で練習を続ける彼女たちは、本番でどんな音楽を奏でるのか。
ぜひ読んでみてください。