第9話

 王家の紋章を掲げた馬車が、ルーンフェルトの城門前に姿を現したのは、正午を少し過ぎた頃だった。


 街の往来が、ぴたりと止まる。


「……あれは」

「王家の使者だ」


 ざわめきが、波のように広がった。


 辺境に、王都の正式使節団が来る――それが何を意味するのか、ここにいる誰もが理解している。


 城門の上から、騎士が静かに声を張り上げた。


「用件を告げよ」


 馬車の扉が開き、豪奢とは言えないが明らかに王都仕様の装束をまとった男が降り立つ。顔色は悪く、背筋だけが無理に伸びていた。


「我々は、王国第一使節団である」

「エリシア・フォン・リーネ殿に、正式な要請を伝えに来た」


 その言葉に、街がざわつく。


 ――“殿”。


 かつて無能と断じ、追放した令嬢に対する呼称としては、あまりにも異例だった。


「少々、お待ちください」


 騎士はそれだけを告げ、門を閉めた。


 その間。


 騎士団本部の会議室で、エリシアは静かに紅茶を口にしていた。


「到着しました」


 報告に、彼女は小さく頷く。


「分かりました」

「予定どおり、ここで会いましょう」


 対面の席には、カイルが座っている。

 その表情は、冷静だが鋭かった。


「圧は、かけますか?」


 エリシアは、少し考え、首を横に振った。


「いいえ」

「彼らは、すでに十分に追い詰められています」


 ――余裕のある側が、声を荒げる必要はない。


 ほどなくして、使者たちが案内されてきた。


 五名。

 そのうち二名は魔導院関係者だろう。目の下に濃い隈を作り、落ち着きなく視線を彷徨わせている。


 彼らは、席に着くなり、すぐには口を開けなかった。


 沈黙。


 先に破ったのは、エリシアだった。


「ご用件は、分かっています」


 淡々とした声。


「王都の結界が崩れ、魔獣被害が拡大している」

「そして――私を、連れ戻しに来た」


 使者の一人が、息を呑む。


「……その通りです」


 代表と思しき男が、立ち上がった。


「エリシア・フォン・リーネ殿」

「王国は、あなたの力を必要としています」


 そして――


 彼は、頭を下げた。


「どうか、お力をお貸しください」


 重い沈黙が落ちる。


 その光景を、エリシアは静かに見下ろしていた。


「条件を、伺いましょう」


 使者たちは、安堵したように顔を上げる。


「王都への復帰」

「名誉の回復、地位の保障」

「相応の報酬も――」


「不要です」


 一言で、遮られた。


「……は?」


「私は、王都に戻るつもりはありません」


 エリシアの声は、穏やかだった。

 だが、その内容は、彼らの想定を完全に超えていた。


「な、なぜです!」

「あなたほどの力を、辺境に置くなど――」


 魔導院の男が、思わず声を荒げる。


 エリシアは、ゆっくりと彼を見た。


「一つ、確認します」

「王都の結界が、なぜ崩れたか」

「あなた方は、本当に理解していますか?」


 言葉に詰まる使者たち。


「魔力不足ではありません」

「設計ミスでもない」


 彼女は、静かに告げる。


「“日々の調整”を軽視した」

「それだけです」


 空気が、凍りつく。


「私は、王都でそれをしていました」

「評価も、理解もされないまま」


 彼女の視線が、使者たち一人ひとりを射抜く。


「そして、不要だと判断され、切り捨てられた」


 誰も、反論できなかった。


「……今さら、都合が良すぎます」


 エリシアは、微笑んだ。

 それは、怒りでも憎しみでもない。


 ただの、事実確認の顔だった。


「条件は、こちらから出します」


 その瞬間。

 使者たちの背筋が、揃って伸びた。


「第一に」

「私は、王国に属しません」


 ざわり、と空気が揺れる。


「第二に」

「支援は、“技術提供”として行います」

「私が現地に常駐することは、ありません」


「そ、それでは……」


「第三に」

 エリシアは、はっきりと言った。


「辺境への妨害、圧力、干渉を一切禁止します」

「破った場合、以後の協力は全面停止」


 沈黙。


 それは、ほぼ一方的な条件だった。

 だが、王国に拒否権はない。


 代表の使者は、深く、深く頭を下げた。


「……受け入れます」

「すべて、受け入れます」


 その言葉を聞き、エリシアは初めて、ほっと息を吐いた。


「では、契約成立です」


 彼女は立ち上がり、扉の方へ向かう。


「必要な資料は、後ほど送ります」

「応急対応は、三日以内に」


 使者たちは、呆然とその背中を見送った。


 かつて追放した令嬢は、

 もはや“戻る存在”ではなかった。


 ――選ぶ側だった。


 会議室を出たエリシアの隣で、カイルが低く笑った。


「見事でした」


「そうですか?」


「ええ」

「完全に、主導権はこちらです」


 エリシアは、窓の外を見た。


 穏やかに回る、辺境の結界。

 ここには、彼女を必要とする世界がある。


「……それで、十分です」


 王都の運命は、

 もはや、彼女の善意に委ねられていた。

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