第10話
王城・謁見の間。
重厚な扉が開いた瞬間、空気が一段、重くなった。
「第一使節団、帰還いたしました」
その報告に、玉座に座るレオンハルト王太子は、わずかに身を乗り出した。
「で?」
「エリシアは、何と言った」
問いは短く、切迫している。
使節団の代表は、ゆっくりと前に進み――その場で、膝をついた。
「……条件を、提示されました」
その仕草に、ざわめきが走る。
王太子が、眉をひそめた。
「条件だと?」
「こちらが頼む立場とはいえ、限度がある」
代表は、顔を上げられないまま、言葉を続けた。
「第一に――」
「エリシア・フォン・リーネ殿は、王国に戻らない」
謁見の間が、静まり返る。
「……何?」
「王都への復帰を、明確に拒否されました」
「今後、王国に属する意思もないと」
レオンハルトの口が、わずかに開いたまま止まる。
「ふざけるな……」
「王国の危機だぞ」
「承知の上での、ご判断です」
代表は、絞り出すように続けた。
「第二に」
「支援は、技術提供のみ」
「ご本人が王都に常駐することは、ありません」
「な……っ!」
今度こそ、怒号が上がりかけた。
「第三に」
代表は、一瞬、言葉を切った。
「辺境への一切の干渉を禁止」
「違反した場合、以後の協力は全面停止――」
そこまで言って、深く頭を下げた。
「以上が、条件です」
沈黙。
それは、怒りすら湧かないほどの静けさだった。
やがて、レオンハルトは、乾いた笑いを漏らした。
「……条件?」
「まるで、こちらが乞食のようではないか」
誰も、否定できなかった。
老魔術師が、一歩前に出る。
「殿下……」
「その通りです」
その一言に、視線が集まる。
「我々は、すでに」
「“選ぶ側”ではありません」
王太子は、ゆっくりと彼を睨んだ。
「……どういう意味だ」
「結界は、彼女がいなければ維持できない」
「それが、今回の混乱で証明されました」
老魔術師の声は、震えていた。
「我々は、知らなかったのです」
「彼女が、“力を使っていた”のではなく」
「“世界を正常に保っていた”ことを」
その言葉は、刃のように突き刺さった。
舞踏会の夜が、脳裏をよぎる。
冷たい視線。
断罪の言葉。
追放の宣告。
『無能』
『不要』
それを、誰よりも強く口にしたのは――自分だ。
「……戻ってくると言わなかったのか」
掠れた声で、王太子が問う。
「一度も」
代表は、はっきりと答えた。
「エリシア殿は、こう仰いました」
――『私は、すでに必要とされる場所にいます』。
レオンハルトは、言葉を失った。
王太子妃として。
王国を支える象徴として。
――ではない。
一人の存在として、必要とされている。
「……余は」
喉が、ひりつく。
「余は、何を失ったのだ……」
その問いに、答える者はいない。
答えは、あまりにも明白だったからだ。
「条件は……受け入れるしかないのだな」
「はい」
老魔術師は、静かに頷いた。
「それが、王国が生き残る唯一の道です」
レオンハルトは、玉座の背に、深くもたれかかった。
誇りは、もう意味を持たない。
立場も、権威も。
ただ一つ。
自ら切り捨てた存在に、
国の命運を握られているという現実だけが、そこにあった。
その夜。
王都の空に、結界の光が、かろうじて灯った。
それは、かつてのような“盤石な守り”ではない。
――借り物の、延命措置。
王国は生き延びた。
だが同時に、はっきりと刻まれた。
エリシア・フォン・リーネは、もう戻らない。
そして。
彼女を失った代償は、
これから、さらに形となって現れていく。
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