第6話

 翌朝。


 私は、辺境防衛騎士団の本部に案内されていた。


 石造りの実用本位な建物。

 王城のような装飾はないが、壁や床に刻まれた無数の補修痕が、この場所が“生きた最前線”であることを物語っている。


「こちらです」


 カイルに導かれ、地下へと降りていく。


 階段を下りた瞬間、私は思わず足を止めた。


「……ひどい」


 思わず漏れた声に、周囲の騎士たちが振り返る。


「そんなに、まずいですか?」


 魔術師らしき青年が不安げに尋ねてきた。


「まずい、というより……」

 私は、壁一面に広がる魔法陣を見渡す。


「これは、“限界を誤魔化して動かしている”状態です」


 空気が、張り詰めた。


「結界の核は三重構造。でも根本がズレている」

「このままだと、魔力を注げば注ぐほど、崩壊が早まる」


「な……」


 青年魔術師の顔が青ざめる。


「それは……ギルドの長が設計したものです」

「最善だと……」


 私は、ゆっくりと首を振った。


「設計は、正しいです」

「ただし、“支える前提”が欠けている」


 私は床に膝をつき、結界の中心に手を置いた。


 ――馴染む。


 王城の地下と、同じ感覚。

 世界の歪みが、指先から伝わってくる。


「本来、この結界には“調整者”が常駐しているはずです」

「日々、微細なズレを修正し続ける存在が」


 カイルの視線が、鋭くなる。


「……それが、あなたの役目だった」


「ええ」


 私は、淡々と答えた。


 ざわり、と騎士たちが息を呑む。


「王都では、私がそれをしていました」

「だから、表向きの数値は、いつも“問題なし”だった」


 ――王都は、数字しか見ていなかった。


 私は、静かに息を吸う。


「直します」


「今から、ですか?」


「はい」

「放置すると、今夜中に魔獣が群れで来ますから」


 誰かが、喉を鳴らした。


 私は指先で、魔法陣に新しい線を描く。

 複雑な詠唱は不要。


 必要なのは、力ではなく――理解。


 空気が、静かに震えた。


 結界の光が、一瞬だけ強まり、次第に安定していく。


「……魔力消費が、下がっている?」

「出力はそのままなのに……」


 魔術師たちが、信じられないという顔で数値を確認する。


 私は、立ち上がった。


「これで、当分は持ちます」

「ただし――」


 全員を見る。


「この結界は、“私がいなくなったら”また崩れます」

「恒久的に守るなら、調整者が必要です」


 沈黙。


 そして、カイルが一歩前に出た。


「……頼みます」


 彼は、騎士団長としてではなく、一人の人間として、頭を下げた。


「辺境を、守ってほしい」

「いや――ここで、生きてほしい」


 私は、驚いたように彼を見た。


 王都では、誰も頭を下げなかった。

 私の仕事を、“仕事”として扱った者はいなかった。


「……考えると言いましたよ?」


 そう言うと、カイルは苦笑した。


「ええ」

「ですが、もう答えは出ているように見えます」


 私は、結界の安定した光を見つめた。


 ここでは、私の存在が“歪み”ではない。

 必要とされ、意味を持つ。


「分かりました」


 私は、静かに頷いた。


「しばらく、ここにいます」

「この結界が、本当に“自立する”まで」


 騎士たちの表情が、一斉に明るくなる。


「ありがとうございます、エリシア様!」


 ――様。


 その呼び方に、少しだけ、胸が温かくなった。


 その頃、王都では。


 誰も知らないまま、第二結界が、完全に機能を停止しようとしていた。


 失われた者の価値に、気づくには――

 まだ、少し時間がかかりそうだった。

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