第7話

 最寄り駅に戻った頃には、すっかり朝だった。

 コンビニで買った缶コーヒーを片手に、改札を抜ける。

 ホームから吹いた風が、シャツの裾をそっと揺らした。

 スマホの音楽アプリを開く。

 検索欄に彼女の名前を打ち込むと──すぐに出てきた。

 そこには、プロとして活動する“彼女の声”が、いくつも並んでいた。


「……やっぱ、すごいな」


 流れてきたのは、夜のカラオケで彼女が最後に歌ってくれた曲。

 同じ曲なのに、あのときよりも少しだけ遠く感じる。

 届きそうで届かない、けどちゃんとそこにある──そんな声だった。

 ポケットから、くしゃくしゃのレシートを取り出す。

 その裏には、あの人の手書きメモ。


 《次までに、キー下げて練習しておくこと》

 《高音は腹から、ね》

 《課題曲:3つ。……これ、内緒だよ》

 《※毎週火曜の夜なら、たぶん空いてるかも。……たぶん、ね?》


 ……ずるいな。

 そんなメモ書きひとつで、こっちは何回読み返してると思ってるんだ。


 音楽を止めて、イヤホンを外す。

 水曜の朝にしては騒がしい駅前で、僕はひとり、空を見上げた。


「……火曜、か」


 その言葉に、背中をちょっとだけ押された気がした。

 また会えるかもしれない。いや、会えないかもしれない。


 でも、それは──

 次の火曜の夜に、答え合わせすればいい。


 終電を逃して、ただ時間を潰すだけの夜だと思ってた。

 でも、あの声が──たった一晩の出会いが、

 気づけば、僕の中に残ってる。

 火曜日が、ちょっとだけ待ち遠しいなんて。

 ……ほんと、ずるい人だよ。あの人は。

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終電逃したら、推しがいた件につい て 緋室井 茜音 @himuroi

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