第6話
スマホを確認すると、すでに午前五時を回っていた。
東の空が、うっすらと明るんでいる。
「始発、出ますね」
「だね……そろそろ、帰ろっか」
僕たちは、無言で荷物をまとめた。
リモコンも、マイクも、テーブルの上に戻す。
個室を出て、フロントへ向かう廊下を並んで歩いた。
ガラス扉の向こうには、白む空と、ほのかな朝の光が広がっていた。
自動ドアの前で、彼女が立ち止まる。
僕も、そっと隣に立つ。
「……あの、また、どこかで──」
「うん。また“相席”になったらね」
言いかけた僕の言葉を、彼女がそう言って笑いながら遮った。
まるで、“それ以上は言わせない”ように。
「……あ。これ、あげる」
そう言って、彼女が紙ナプキンにくるんだ何かを差し出してきた。
中には、さっきのレシートと──僕の歌のプレイリスト番号が書かれていた。
「えっと、これって……?」
「課題曲。次までに練習してきて。……指導料、上がるかもだけど」
思わず吹き出す。
「財布、頑張ります」
「うん。頑張って」
彼女は小さく手を振って、出口のセンサーに向かって歩き出す。
扉が音もなく開いて、淡い光が差し込んできた。
その背中を見送りながら、僕はつぶやいた。
「……いつなら、また会えるんだろ」
そのときだった。
「──あ、そうだ」
彼女が、ふいに振り返った。
僕もちょうど、一歩前に出ようとした。
──ドン。
「……んぐっ!?」
顔面に、柔らかい感触。
沈黙。沈黙。超・沈黙。
僕の顔が、彼女の胸元にダイレクトヒットという、
極限まで説明したくない体勢で、凍りついた。
「……えっと、」
「──ッッ!?」
僕は慌てて後ずさり、足をもつれさせながらソファに倒れ込む。
「す、すみませんすみませんすみませんすみません……!」
彼女は顔を真っ赤にして、そっぽを向いた。
でもその口元が、わずかに引きつったように緩んでいた。
「……もう。減点五千点」
「致命傷じゃないですか……!」
彼女はそのまま、笑いをこらえながら、もう一度だけ手を振った。
「レシートちゃんと見といてね」
そして、朝の光と一緒に、扉の向こうへと消えていった。
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