第4話

「……なんか、変な話ですけど」


 息を整えながら、僕はぽつりとこぼす。


「歌って、こんなに楽しかったんですね。今日、初めてそう思いました」


 彼女が、ふと目を見開いた。

 そして、少しだけ目を伏せる。


「……前にもいたんだ。歌、好きって言ってくれた子。でも……急にいなくなっちゃって」


 彼女は少し遠くを見るような目をしていた。何かを懐かしむような、少しだけ寂しそうな目。

 でもすぐに、視線が戻る。


「ま、今さら関係ないけどね。……ほら、一応プロなんで」


 冗談めかして、ウィンク。


「だから、次からは有料だよ?」


「お財布……軽いんで、分割でお願いします」

「却下。あと録音も禁止ね」


 僕は思わず吹き出した。笑い合う空気が、いつのまにか心地よくなっていた。

 そのとき、彼女が言った。


「……ちょっと、そこ座って」


 ソファの中央をぽん、と叩く。


「え、めっちゃ近くないですか?」

「じゃないと、声が届かない」


 僕はぎこちなく隣に座る。近すぎて、息がかかりそうな距離。


「さっきの二番のサビ、もう一回いこっか」


 マイクを渡され、僕はゴクリと息を飲む。


「“風が揺らす心に”のところ、ブレスが苦しそうだった。いったん、喋ってみて」

「喋る……?」

「歌じゃなくて、言葉として。リズム取って。……そう、それでいい」


 彼女は、僕のブレスに合わせてリズムを取ってくれた。息づかいひとつにも気を配ってくれるのが、なんだかくすぐったかった。


「じゃあ、今度は歌で。私も少しだけ重ねるから」


 彼女の声が、すぐ耳元で重なる。


「──風が 揺らす心に──」


 あ、近……

 僕の声が裏返った。慌てて咳き込む。立ち上がろうとした瞬間──

 ガンッ!

 また照明に頭をぶつけた。スピーカーが暴走して、爆音が室内に響き渡る。


「うるさっ!?」


 二人でリモコンを取り合い、ようやく音を止める。


「……またコンボ?」

「まさかの二曲目で再発とは……」


 僕はソファに崩れ落ちて、天井を仰いだ。


「……てか、こんな距離でレッスンとか、初めてです」


 横を見ると、彼女が肩を揺らして笑っていた。


「私も、久しぶりだな……教えるの」

「……さっき言ってた人、ですか? “前にもいた”って」


 彼女は少しだけ目を丸くして、すぐに視線を落とした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る