第2章 静かな争い
クライフェルトが『不死鳥亭』の二階に案内されている間に、街にはすっかり闇が降りていた。
部屋の窓からは、港の灯台が煌々と火を焚いているのが見える。
旧市街と新市街が重なり合う一角だけが、夜の中で不自然なほど明るかった。
シャン・グリーンは夜も良いところよ……。
アリスの、確かめるでもなく言い置いた言葉が思い出される。
夕食のこともある。そう考えたときには、クライフェルトの身体はすでにベッドを離れていた。
一階のカウンターには、アリスの父親と思しき男が腰を下ろしていた。
「行ってらっしゃいませ」
奥から漂ってくる夕餉の匂いが、空腹を意識させる。
クライフェルトは軽く会釈し、宿を出た。
坂道は暗く、月明かりを頼りに下る。
行き交うのは仕事帰りらしい屈強な男たちばかりで、夜道でも日に焼けた肌と体躯から、港で働く水夫だと分かる。
やがて、ロン・イェッツ通り五番街に出た。
通りの中央には、細長い棒が等間隔に立てられている。
その先端には眩しいほどの光が宿り、夜の闇を押し退けるように周囲を照らしていた。
日が沈む少し前、宮廷魔術師が現れ、光の精霊を宿す魔法を施すのだという。
そうして灯された光は夜のあいだ消えることなく、街路灯のように城下を照らし続ける。
宮廷の手が入るほど、この通りは街にとって重要なのだろう。
その光の下で、人々は安心した顔をした夜を楽しんでいる。
通りには、『HUB』と書かれた看板が、大小さまざまな大きさで並び、ある店では様々な人種が大声で語り合い、ある店では道に出された卓を囲んで歌声を張り上げている。
店内のカウンターの隅で黙々と杯を傾ける者もいれば、笑い声を抑えきれない者もいる。
その表情はさまざまだったが、活気ある民衆の街であることを、クライフェルトは肌で理解した。
『HUB』というものが、ブリティン島の酒場であることも、誰に説明されずとも分かった。
冒険者が集うギルドにも併設された『HUB』があるらしいが、表通りには見当たらない。
クライフェルトは、一本細い路地に入ってみることにした。
表通りを照らしていた光はすぐに届かなくなり、月明かりと、裏道に並ぶ店々から漏れる明かりだけが、細い石畳を照らしている。
路地を進むにつれて、表とは明らかに空気が違っていた。
声は低く、笑いも控えめで、視線だけがやけに鋭い。
それでも『HUB』の看板は絶えることなく続いていた。
クライフェルトは、裏道の中でもひときわ目につく大きな店の扉を押した。
中は、外よりもさらに暗い。
カウンターの向こうでは、親父が黙ってグラスを磨いている。
扉を開けたクライフェルトを一瞥すると、それ以上の反応は示さなかった。
奥には、客の出入りが絶えない扉があり、そこから人の気配だけが静かに伝っていて、どこか酒場として落ち着きすぎている節がある。
表のHUBと比べて極端な違いがあるとすれば、店の隅にあるプレートメイルの飾り物や店の奥のテーブル席の壁に立てかけてあるバスターソード。見るからに古く見える魔物たちの分布図のようなリヴルダールの地図が出入口近くの壁に剥がれかけながらも貼ってある。
視線を巡らせるとカウンターの端の席には小男が座っていて、木の杯を手に酒を食らっている。
もう一組、目に入ったのは、調度品のバスターソードのある前のテーブルで赤毛の男と、薄闇に浮かぶような白い服の女性が向かい合って座っている。
二人は会話を交わしている様子もなく、ただそこにいるだけだった。
「なにかいるかい?」
HUBの親父がカウンター越しに、入口で佇むクライフェルトを見ている。
クライフェルトはその声に促されるように、空いているカウンターへと歩み寄った。
「有り合わせで頼む。あと、酒はいい。水を頼む」
クライフェルトの注文に、カウンターの小男が口を開く。
「HUBに来て、酒を飲まんとはな」
親父はその声に表情を少し強ばらせたが、クライフェルトが小男の言葉を流したのがわかると短く頷き調理を始めた。
店内にはそれなりに人が入っていて、食べ物や酒ののったテーブルを囲みながら、会話を楽しんでいる様子だった。
ほどなく、マッシュポテトと、何の肉かも分からない焼かれた肉。添えただけの野菜が一緒に盛り付けられた皿が差し出された。
クライフェルトは黙って口に運ぶ。
噛み切れないほど硬い肉と、水っぽく塩気のないマッシュポテト。
お世辞にも美味いとは言えない。
だが、温かい食事であること。
そして腹を満たせることだけが救いだった。
唯一、水だけは美味かった。
近くを流れるマジー川の支流の水だと、客の誰かが教えてくれた。
街の外から引いているらしい。
一息ついた後、クライフェルトはコーヒーを頼んだ。
カウンターの小男がまた何か言いたげな顔をしたが、ギョロッとクライフェルトを見るだけだった。
耳に入るのは、周囲の客たちの話し声だけだ。
そのとき、トラブルは外から突然やってきた。
複数の男たちが騒がしく店の前を通り過ぎたかと思うと、扉が力強く開いた。
「親父! いつものを頼む!」
五人の男と、それに似つかわしくない美しい女がなだれ込んでくる。
男たちはテーブル席の先客を力ずくで追い払い、その席を占拠した。
女は無理やり座らされる形だったが、臆した様子はない。
荒くれた男たちに慣れきった、そんな雰囲気だった。
まとめ役らしき男が、大声で女を口説いている。
「いいじゃねーか。俺たちは明日の朝には祭祀の標に行くんだ。
このプリティンじゃ、それなりに活躍してきたんだぜ」
「祭祀の標にねぇ……。あんたたち、何しにあんな所へ行くのさ?」
「決まってるだろ。ジェラト公の宝を奪い返す。
それで俺たちは騎士身分だ」
「ふーん……。あんたたちがね……」
女は素っ気ない。
そのとき、別の男の視線が、テーブル席の奥に向いた。
赤毛の男と向かい合う、白い衣服の女。
「よう、ねーちゃんもこっちに来て楽しもうぜ。俺たちが騎士になる最後の夜だ」
男はそう言って、白い衣服の女の肩に手を置いた。
「やめてください」
丁寧だが、はっきりとした拒絶だった。
赤毛の男がゆっくりと音もなく立ち上がった。
歳は若い。歳の頃は25、6くらいだろう。身体は大柄で、素肌の見えるところには無数の傷がある。
明らかに戦い慣れた雰囲気がした。
「なんだてめぇ!やろうってのか!!」
強い声とともに、男たちは剣を抜いた。
どれも短く構えられている。室内で戦うための構えだ。
クライフェルトは、赤毛の男がどう出るか?見届けていた。
すると赤毛の男は、ゆっくりと落ち着いた流れで、背後にある大きなバスターソードを握る。
「ば、バカか! そんな長い獲物で、こんな所でやり合う気か! 素人め!!」
クライフェルトは、実用的ではないそのバスターソードを店の調度品だと思っていた。
それをあっさりと慣れた手つきで持ち上げると無造作に構えたように見えた。
鞘からは抜いていない。
しかし、バスターソードが赤毛の男の身体の一部になったような錯覚をクライフェルトは感じた。
他の客たちは、この騒ぎを見守るように、声一つ上げる者はいなかった。
――ここで終わる。
そう思った瞬間、円卓が飛んだ。
他の客たちも驚いた表情となる。
赤毛の男が剣先を円卓に引っ掛けて飛ばすと、そのまま引き抜くように横に振った。
視線が円卓を追ったときには、五人のうち三人が真横に吹き飛び、窓ガラスを破って外へ放り出されていた。
円卓はそのまま、まとめ役と白い衣服の女に声を掛けた男。2人に向かう。まとめ役の男だけが身を躱し、1人は円卓の下敷きとなった。
身を躲した男だけ、クライフェルトと小男の間へ転がり込む。
赤毛の男は、まとめ役の男の動きを予想していたかのように、跪く体勢の男の正面に立っていて、鞘付きのバスターソードを振り上げていた。
――ガギンッ。
クライフェルトが2人の間に入り鞘に剣を納めたままで、振り下ろされた赤毛の男の一撃を防いだ。
刃先に手を添えて受け止めている。
腕から足へと波立つような衝撃がクライフェルトを襲った。
赤毛の男の表情は変わらない。即座に受け止められた斬撃を離すとすぐに横一閃を放つ。
――ドンッ。
今度は、巨大な戦斧がクライフェルトに迫るバスターソードに割り込んだ。
床板が斧の刃で破れたが、横一閃に放たれたクライフェルトへ一撃を受け止めている。
風がクライフェルトの頬に届いた。
受け止めたのは、カウンターの小男だった。
クライフェルトが小男と思ったのは、カウンターの席に足が付いていなかったからである。
しかし今見える上半身は、服の上からでも筋肉の塊である事がわかる。
バスターソードを受け止めた戦斧から覗くように、小男は赤毛の男を凝視した。
「あんた……混じってるな……」
発せられた小男の言葉に、赤毛の男はわずかに眉を動かした。
「み、店での争い事はやめてください!」
カウンターから親父が震える声で制した。
赤毛の男は無言で剣を引くとバスターソードを背負い。金貨をカウンターに投げるように置いてそそくさと店の扉へと向かう。
白い衣服の女も赤毛の男の後に続く。
「申し訳ありませんでした」
女は店を見渡すようにしてから、深々と頭を下げ扉から出て行った。
僅かな静寂とクライフェルトの後ろでカタカタと音が鳴った。
クライフェルトが振り向くと、まとめ役の男の顔色はなく、歯を震わせていた。
to be continued…
とある勇者?の物語。 藤沢 隆一郎 @Fujisawa_Ryuichiro
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