第7話 自由

渋谷のスイーツカフェは、昼でも夜でも同じ顔をしている。

明るすぎる照明、甘さを強調する香り、椅子と椅子のあいだにあるはずの距離の欠如。

人はここで、幸福を摂取する。


私は美咲の足元に伏せている。

フローリングは冷たく、腹にちょうどいい。

鼻先を床に近づけると、砂糖と香水と、わずかな疲労の匂いが混ざっている。

都市の匂いだ。


美咲はショートケーキを撮影している。

角度を変え、フォークを浮かせ、笑顔を作る。

その一連の動作は、もはや思考を介さない。

身体が覚えている。


私は尻尾をゆっくり振る。

人間の足が行き交うたび、風が起きる。

それに反応して耳が動く。

犬の身体は、世界に開きっぱなしだ。


「モコちゃん、待てだよ」


私は待つ。

待つという行為は、自由の放棄ではない。

むしろ、衝動を制御できるという意味で、自由に近い。


テーブルの下で、私は前足を舐める。

毛づくろいは、思考を必要としない行為だ。

それでも、整う。

人間は、なぜこれを忘れたのか。


隣の席で、誰かが笑っている。

大きく、少し過剰に。

幸福は、音量で測れるものではない。


私は立ち上がり、二歩だけ歩く。

リードが張る。

そこで止まる。

限界が分かるということは、世界が把握できるということだ。


美咲がケーキを食べ終え、私を見る。


「モコちゃん、いい子だね」


私はその言葉に応えるように、首を傾ける。

目を細め、口を少し開ける。

犬として正解の表情。

それは訓練の成果であり、同時に、私自身の選択でもある。


自由とは、何でもできることではない。

何をしないかを、身体で知っていることだ。


私は床に戻り、丸くなる。

外では人が流れ、甘い匂いが続いている。

だが、私の呼吸は一定だ。

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