第3話 姿なき者(前)
「全員しゃべるな!」
その怒声に一番驚いたのは、アイザック自身だった。
──俺は……何を言っている?
ニア──“姿なき者”。
それは、太陽系の星間航行士であれば一度は耳にしたことのある怪談話だ。
それは、いつの間にか人類のそばにいる。
まるで古くからの友人のような顔をして。
“姿なき者”というとおり、ニアは様々なものに自在に姿を変えられる。
動物にも、草花にも、宇宙空間を漂う隕石にも。
そして勿論、人類にも。
いずれの噂にも共通しているのは、その声を聞いてはいけないというものだ。その声を耳にしたものは、記憶を奪われ、思想を壊され、懐柔されるという。
「ちょっとアイザック、なにマジになってんのよ。ドナもよ?ニアって……」
ベティの言うとおりだ。
余計なモン載せて帰って来るんじゃねぇぞ、というのは航行士の間で使い古されたジョークだ。
理性ではわかる。だが──
「じゃあベティさんは、この状況をどう説明するんですか」
アイザックより先に口を開いたのは、チャンミンだ。
「さっき誰かも言っていたでしょう、僕たちはいま、何者かの攻撃を受けている。追撃どころじゃない、僕たちは現在進行形で攻撃を受けているんだ。そうでしょう?アイザックさん!」
アイザックは、咄嗟に答えることができなかった。
代わりに口を挟んだのは、最年長のエリックだ。
「オレも感情的にはベティと同じだが、それがニアかは別として、チャンミンの言うとおりこの船でいま、得体の知れないことが起こっているのは事実だと思う」
「エリック……」
「オレの記憶じゃこの船は5人乗りで、オレたちは5人で出航した。出航前の昼飯代はオレ持ちだったろ?マーサ亭の1000ガリン定食で、きっかり5000ガリン札を出したんだ。だが、オレにはお前たち全員との記憶がある。食い違ってるんだよ。お前もそうなんじゃないのか?ベティ」
「それは……」
ベティが黙り込み、食堂内には重苦しい沈黙が立ち込めた。
しかし、その沈黙は長くは続かなかった。
ドナの腹が鳴ったからだ。
「あっはは、ごめん!でも、いったんご飯にしない?酸素だってすぐ無くなるって訳じゃないんだしさ。腹が減ってはなんとやら、ボク、なんか作ってくるよ。いいよね?アイザック」
「あ……ああ、頼む。皆んなも、ドナの言うとおりだ。すぐに酸素がなくなる訳じゃない。まずは船の立て直しを考えよう」
「……そうね、船長。賛成よ」
ドナが昼食を作っている間、エリックとフェイは第一発電機の修理を、ベティとチャンミンは船外に出て損傷部の詳細調査を行うこととなった。
アイザックは、コックピットで船外の二人の動きをモニターしつつ、コックピット側から、完全損失したエンジンの切り離しの準備を行なっている。
右舷側のエンジンを移設できれば、動力を確保できる可能性があるからだ。
雑音ばかりで使い物にならないインカムは、船外の二人も含め、既に全員オフにしている。
このため船外からのコミュニケーションはモニター用の船外カメラへのハンドサイン、コックピットからはメインコンソールからコンタクトレンズへ文字情報を送って対応していた。
損傷したエンジンの切り離しが物理的に可能か、船外の二人の二人の作業を待ちながら、アイザックは現在の状況について一人考えていた。
──5人乗りの船に、いつの間にか6人乗っている。
奇妙なことだが、しかし、それが現実なのである。
そして、誰が6人目かわからないこの状況を説明するには、やはり認めなければならなかった。
ニアの存在を。
なぜこの船を狙ったのか、その目的はわからない。
だがチャンミンのいうように、これが何者かの攻撃であるならば、やはり直ちに排除しなければならない。
クルーの安全を守ること。
それが、船長の役目だからだ。
六人目がいる あるひ家鴨 @aruginoahiru
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