第44話 泥の中の望み



​村の中心部は地獄と化していた。


潮鳴り様が通り過ぎるだけで、道はひび割れ、木々は枯れ、電柱が火花を散らして倒れていく。


​「助けて! おじいちゃんが中に!」


​倒壊した民家の前で、一人の少女が泣き叫んでいた。その家の中には、昼間私たちが話を聞いた、あの腰の曲がった老漁師が挟まれている。


そして、その少女の背後には、狂乱状態で進み続ける潮鳴り様の巨大な足が迫っていた。


​「……くっ、この、お人好しがぁ!!」


​葉弍は、自分が必死で手に入れた「不正の証拠書類」を地面に放り投げた。風に舞う紙切れなど目もくれず、彼は少女のもとへ全力で疾走する。


​「おい、アホライダー! 俺があの家から二人を引きずり出す! アンタは、あのバケモノを止めろ! 一秒でもいい!」


​それは葉弍にとって、最も「非効率」な選択だった。証拠を捨て、命を懸け、金にもならない救助に向かう。だが、その時の彼の背中は、どの実業家よりも大きく見えた。


​私は一歩、深く踏み込み、潮鳴り様の進路上に立ちはだかった。


妖怪の足音が、心臓を直接叩くような振動となって伝わってくる。


​「……ちぇ。葉弍。アンタのそういう『面倒くさい正義感』に付き合うのも、今日で最後にしてほしいもんだ」


​私は右拳を腰に溜め、全身の回路を臨界まで加速させた。


見上げるほど巨大な、黒い泥の塊のような妖怪。その濁った瞳の中に、私は一瞬だけ、かつて村の子供たちを見守っていたであろう、「清らかな神」の残影を見た気がした。


​潮鳴り様の巨大な腕が、私を、そして背後の葉弍たちをまとめて押し潰そうと振り下ろされる。


​私はその巨大な質量に対し、たった一つの拳で迎え撃つべく、静かに構えを取った。

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