第38話 約束の場へ


​義司の悲恋の回想を聞き終えた私たちは、静かに妖怪桜の木の下に立っていた。雪を予感させる冷たい風が吹いている。


​「ちぇ。面倒くさい。父の命と、愛する人との未来。ジジイが選んだのは、優しさではなく、義務だった。それが、この世への最も強い執着となったわけか」


私は言った。


​葉弍は、義司に寄り添い、真剣な表情で写真を見た。


​「爺さん。あんたの成仏できない理由はわかった。あんたは、ゆみさんに『なぜ来てくれなかったのか』という眼差しを向けられたまま、時が止まっちまったんだ」


​葉弍は、効率主義を完全に捨て、最も非効率的な解決策を提案した。


​「おい、アホライダー。この爺さんの心残りは、愛だ。金や権力じゃ解決しねぇ。『時と場所』という物理的な条件をクリアしてやるのが、一番だろ」


​葉弍は、義司が語った約束の日時に注目した。


​「爺さん。ゆみさんと駆け落ちを約束した、あの日の再現をしよう。あの時のゆみさんは、きっと霊として、今もあの桜の下であんたを待っているはずだ」


​義司は、私たちの顔を交互に見た。


​「再現……しかし、もう桜は枯れているし……ゆみさんは、どうしているのか」


​「ちぇ。枯れていようが関係ない。重要なのは、アンタたちの気持ちと、時間の正確性だ」


​私は、義司の質問に答えた。


​「ゆみも、アンタと同じく、その時の執着から、この村を離れられていない。アンタたちが最後に約束を交わした、この枯れた桜の下に行ってみるのが、最も効率的だ」


​葉弍は、現在の暦を思い出した。


​「今日が11月の29日だ。ゆみさんの誕生日の前日、つまり約束の日は12月11日。夕方6時だ」


​「フン。あと12日。面倒くさいが、待つか」


​私たちは、愛の成仏という、私の優しさの探求の最終試験に臨むことを決意した。


​雪が積もる日々


​私たちは、義司のボロ家で12月11日を待つことになった。


​その間、村には本格的な冬が訪れた。12月に入ると、青森の田舎は激しい雪に見舞われ、義司の家や、周囲の神社、そして妖怪桜の木も、深い雪に覆われていった。


​葉弍は、寒がりながらも、私たちにタメ口で文句を言う。


​「ちぇ。こんな雪の中で、幽霊の爺さんと暮らすなんて、人生で最も効率の悪い時間の使い方だ。俺の貴重な金儲けの時間が……」


​しかし、葉弍は、文句を言いながらも、私たちを置いて村を出ることはなかった。彼の効率主義は、義司という幽霊の成仏を助けるという非効率的な目標に、奇妙に固執していた。


​私は、その間、義司の持つ「義務と愛の板挟み」という優しさを観察し続けた。

​そして、12月11日の朝が来た。


​冷たい空気が張り詰めている。昼を過ぎても雪は止まなかった。


​時刻は午後5時45分。約束の夕方6時まで、あと15分。


​私たち三人は、防寒着を着込み、雪に埋もれた妖怪桜へと向かった。

​義司は、幽霊であるにも関わらず、ひどく緊張している。


​「ゆみさんが、本当に来てくれているだろうか……私が、約束を破ったのに」


​「ジジイ、成仏したいんだろ。行くぞ」


私は言った。


​葉弍は、義司の背中を叩いた。


​「爺さん、男は黙って行け!俺が、アンタの愛の成就を見届けてやる!」


​午後6時0分。


​雪が積もり、枯れた枝を広げる妖怪桜の木の下に、私たちはたどり着いた。

​雪で足元が埋まる中、そこに、一人の古い着物を着た若い女性の霊が、静かに座っていた。彼女の周りだけ、時間が止まっているかのように見えた。


​ゆみだ。

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