第36話 本当の理由
青森の田舎にある、ボロい義司の家。葉弍が私の質問に腹を抱えて笑う中、私はカマドの火を扱う義司を赤い丸い複眼で凝視し続けた。
「ハハハ!おい、アホライダー!爺さんをからかうなよ!飯が食えなくなるのは面倒くさいだろ!」
葉弍が笑う声にも動じず、私は繰り返した。
「ジジイ。アンタの持つ優しさの標本を観察したいが、まず前提を明確にしておきたい。アンタは人間じゃない」
義司は、カマドの火から静かに顔を上げた。彼は動揺する様子もなく、むしろ長年の秘密を暴かれたことへの安堵のような表情を浮かべた。
「……フフ。さすがは、アホライダーさん。君の目からは、何もかも隠せないようだね」
義司は、そう言ってゆっくりと火を消し、静かに居間に座った。
「私の名前は義司。ここにいるのは、魂だけだ。私は大正の頃に亡くなった。死んだ場所もこの村だ。だが、どういうわけか、この村から一向に成仏できずに、ずっとこのボロ家にいる」
葉弍は、笑うのをやめ、顔を青ざめさせた。
「な、なんだって!?爺さん、幽霊かよ!そんな面倒くさい心霊現象、俺は興味ねぇぞ!」
私は、冷静に義司を見た。
「ちぇ。面倒くさい。アンタの優しさの標本は、この世への執着ということか」
「執着……そうかもしれないね。だけど、何を思い残しているのか、もう思い出せなくなってしまったんだ」
義司は悲しそうに言った。
葉弍は恐怖でガタガタ震えていたが、すぐにいつもの効率主義の頭に切り替えた。
「おい、アホライダー!待てよ。この爺さんを成仏させて、この面倒くさい現象を終わらせるのが、一番効率的じゃないか?」
「成仏させる?それが私の優しさの探求にどう役立つ」
「いいか、爺さん。アンタの心残りを解決してやれば、アンタは最高の優しさと共に成仏できる。その過程を観察すれば、アホライダーの探求は進むだろ!俺は人助けなんて一番面倒くさいが、今回はアンタの探求のために、俺が付き合ってやる」
葉弍の「優しさの探求の効率化」という理屈は、常に私の行動の動機となる。
「フン。面倒くさくない提案だ。義司、生前に思い残すことはなかったのか。些細なことでも構わない」
義司は目を閉じ、遠い記憶を探った。
「そうだな……一つだけ、覚えていることがある。小学校の運動会で、かけっこがどうしても1位になれなかったことだ。いつも2位で終わってしまった」
翌朝、雪が降る前の冷たい空気の中、私たちは古びた神社の境内で、かけっこの再現をすることになった。
「いくぞ、爺さん!俺がアンタを1位にしてやる!」
葉弍は、緑のスカジャンを脱ぎ捨て、ランニングの体勢に入った。
「ちぇ。面倒くさい」
私はスタートの合図をした。
「位置について……用意……パン!」
葉弍は、あえてゆっくり走り、義司が1位でゴールできるように仕向けた。
ゴールラインで、義司は目を輝かせた。
「やった!生まれて初めて、1位になった!」
しかし、彼の身体は成仏の光を放つことはなかった。
「ちぇ。これで成仏しないとは、面倒くさいジジイだ」
葉弍は息を切らしながら言った。
「くそっ!これで終わりじゃないのかよ!?」
義司は、他にも思い出せる限りの心残りを話し始めた。
飼っていた猫がいなくなったこと、大好物だった菓子を一つ多く食べたかったこと……私たちは、その一つ一つに付き合い、最も効率の悪い優しさを提供したが、成仏の気配は一向になかった。
その日の夕方、私たちは義司の家へ帰る途中、アホライダーはふと、道の脇に立っている木に目を奪われた。
それは、通常の三倍はあろう、巨大に枯れた桜の木だった。雪に備えてなのか、周りの木々は葉を落としているが、その異様な存在感は、私たちを引きつけた。
「ちぇ。なんだあの木は。妙に面倒くさい気配がする」
三人が枯れた桜の木の下に行ってみると、義司は何かを思い出せそうにするように、その木をジッと見つめた。
葉弍が、幹に不自然な小さな切り込みがあるのに気づいた。葉弍は、小刀を取り出し、その切り込みを広げた。
切り込みの中には、湿気で少しよれた、古い白黒写真が一枚入っていた。写っていたのは、着物を着た若い女性だった。
その写真を見た瞬間、義司の顔が激しく歪んだ。彼は、泣きそうな声で、その女性の名前を呟いた。
「ゆみさん……」
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