第35話 青森の神社と「人」の定義



​私たちは、ボクシングで得た優勝賞金を元手に、ロンドンから日本へと帰国した。


​「おい、アホライダー!せっかく日本に帰ったんだ。デカい金になる裏情報がある都内の地下格闘トーナメントに行くぞ!」


葉弍は言った。


​「ちぇ。面倒くさい。アンタの言うヤクザ絡みの地下格闘は、私にとっての優しさの探求にノイズが多すぎる。私は、静かで面倒くさくない場所へ行く」


​私は、葉弍の提案を無視し、青森県の雪が近づく田舎の村へと進路を取った。季節は11月。空は鉛色に曇っていた。


​「なんだよ!わざわざこんな寒いところに来るなんて、効率が悪すぎるだろ!」


葉弍は、緑と金のスカジャンの中に身を縮めた。


​私たちは、バスも通らないような田舎道を進んだ。村に着いたところで、私と葉弍の黒と緑の異様な組み合わせの視界に、古びた神社が飛び込んできた。鳥居は朽ちかけ、境内には落ち葉が積もっている。


​「ちぇ。せっかくだ。金運が上がるように、賽銭でも入れてやるか」


​葉弍は懐からコインを取り出し、賽銭箱に近づいた。その瞬間、背後から荒々しい声が響いた。


​「おい、こら!賽銭泥棒か!」


​振り返ると、昔の着物のような服を着た、腰の曲がった老人が、私たちを杖で指差していた。神主ではないようだが、その服装は周囲の環境から浮いていた。


​「爺さん!なんだと!?賽銭泥棒は面倒くさいだろ!」


葉弍は反論した。

​老人は私たちの服装と、葉弍の手に握られたコインを見て、すぐに誤解に気付いたようだ。


​「……おお、すまん、すまん。こんな時間に村を訪れるのは珍しいもんでな」


老人は、杖を下ろし、急に愛想の良い表情になった。


​「お詫びに、泊まっていくといい。こんな寒いところじゃ、野宿は面倒だろう」


​野宿を避けるのは、私にとって最も効率的で面倒くさくない選択だ。私たちは、その老人の誘いに乗ることにした。


​老人は、私たちを自分の家へと案内した。その家は、明治や大正時代のもののような、ものすごいボロ家だった。電気は通っているようだが、部屋の隅々には古びた匂いが充満している。


​老人の名前は義司(よしじ)というらしい。

​義司は、私たちを広い居間に通すと、かまどに火を起こし、米を焚き始めた。


​「ささ、アホライダーさん、葉弍さん。冷えただろう、そこで休んでいなさい」


義司は言った。


​葉弍は、ボロ家とカマドという面倒くさい光景に戸惑いながらも、囲炉裏のそばに座った。


​私は、義司の言動、体の動き、そして存在そのものを観察した。義司の持つ優しさの標本が、私の探求に役立つかどうか、赤い丸い複眼でジッと見つめた。


​そして、米を炊く義司の背中に向かって、私は最も面倒くさい疑問を切り出した。


​「ジジイ、ほんとに人間か?」


​私の唐突でタメ口の質問に、葉弍は腹を抱えて笑い出した。


​「ハハハハ!おい、アホライダー!いきなりなんだよ!爺さんをからかうのは面倒くさいだろ!」


​義司は、かまどの火から静かに顔を上げた。その表情は、笑いも怒りもなく、ただ、静かだった。

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