第27話 父親の望み
私は植え込みの影から、三十代後半の男と、その元義父、そして息子との会話を盗み聞きし続けた。
「お前のような安定した職にも就いていないうえ、何の才能もない男とは無理だ。娘を不幸にするだけだ」
元義父は、厳しい口で男を拒絶した。
男は、絶望的な顔をしたが、すぐに近くの電柱に貼られたポスターに目を向け、それを指差した。
ポスターには、「ロンドン・オープン・ボクシング・チャレンジ」と大書されている。自由参加の、賞金付きの大会だ。
「お父さん!この大会に出て、賞金を獲得する。もし成功したら、もう一度チャンスをください!必ず奥さんと、息子を幸せにします!」
男は、必死に懇願した。
元義父は、男を冷たい目で見下ろした。
「フン。お前がボクシングで優勝だと?どうせ無理だろう。だが、いいだろう。もし本当に優勝できたら、考え直してやる」
元義父は、どうせ失敗するだろうと思い、承諾した。
男は顔を輝かせた。そして、5歳の息子を抱き上げた。
「やったぞ!大会に優勝できたら、またお母さんと一緒に住めるんだぞ!」
息子は大喜びで、父親の首に抱きついた。
その瞬間、レストランから葉弍が出てきた。彼は私を見つけ、大声で言った。
「おい、アホライダー!いつまで飯を食わないで立ってんだよ!さっさと大会の会場に行くぞ!」
私は、優しさの標本との接触を邪魔され、舌打ちした。
「ちぇ。面倒くさい」
私たちは、葉弍が仕入れてきた情報をもとに、大会会場へと向かった。会場は体育館のような場所で、参加者たちが体重の検査を受けている。
葉弍が体重計に乗った。
「なにィッ!?」
葉弍は叫んだ。
「5キロオーバーだと!?くそっ、ステーキ食いすぎた!」
葉弍が騒いでいる隣で、私も先ほど観察していた三十代後半の男が体重計に乗った。
「あーあ、3キロオーバーか。惜しいな」男は少し焦った顔をしたが、すぐに笑顔になった。
「締切は3時間後だ。このくらい、3時間もあれば落とせます!」
男はそう言うと、隣にいた息子を肩車した。
「行くぞ!ランニングだ!またお母さんと住めるんだぞ!」
息子は笑い、男は息子を乗せたまま外へ走り出していった。その男の参加希望者一覧を見ると、名前はダニエルだとわかった。
「ちぇ、俺も行くぞ、アホライダー!」
葉弍は言った。
「優勝はボクサーじゃねぇ、俺だ!この5キロ、根性で落としてやる!」
葉弍は、緑のスカジャンを脱ぎ捨て、ダニエルたちの後ろを追うように外へ走り出した。
葉弍は、ダニエル親子を追うように走っていた。ダニエルは、肩車した息子と楽しそうに話している。
「あの大会に優勝できたら、またお母さんと暮らせるんだぞ」
息子は無邪気に「やったー!」と叫んでいる。
それを盗み聞きしていた葉弍は、急にペースを落とした。彼の顔には、普段のふざけた表情にはない、複雑な感情が浮かんでいた。
葉弍は、「金」のために戦う旅人だ。ダニエルもまた「金(賞金)」のために戦おうとしている。しかし、ダニエルの目的は「愛」と「家族」という、最も面倒で効率の悪いものだ。
「ちぇ……」
葉弍は呟いた。
「愛とか家族とか、あんな面倒くさいもののために、必死になれるなんてな……」
葉弍は、ダニエルの後ろ姿を見て、自分の「金への執着」が、ダニエルの「愛への執着」と比べて、どれだけ面倒くさいかを考えた。
私は、葉弍が遅れたことに気づいたが、特に気にする様子もなく、受付の椅子に腰掛け、次の「優しさの標本」を待つのだった。
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