第24話 友の痛み
決勝戦の準備が進むラスベガスの地下会場。私は、リングに上がる前の最後のタバコを吸おうとしていた。隣にいたゼニクレマンが、ふいに立ち上がった。
「おい、アホライダー。ちょっとトイレに行ってくる。決勝の前に、緑と金のスカジャンを汚すわけにはいかねぇからな」
ゼニクレマンは言った。
「ああ、好きにしろ。面倒くさいことするなよ」 私は返した。
(ゼニクレマンの視点)
ゼニクレマンは、人気のない通路を歩いてトイレに向かっていた。
その時、一切の気配もなく、背後から声がかけられた。
「ゼニクレマン」
ドスの効いた低い声だ。ゼニクレマンはゾッとした。暗殺者サイレント・キッドさえ、もう少し気配があったはずだ。
恐る恐る振り返ると、そこには決勝の相手、Mr.ゼロが立っていた。覆面のせいで表情は全く読めないが、その体躯は圧倒的だ。目測で2m20cmはありそうな巨体だった。
「ひぃっ…Mr.ゼロかよ。デカすぎだろ」
ゼニクレマンは、喉の奥で呟いた。
「簡単な提案だ」
Mr.ゼロは低い声で言った。
「決勝戦の前に、アホライダーに渡しているタバコを、神経麻痺の成分が入ったものと入れ替えろ。成功すれば、報酬は10万円だ」
ゼニクレマンは全身の緊張を覚えた。裏社会の人間は、勝つために手段を選ばないが、まさかここまでの手を使ってくるとは。
「ちぇ……」
ゼニクレマンは、震えを隠しながら、スカジャンの襟を正した。
「悪いな、Mr.ゼロ。俺は金のために何でもするが、ダチをハメるって面倒くさいことはしねぇ主義なんだよ」
Mr.ゼロは、その回答を聞くと、何も言わなかった。ただ、巨体が一歩踏み出した。
次の瞬間、ゼニクレマンの視界は真っ白になった。
ドゴォン!
Mr.ゼロの、覆面の下に隠された純粋な暴力が、ゼニクレマンの腹部に叩き込まれた。彼は悲鳴をあげる間もなく、壁に叩きつけられ、意識が遠のいた。
ゼニクレマンは、床に倒れ込みながら、最後に聞こえたMr.ゼロの低い声を聞いた。
「面倒なヤツめ」
(アホライダーの視点)
「ちぇ。遅いな、あいつ」
ゼニクレマンがトイレに行ったきり、時間が経っていた。私は決勝前の集中を妨げられるのが面倒くさくて、タバコを吸い終えると、彼の様子を見に立ち上がった。
私は、ゼニクレマンが向かった通路に入った。そして、壁の前に、緑と金のスカジャンを纏った男が倒れているのを発見した。
「おい、ゼニクレマン!何やってるんだ。こんなところで寝るなんて、面倒くさいぞ!」
私は近づき、彼を揺り起こそうとした。しかし、彼はひどく殴打されており、身体中が痙攣していた。
「だ、アホライダー…… Mr.ゼロ……」
ゼニクレマンは、途切れ途切れの声で、何かを伝えようとしたが、それ以上言葉を続けることはできなかった。
「チッ、Mr.ゼロだと?」
私はゼニクレマンを隅に運び、すぐにリングへと戻った。試合直前だ。誰かがゼニクレマンを半殺しにした。これがMr.ゼロの仕業であることは、ほぼ確信した。
私の胸の中には、優しさの探求とは無関係の、純粋な苛立ちが広がった。
VFT トーナメント 決勝戦
リングアナウンサーのコールが、怒号のように会場に響く。
「ついに決勝!Aブロック勝者、無職の挑戦者、アホライダー!」
「対するは、Dブロック勝者、情報ゼロの怪物、Mr.ゼロ!」
私はリングに上がり、Mr.ゼロの巨体を見上げた。2m20cmはあろうかというその体躯は、ただ立っているだけで、私の半殺しの暴力を無力化しそうな威圧感がある。
「アンタが、ゼニクレマンを殴ったのか?」
私はタメ口で、Mr.ゼロに尋ねた。
Mr.ゼロは何も答えない。覆面の下から、冷たい沈黙だけが返ってきた。
カン!
試合開始の瞬間、Mr.ゼロは動いた。その巨体に似合わない、驚異的なスピードだ。
私は、彼のスピードを読み切ろうとした。しかし、彼の拳は私の予測を超えていた。
ドスッ!!
ゴングの直後、Mr.ゼロの巨大な拳が、私の銀色の顔面に真正面から食い込んだ。
私は激しい衝撃で後方へ吹き飛び、リングに膝をついた。
「ぐっ……!」
マスクの下の私は、口の中に広がる鉄の味を感じた。
私は、すぐに立ち上がった。私の赤い目は、Mr.ゼロの姿を捉えた。
Mr.ゼロは、彼は私の顔面にパンチを入れた、最初の相手だ。
「ちぇ。面倒くさい」
私は初めて、心底そう思った。これは、私が今まで対戦してきた、どの相手よりも、純粋に強い。
私は、目の前の巨体を睨みつけた。
Mr.ゼロ。この男を倒さなければ、私は金を得られず、優しさの探求も再開できない。そして何より、面倒くさいダチの借りを返せない。
私の、力が試される時が来たのだ。
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