第14話 ラスベガスへ
九十九組を追放された私は、錆びた自転車を投げ捨て、海沿いの寂しい倉庫街で膝を抱えていた。黒いスーツに銀色の大胸筋と腹筋が光る私の身体は、返り血が乾き、汚れている。赤い目の奥は、静かに混乱していた。
「面倒くさい」
私の口癖だ。だが、今回はその一言では片付けられない。青島組員を半殺しにしたあの瞬間、私は「後始末が面倒くさい」という自分の哲学を自ら破った。
「優しさの標本を壊されたから、暴力で仕返しをする。感情という、最も非効率で面倒くさいノイズが、私の行動原理を支配した。これでは、優しさの定義を探るどころではない」
私は、自分の感情の暴走という、どうとでもよくない真実に直面した。そして、このまま日本にいれば、九十九組の義理か、青島組の報復か、どちらかの面倒に巻き込まれるのは必至だ。
「逃げるか。日本という面倒な場所から、最も面倒くさくなさそうな場所へ」
私が選んだのは、金と欲望がすべてを動かす街、ラスベガスだった。優しさの対極にあるであろう、「取引」の純粋な形を観察するには最適だと思ったのだ。
数日後、私はラスベガスのマッキャラン国際空港に降り立った。黒のスーツに銀の筋肉という異様な姿だが、この街の奇抜な観光客の中では、大して目立たない。赤い目の奥は、ネオンの光を冷たく反射していた。
「騒がしいな。だが、この街の優しさは、分かりやすそうだ」
私の銀色の顔はニッコリと笑ったままだ。
ラスベガス大通り(ストリップ)の巨大なカジノホテル群に足を踏み入れる。そこは、偽りの優しさに満ちていた。
ディーラーは、客が負けても勝っても、決まった笑顔と丁寧な言葉で応対する。ウェイターは、チップのために、客のわがままを丁寧に聞き入れる。高級ホテルは、大金を使う客を王様のように扱う。
「なるほど。この街の『優しさ』の定義は明確だ」
私は、カジノのルーレットテーブルの隅に立ち、タバコを吸った。
その時、一人の年老いた女性が、テーブルで全てを失い、泣き崩れるのを見た。彼女の隣にいたカップルは、冷淡な視線を向けただけで、誰も彼女を助けようとしない。
誰もが、「どうとでもなる(自己責任だ)」という無関心な優しさに支配されていた。
私は、彼女が泣きながらポケットを探り、最後の小銭で、近くにあったスロットマシンに手を伸ばすのを見た。そして、その小銭がカジノの床に落ちた。
「面倒くさい」
私は、過去の自分ならそう言って無視しただろう。しかし、頭の中には、踏み潰されたチョコの激しい怒りが残っている。
優しさとは、感情の爆発によって守るべき、どうとでもよくない何かなのだろうか?
私は、床に落ちたコインを拾うべきか、それとも無視すべきか。ラスベガスのネオンの下、私は優しさの新たな矛盾に直面するのだった。
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