第13話 追放
アホライダーが青島組の組員たちを半殺しにした駐車場は、地獄のような惨状と化していた。本来なら流されないはずだった血が、地面を汚している。
「優しさの標本……」
アホライダーは、薄汚れたマスクの口元から紫煙を吐き出した。
全身の痛みと、暴力を振るった後の途方もない面倒くささに苛まれながら、彼は、血まみれになって倒れている青島組の組員たちが囲むドラム缶の上に腰をかけ、タバコを吸っていた。
彼の黒いのスーツも、銀色の大胸筋や腹筋も、今や返り血で赤黒く染まっている。
そこに、異変に気づき様子を見に来たクロサワが、数人の組員を連れて到着した。
クロサワは、その光景を見て、一瞬息を呑んだ。
倒れ伏す十数人の組員。その中心で、静かにタバコを吸うアホライダー。
彼の平和的な抑止力は、最も非平和的な暴力へと変貌していた。
「おい...!」
クロサワは怒りを押し殺した声で言った。
「これはどういうことだ!平和的に終わらせる約束だったはずだ!これでは、戦争だ!」
アホライダーは、ゆっくりと立ち上がった。
「戦争?違うな。これは私の個人的な事情だ」
アホライダーはタメ口で言った。彼の声は、いつもよりも僅かに低く、感情がこもっていた。
「あいつらが、俺の優しさの標本を踏み潰した。どうでもいいはずのものなのに、なぜか、どうとでもよくないことになってしまった。面倒くさい」
クロサワは、その場に散らばる折れたドスや、アホライダーの足元にある潰れたチョコの残骸を見た。
そして、組員たちに目線を向けた。彼らの目は、この予期せぬ暴力に怒りを通り越して恐怖に染まっていた。
組員の一人が、クロサワに詰め寄った。
「若頭!こんなことをされては、青島組との戦争は避けられません!九十九組の義理と沽券に関わります!こいつをどうにかしないと!」
現場に血を流させず、組の体面を保つ。それが、クロサワがアホライダーを招いた目的であり、九十九組の仁侠道だった。
その目的は、アホライダーの個人的な感情によって、完全に踏みにじられたのだ。
クロサワは、静かに目を閉じた。
(元はと言えば、組長の『平和的な強さ』という理想論に、こいつの『面倒くさがり』の技術を無理やり結びつけようとした、俺の提案だ)
彼は、この異常事態の責任が自分にあることを理解していた。
「わかった」
クロサワは、静かに声を張り上げた。
「すべての責任は、この男を組に招き入れたこのクロサワにある。九十九組の義理と仁侠道を穢したケジメは、この俺がつける」
彼はアホライダーに向き直り、深々と頭を下げた。
「アホライダー。アンタの力は、我々の理想を超えた。それは、我々の手の届かない本物の暴力だ。組は、アンタの力を利用しきれなかった」
クロサワは顔を上げ、彼の目を見て言った。
「アンタには、九十九組から去ってもらう。追放だ。義理を果たすため、ここでアンタと手を切る」
アホライダーは、予想通りの展開に、何の感情も見せなかった。
「別にいい」
アホライダーはタメ口で言った。
「俺が優しさを探すのに、義理とかヤクザとか、どうでもいいノイズだったしな。むしろ、せいせいする」
彼はドラム缶から降り、そのまま錆びた自転車に跨った。血まみれのスーツと、崩壊した「優しさの標本」の記憶だけを携えて。
クロサワは、組員たちの不満と怒りの視線を背中に受けながら、アホライダーが去っていく後ろ姿を、ただ見つめることしかできなかった。
九十九組は、平和的な抑止力を失い、青島組との避けられない抗争の淵に立たされた。
そして、アホライダーは、優しさとは暴力によって守られる「どうとでもよくない感情」であるという、新たな、そして最も面倒な真実を胸に、裏社会から去ったのだった。
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