第9話 男のロマン
アホライダーはクロサワと取引を成立させ、九十九組の本拠地である、古風で威圧感のある組の屋敷に足を踏み入れた。
銀色のマッチョスーツにニッコリ笑顔のマスクという異様な姿は、厳粛な屋敷の中でも異彩を放っていた。
「ここか。優しさの裏側とやらが溢れてる場所は」
アホライダーはタメ口で、一切の緊張感なく言った。
クロサワは彼を屋敷の中へ案内した。廊下の壁には、いかつい男たちの写真や、組の歴史を物語るような物品が飾られている。
アホライダーはそれらには目もくれなかったが、ある部屋の前で足を止めた。
「おい、アンタ。この部屋、なんだ?」
その部屋は、組の武闘派たちが使う訓練部屋だった。そこには木刀や組が使う武器が陳列されていた。
そして、彼の視線は、陳列棚に置かれた黒い物体に釘付けになった。
「それは、チャカ(拳銃)だ」
クロサワが説明した。
アホライダーの銀色のマスクが、初めて明確な「興奮」を表現したように見えた(実際は笑顔のまま)。
「チャカ……。ああ、拳銃!鉄砲か!」
彼は一歩前に出た。面倒くさがりな彼が、自ら何かに興味を示すのは、ナイフとフォークの作法以来かもしれない。
「なんだ、その反応は」
クロサワは興味深そうに尋ねた。
「知らねえのか?チャカは、男のロマンだ。優しさとか義理とか、そんな面倒くさいものとは無関係な、純粋に美しい機能を持つ道具だ」
アホライダーはタメ口で熱弁した。
「おい、クロサワ。これを使わせてくれ。組の抗争とか、優しさの探求とか、全部どうでもいい。今はこのチャカとやらが、一番面倒くさくなくて楽しそうだ」
クロサワは、その無気力な男の底に隠されていた、子供のような純粋な熱意に驚いた。
「いいだろう。組員との取引だ。だが、組は外部の者に武器を持たせない。練習用なら構わん」
クロサワはアホライダーを敷地の裏にある非公開の射撃場へ連れて行った。武闘派の組員たちが、射撃訓練を行っている場所だ。
「護身のためだ。やり方を教えるぞ」
クロサワがチャカを渡した。
アホライダーは説明を聞きながら、チャカを構えた。彼は、ナイフとフォークの作法を理解できなかったが、チャカの構え、トリガーの引き方、呼吸法といった「実用的な技術」を一瞬で把握した。
ズドン!
最初の一発。ターゲットの中心から、わずかに外れた。
「ちぇ。面倒くさいな」
しかし、そこからアホライダーの驚異的な適応力が発揮された。
彼は逆上がりを完璧にこなすのと同じように、チャカの扱いを「面倒くさくない、最も効率的な動き」として体得し始めた。
彼にとって、無駄な力や感情は、すべてターゲットを外す面倒なノイズに過ぎない。
「肩の力を抜く。引き金を引くことと、呼吸をすること。その二つだけあればいい」
彼は誰の指示も聞かず、自分の哲学に従って撃ち続けた。
そして、丸一日が過ぎた。夜、射撃場の照明が消える頃、組員たちは唖然としていた。
アホライダーが撃ち抜いたターゲットの山。すべての弾痕が、寸分違わず中心に集まっていた。
「おい……あれ、本当に今日始めたのか?」
「武闘派のシノハラよりも、チャカの腕がいいぞ……」
アホライダーはタバコを咥え、マスクの隙間から煙を吐き出した。
「ふう。チャカは面白かったな。優しさとか、組の抗争とか、全部チャカで解決すれば一番面倒くさくなくて済むんじゃないか?」
彼は、優しさ探求とは全く関係のないところで、暴力的な解決手段という、最も危険で面倒くさい答えを見つけてしまったのだった。
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