第8話 若頭の義理
九十九組の下っ端たちが壊滅的な敗北を喫した報告は、すぐに若頭であるクロサワの耳に入った。
クロサワは、組長同様、任侠道を重んじる男だったが、非常に切れ者で冷静な判断力を持っていた。
報告を受けたクロサワは、憤慨する組員たちを黙らせ、一言だけ言った。
「そいつは、ただの乱暴者じゃない。戦い方が異常に合理的だ。そして、組のシノギには手を出したが、組員には怪我一つ負わせていない。……面倒くさい、しかし面白い」
クロサワはアホライダーの素性を調べさせ、その無職であること、特技が逆上がりであること、そしてマスクの下で優しさを探しているらしいという、奇妙な噂まで掴んだ。
その翌日。アホライダーが次の街の寂れた公園のベンチでタバコを吸っていると、高級そうなセダンが静かに横付けされた。
中から降りてきたのは、クロサワその人だった。彼は背が高く、落ち着いたスーツ姿で、ヤクザらしからぬ知性を感じさせる。
「おい、お前。今度はなんだ? 面倒くさい」
アホライダーはタメ口で、マスクの隙間から煙を吐き出した。
クロサワはアホライダーの全身を観察した後、口角を少し上げて言った。
「アンタが、アホライダーか。私は九十九組の若頭、クロサワだ」
「ヤクザか。優しさの探求を邪魔するな」
「邪魔じゃない。むしろ、アンタの求めているものに関係する話だ」クロサワは懐から名刺を取り出した。「アンタは『優しさ』を探しているそうだな。だが、アンタの行動は『仁義』に近い」
「仁義? 知らねえな」
「アンタは、部外者ながら、詐欺という不正なシノギを潰した。そして、組員を傷つけることなく、面倒な暴力を避けた。それは我々ヤクザが最も重んじる『義理』に通じる」
アホライダーは興味なさそうにタバコの灰を払った。
「義理? それもまた、面倒くさい義務か、取引だろ。いらねえ」
クロサワは笑った。
「鋭いな。だが、世の中の優しさなんてものは、すべて義理と取引だ。我々の優しさ、つまり任侠道は、『受けた恩は、命を賭けて返す』という、最も面倒くさい長期取引だ」
クロサワは続けた。
「今、我々九十九組は、シノギを荒らしまわっている外部の連中と揉めている。そこで提案だ。アンタの逆上がりの技術、つまりその『面倒を回避する能力』を、一時的に組のために使ってほしい」
アホライダーは、ニッコリ笑顔のマスクの下で真剣に考える素振りを見せた。
「俺に何の得がある?」タメ口は崩さない。
「得か。組が関わる揉め事を解決すれば、アンタはこの地域でのすべての面倒な報復から解放される。それが一つ」クロサワは声を落とした。「そしてもう一つ、我々がどのように優しさ――義理と任侠という名の、最も面倒な優しさを定義し、実行しているか、その裏側の実態を見せてやる。優しさの標本を深く掘り下げるチャンスだ」
「裏側の実態、か……」
アホライダーは、自分の探求が、この「長期取引」という面倒くさい世界に飛び込まなければならないところまで来たことを悟った。
彼は、ポケットの中のおばあさんのチョコを指先で確認した。
「わかった。面倒くさいが、その義理とかいうクソ面倒くさい優しさの裏側を見てやる。ただし、俺は誰の指図も受けない。そして、誰も傷つけない。これが取引の条件だ」
「承知した」クロサワは深く頷いた。「ようこそ、アホライダー。優しさという名の『義理』の世界へ」
アホライダーは、ついに裏社会の核心へと足を踏み入れた。彼の優しさ探求は、最も暴力と取引にまみれた場所で、新たな局面を迎えるのだった。
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