第2話 自転車
義務説に嫌気が差し、人混みを避けて、地方の寂れた商店街に迷い込んだ。ニッコリとしたマスクの下、彼は深くため息をついた。
「優しさとか、超非効率だな。義務なら税金で解決しろよ」
相変わらずぶつぶつ言いながら歩いていると、錆びついた自転車が山積みになった、潰れかけの自転車屋が見えた。店の前では、丸々と太った店主のおっさんが、ひどく困った顔をしている。
おっさんが四苦八苦しているのは、店の奥から巨大な業務用タイヤを運び出すことだった。タイヤは重く、道幅いっぱいに広がっていて、おっさんの腹が邪魔をしてどうにも動かせないらしい。
「ああ、くそ、どうにもならねえ。腰が、腰が……」
おっさんは唸っている。
また面倒事が転がってきたと鼻で笑った。義務じゃないなら、素通りすればいい。
しかし、おばあさんの問いと、食えないチョコの存在が、彼にブレーキをかけた。
(義務じゃなくても、助けたらまたチョコみたいなしょうもないものがもらえるのか? もしかしたら、次はもっとマシなものがもらえるかもしれねえ)
そう考えた瞬間、彼は重い腰を上げた。
「おい、お前。それ、運ぶのか?」
店主に尋ねた。
おっさんは突然現れた銀色マッチョスーツの男に驚き、腰を抜かしそうになった。
「ひっ!? お、お前は誰だ?その格好はなんだ?」
「誰でもいいだろ。私は今、優しさというゴミを探してる。これを運んだら、アンタは俺に何かくれるか?」
おっさんは警戒心よりも、まずタイヤを動かしたい欲求が勝った。
「く、くれるって言っても、現金はねえぞ!ただのタイヤだ!まあ、コーヒーくらいは奢ってやるが……」
「コーヒー? 食事はいらない。私はもう食わなくても死なねえ。じゃあ、いらない」
そう言って、話も聞かずに巨大なタイヤに手をかけた。特技は逆上がり。当然、彼の腕力は並外れている。
「どけ」
彼は一瞬で業務用タイヤを持ち上げ、おっさんが望む場所に設置した。一分もかからない作業だった。
おっさんは呆然としていた。
「おい、約束だ。見返り、さっさと出せ」
催促した。
おっさんは慌てて財布を探そうとしたが、ふと店内の隅にあるものに目が留まった。それは埃まみれの、古びた錆びついたロードバイクだった。
「ああ、そうか!アンタ、そんだけ力があるんだ。よかったらこれ、持っていけ!」
おっさんが指差したのは、どう見てもガラクタにしか見えない自転車だ。
「これ? 私は無職だぞ。自転車なんていらねえ」
「いいから、いいから!これ、もう誰も乗らないから!でも乗れれば旅の足になるだろ?現金渡すより、よっぽど役に立つはずだ!」
少し考えた。歩くのは面倒くさい。それに、これは「義務」として与えられたものではない。親切心から与えられた、実用的な見返りだ。
「……まあ、いい。受け取ってやる」
自転車を受け取った。黒いスーツが、錆びた自転車に跨るという異様な光景。
それを見たおっさんは、笑いを堪えきれない様子で言った。
「いやあ、助かったよ!しかし、おめえさん、その格好で自転車に乗ってる姿は……本当にアホっぽいやつだな!」
おっさんは大声で笑った。
「そうか。アホっぽいやつ、か」
アホライダーはニッコリとしたマスクの下で呟いた。それは、誰の義務でもなく、取引でもなく、ただの嘲笑と感謝の入り混じった純粋な感想だった。
「決めた。俺の名前は、アホライダーだ」
こうして、優しさの探求者は、錆びた自転車と「アホライダー」という、望まぬ名前を手に入れたのだった。
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