第26話 「許してくれ!」と懇願されても、信頼関係は『修復』不可能です

カァン、カァン、カァン!


グリーンホロウの村外れ、俺が即席で作った野外鍛冶場に、重たい金属音が響き渡っていた。

灼熱の炉の中で赤く輝いているのは、先日空から降ってきた謎の鉱石『星の欠片』だ。

この鉱石は、ただ硬いだけではない。

まるで意思を持っているかのように、打たれるたびに形状を変え、ハンマーを持つ者の魔力と感情に反応して、その性質を変化させる。


「ほら、手が止まってるぞブレイド! 温度が下がる前に叩け!」

「くっ……わかってる! うおおおおッ!」


勇者ブレイドが、汗だくになりながらハンマーを振り下ろす。

その手は豆が潰れて血が滲み、顔は煤で真っ黒だ。

かつて王都で煌びやかな鎧を纏っていた男とは思えない姿だが、その瞳だけは真剣そのものだった。


俺、ルーク・ヴァルドマンは、その横で指示を出しながら、魔力による温度調整と、微細な形状のコントロールを行っていた。

俺たちの共同作業は、既に丸二日、不眠不休で続いていた。


「(……驚いたな。まさかここまで根性があるとは)」


俺は心の中で舌を巻いていた。

当初、ブレイドは数時間で音を上げると思っていた。

だが彼は、倒れそうになりながらも歯を食いしばり、俺の厳しい(理不尽とも言える)要求に食らいついてきている。

聖剣を失った喪失感と、自分の愚かさへの後悔が、彼を突き動かしているのだろう。


「いいぞ。不純物が抜けてきた。素材が『形になりたい』って言ってる」


俺は【修理】スキルで鉱石の声を聞いた。

星の欠片は、ブレイドの必死な熱意を受け入れ、剣としての姿を現し始めていた。


「休憩だ! 水分を摂れ!」


俺が合図をすると、ブレイドはその場に大の字になって倒れ込んだ。


「はぁ……はぁ……! 死ぬ……マジで死ぬ……」

「お疲れ様です、ブレイド様、ルーク様」


タイミングを見計らって、聖女アリアが冷たい水とタオルを持って駆け寄ってきた。

彼女もまた、この二日間、俺たちの世話係として付きっ切りで働いていた。


「ありがとう、アリア……」

「生き返る……」


俺たちは貪るように水を飲んだ。

夜風が心地よい。

見上げれば、満天の星空が広がっている。

鍛冶場の熱気と、静かな夜の空気。

不思議な一体感が、そこにはあった。


「……なぁ、ルーク」


呼吸を整えたブレイドが、夜空を見上げながら口を開いた。


「なんだ?」

「この剣が完成したら……俺たちは、魔王を倒しに行く」

「そうだな。それが勇者の仕事だろ」

「ああ。……だからさ」


ブレイドは上半身を起こし、真っ直ぐに俺を見た。


「お前も、来てくれないか」


その言葉に、アリアの手が止まった。

俺はタオルの手を止めず、淡々と聞き返した。


「どこへ?」

「決まってるだろ。俺たちのパーティにだ。また四人で……いや、今はソフィアもあんな感じだから、俺とお前とアリアとソフィアで。昔みたいに旅をするんだ」


ブレイドの声には、希望が満ちていた。

彼は本気でそう思っているようだった。

この数日間の共同作業で、俺との距離が縮まったと感じたのだろう。

一緒に汗を流し、一つの目的(剣の鍛造)に向かって協力した。

だから、関係も「修復」されたはずだと。


「俺は、お前が必要なんだ。技術だけじゃない。こうやって隣にいてくれるだけで、安心するんだよ。お前がいれば、俺はまた最強になれる。……頼む、戻ってきてくれ」


ブレイドは頭を下げた。

アリアもまた、期待のこもった目で俺を見ている。


「ルーク様……私もお願いします。私たちが間違っていました。貴方がいてくれたあの日々が、どれだけ幸せだったか……今ならわかります」


二人の懇願。

それはかつてのような命令ではなく、心からの願いだった。

彼らは反省し、俺の価値を認め、対等な仲間として迎え入れようとしている。

物語なら、ここで「わかった、行こう」と手を取り合って大団円となるところだろう。


だが。


俺は飲み干した水のコップを置き、静かに首を横に振った。


「断る」


冷たい風が吹き抜けた。

ブレイドの顔が強張る。


「……な、なんでだよ。まだ怒ってるのか? 俺ならいくらでも謝るぞ! 土下座だってしてやる!」

「許してくれ! 本当にすまなかった! お前を追放したことも、雑用扱いしたことも、全部俺が悪かった! だから……!」


ブレイドは地面に額を擦り付けんばかりに叫んだ。

「許してくれ」。

その言葉は、悲痛な響きを持っていた。


「頭を上げろ、ブレイド」


俺は溜息をついた。


「怒ってないよ。お前が反省してるのも、頑張ってるのもわかってる。この二日間のお前の働きは、俺も認めてる」

「なら……!」

「でもな、それはそれ、これはこれだ」


俺はハンマーを手に取り、炉の中で赤熱する剣を指差した。


「俺は修理屋だ。壊れた剣なら、叩いて直せる。折れた骨も、歪んだ回路も直せる。……だけどな、ブレイド。『信頼』っていうのは、形ある道具じゃないんだ」


俺は自分の胸をトントンと叩いた。


「一度バキバキに砕けた信頼関係は、どんなに優秀な修理屋でも『元通り』にはできない。接着剤でくっつけたとしても、継ぎ目は残る。ふとした瞬間に、またそこから割れるかもしれない」


「そ、そんなことない! 俺は二度と裏切らない!」

「お前はそう言うかもしれない。でも、俺の方が信用できないんだよ」


俺は残酷な事実を告げた。


「俺がパーティに戻ったとして、ふとした時にお前を見るたびに思うだろうな。『こいつはまた、都合が悪くなったら俺を捨てるんじゃないか』って。……そんな疑念を抱えたまま、背中を預けられるか?」


ブレイドは言葉を失った。

アリアが口元を押さえて俯く。


「俺たちが今、こうして協力できているのは、俺が『修理屋』で、お前が『客』だからだ。ビジネスライクな関係だからこそ、割り切って付き合える。……『昔みたいに』なんて、夢を見るな」


俺の言葉は厳しかったかもしれない。

だが、嘘をついて彼らに期待を持たせる方が、よほど残酷だ。

過去は消えない。

彼らが俺にした仕打ちは、俺の心に深く刻まれている。

今は笑って話せるようになったとしても、それは「傷が治った」だけであり、「傷跡が消えた」わけではないのだ。


「……そう、か」


長い沈黙の後、ブレイドがぽつりと呟いた。

彼は地面を見つめたまま、拳を握りしめていた。

悔しさ、情けなさ、そして納得。

様々な感情が渦巻いているのがわかった。


「……俺は、甘えてたんだな。謝れば済むと思ってた。お前の優しさに、また漬け込もうとしてた」

「気づけたなら上等だ」


俺は立ち上がり、炉の前に戻った。


「さあ、休憩は終わりだ。剣が冷えちまうぞ。……この剣を打ち終えるまでは、俺は最高の相棒として付き合ってやる。その後のことは、その後で考えろ」

「……ああ。わかった」


ブレイドが立ち上がった。

その顔には、先ほどまでの縋るような弱さはなかった。

拒絶された痛みを受け入れ、それでも前に進もうとする、一人の男の顔があった。


「やるぞ、ルーク。最高の剣を作るんだ」

「おう。気合い入れろよ」


カァン!


再び、鍛冶場に音が響き始めた。

俺たちの間に流れる空気は、先ほどまでの「馴れ合い」ではなく、緊張感のある「共闘」へと変わっていた。

信頼関係は修復不可能かもしれない。

だが、互いの実力を認め合う「戦友」としてなら、新しい関係を築けるかもしれない。

ハンマーを振るうたびに、そんな予感が火花と共に散った。


   *   *   *


作業再開から数時間。

東の空が白み始めた頃、ついにその時は訪れた。


「ラストだ! 魂を込めろ、ブレイド!」

「うおおおおおおッ!!」


ブレイドの渾身の一撃が、光り輝く刀身に叩き込まれた。

俺はすかさず【修理・最終定着】のスキルを発動し、不安定だった魔力の波長を固定する。


ジュワァァァ……!


冷却水の中に剣を突き入れると、凄まじい蒸気と共に、七色の光が立ち昇った。

水蒸気が晴れた後、俺の手には一振りの剣が握られていた。


それは、かつての聖剣『グラン・ミストル』とは似ても似つかない姿をしていた。

刀身は夜空のような深い黒。

だが、その内側には無数の星々が散りばめられたように、細かな粒子が煌めいている。

派手な装飾はない。

無骨で、実直で、しかしどこまでも吸い込まれそうな美しさを持つ剣。


「……できた」


俺は剣をブレイドに渡した。

ブレイドは震える手でそれを受け取った。

重い。

けれど、腕に馴染む。

まるで、最初から自分の体の一部だったかのように。


「名前は、お前がつけろ」


俺が言うと、ブレイドは剣を見つめ、静かに呟いた。


「……『星砕(スター・ブレイカー)』」

「星砕き、か。物騒な名前だな」

「ああ。星だろうが運命だろうが、邪魔なものは全部砕いて進む。……今の俺には、お似合いだろ」


ブレイドは剣を掲げた。

朝日が刀身に反射し、黒い剣が白銀に輝いたように見えた。

その瞬間、彼の身体から溢れていた未熟な魔力が、剣を通じて綺麗に循環し、澄んだオーラとなって立ち昇った。


勇者覚醒。

いや、これは「勇者」という肩書きを捨てた、「剣士ブレイド」の誕生だった。


「おめでとう。いい剣だ」


俺が拍手すると、アリアも涙ぐみながら拍手した。

ブレイドは照れくさそうに鼻をこすり、そして俺に向かって手を差し出した。


「ありがとう、ルーク。……この剣の代金、出世払いで頼む」

「金貨一万枚な」

「高ぇよ! 一生かかるわ!」


俺たちが笑い合った、その時だった。


ドォォォォォォォォン……。


地面が揺れた。

鍛冶場の道具が倒れ、アリアが悲鳴を上げる。

地震ではない。

もっと根源的な、世界の悲鳴のような揺れだ。


「な、なんだ!?」

「西の空を見ろ!」


俺が指差した先。

グリーンホロウから西、はるか遠くの王都の方角。

そこの空が、ガラスのように「割れて」いた。

巨大な亀裂が天空に走り、そこから赤黒い闇が溢れ出している。


「あれは……次元の裂け目!?」

「封印が解かれたのか……!」


ガラハドさんとソフィアが、店から飛び出してきた。

ガラハドさんの顔色が悪い。


「主よ! 急報じゃ! 王都より連絡あり! 王城の地下に封印されていた『魔王の本体』が、突如として覚醒! 結界を内側から食い破り、顕現したとのこと!」

「なんだって!? 聖女シルヴィア様が直した結界はどうなった!?」

「結界は健在じゃ! だが、魔王はその結界ごと王都を飲み込み、空中に浮遊させ始めた! ……王都が、魔王城そのものに変貌しようとしておる!」


空を見上げれば、遠くの空に浮かぶ黒い点が見えた。

あれが、王都か。

数百万の民を抱えたまま、空飛ぶ地獄と化した首都。


「シルヴィア様……!」


アリアが蒼白になる。

杖を直したとはいえ、内側からの侵食には対処しきれなかったのか。

いや、魔王はずっとこの時を待っていたのだ。

勇者が弱体化し、聖剣が砕け、人々の心が揺らいだこの瞬間を。


「……行くぞ、ルーク」


ブレイドが、出来たばかりの『星砕』を背負い、俺を見た。


「俺の故郷だ。家族もいる。……見捨てるわけにはいかない」

「奇遇だな。俺の『名誉工匠伯』としての初仕事が、領地(村)を守ることじゃなくて、国を救うことになるとは」


俺はエプロンを外し、愛用のハンマーを担いだ。


「リリス、店を頼む。ガラハドさん、ガレオス、ソフィア、そしてブレイドとアリア。……全員、出撃だ!」

「応ッ!!」


俺たちの声が重なる。

信頼関係は、元通りにはならなかった。

だが、背中を預けるには十分な絆が、今ここにある。


最強の修理屋と、再生した勇者パーティ、そして規格外の仲間たち。

目指すは浮遊する王都。

相手は完全復活した魔王。


「待ってろよ、シルヴィア。……世界ごと『修理』してやるからな!」


俺は魔導バイクに跨り、アクセルを全開にした。

グリーンホロウ防衛戦から、世界救済戦へ。

物語は、最終章へと加速していく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る