第25話 聖剣が砕け散る時。偽りの英雄のメッキが剥がれる

小鳥のさえずりが、割れた窓ガラスの隙間から入り込んでくる。

グリーンホロウの朝は、昨日までの嵐が嘘のように穏やかだった。


俺、ルーク・ヴァルドマンは、半壊した店内の片付けに追われていた。

床には瓦礫が散乱し、棚は倒れ、売り物の雑貨が散らばっている。

昨夜の、勇者ブレイド(魔化状態)との激闘の爪痕だ。


「……はぁ。こりゃあ、修繕に三日はかかるな」


俺はため息をつきながら、折れたホウキの柄をゴミ袋に入れた。

店自体は俺の【修理】スキルで直せるが、内装や小物の整理は手作業でやる必要がある部分も多い。

それに、精神的な疲労も溜まっていた。


「主よ、手伝おう」


ガラハドさんが、箒を持って現れた。

元剣聖に掃除をさせるのは気が引けるが、今は猫の手も借りたい。


「助かります。……あいつは?」

「まだ寝ておるよ。あれだけ魔力を暴走させ、身体を酷使したのじゃ。丸三日は起きんでも不思議ではない」


ガラハドさんの視線が、奥の客間に向けられる。

そこには、昨夜倒れたブレイドが運び込まれている。

聖女アリアがつきっきりで看病しており、賢者ソフィアも薬の調合をしてくれているはずだ。


「……聖剣は?」

「あそこだ」


俺は作業台の上を顎でしゃくった。

そこには、昨夜の戦いで正気を取り戻した(ように見える)聖剣『グラン・ミストル』が鎮座していた。

赤黒い瘴気は消え、本来の白銀の輝きを取り戻している。

一見すれば、元通りの聖剣だ。


だが、俺の目には見えていた。

その刀身の奥深くに走る、無数の致命的な亀裂が。


「……死んでおるな」


ガラハドさんが静かに言った。


「ええ。昨日の戦いで、魔王の思念体を追い出すために全力を使い果たした。それに、その前からブレイドの荒い扱いで限界が来ていた。……今は、皮一枚で繋がっているだけの硝子細工です」


もう、武器としては使えない。

振れば折れる。

いや、持ち上げるだけで崩れるかもしれない。

それが、伝説の聖剣の末路だった。


「ブレイドが目覚めたら、どうするつもりじゃ?」

「事実を伝えますよ。それが修理屋の義務ですから」


俺は淡々と答えたが、胸の奥には重いものが沈殿していた。

あいつにとって、あの剣はアイデンティティそのものだ。

それを失った時、あいつはどうなるのか。


   *   *   *


昼過ぎ。

客間から、ガタゴトという物音が聞こえた。


「……ブレイド様! まだ動いては!」

「……放せ。俺は……確認しなきゃならないんだ」


アリアの制止を振り切り、ふらつく足取りでブレイドが出てきた。

顔色は青白く、目の下には隈ができている。

ボロボロの寝間着姿は、かつて王都で喝采を浴びていた英雄とは程遠い。


「よう。お目覚めか」


俺がカウンター越しに声をかけると、ブレイドはビクリと肩を震わせ、気まずそうに目を逸らした。


「……ルーク。店、ひどい有様だな」

「誰のせいだと思ってるんだ。請求書は王都の実家に送っておくぞ」

「……ああ。払うよ。いくらでもな」


いつもなら「ふざけるな!」と食ってかかるところだが、今日の彼は妙に素直だった。

いや、素直というより、覇気がない。

燃え尽きた灰のような目をしている。


彼はゆっくりと、作業台の方へと歩み寄った。

そこに置かれた聖剣に、吸い寄せられるように。


「……グラン・ミストル」


ブレイドは剣の前に立ち、震える手を伸ばした。


「触るなよ。壊れるぞ」


俺は警告した。

だが、ブレイドは聞かなかった。

どうしても、その感触を確かめずにはいられないようだった。


「……俺の、剣だ」


彼はそっと柄を握った。

そして、持ち上げた。


パキッ。


小さな、乾いた音がした。

ブレイドの動きが止まる。


「……え?」


パキ、ピキキキキ……。


音は連鎖し、大きくなっていく。

ブレイドの手の中で、白銀の刀身に亀裂が走る。

それはまるで、凍りついた湖面にヒビが入るように、音もなく、しかし確実に広がっていった。


「ま、待て。嘘だろ……?」


ブレイドは顔を引きつらせ、剣を両手で支えようとした。

だが、その振動さえも致命傷だった。


ガシャァァァン……。


甲高い音を立てて、伝説の聖剣が砕け散った。

刀身は粉々の破片となり、床に降り注ぐ。

柄だけが、ブレイドの手に残された。


「あ……あぁ……」


ブレイドは呆然と、手の中の柄と、足元の銀色の砂を見つめた。


「グラン……ミストル……?」


声が震える。

信じたくない現実。

魔王を倒すために神から授かった、不滅の剣。

それが、こんなにもあっけなく、ただ持ち上げただけで崩れ去るなんて。


「寿命だよ」


俺は作業の手を止めずに言った。


「昨日、お前の中にいた魔王の影を道連れにして、そいつは力を使い果たした。お前を守るために、最後の命を燃やし尽くしたんだ」


「俺を……守るために?」


「そうだ。あのまま魔王に乗っ取られていれば、お前は廃人になっていただろう。剣が身代わりになって、瘴気を吸い込んで自壊したんだ」


ブレイドはその場に膝をついた。

散らばった破片を、必死にかき集めようとする。

指が切れ、血が滲むが、構わずに集める。


「直してくれ……! ルーク! お前なら直せるだろ!? なんでも修理屋なんだろ!?」


彼は破片を俺に差し出し、懇願した。

その顔は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃだった。

プライドも、見栄も、そこにはなかった。

ただ、大切な半身を失った子供のような姿だけがあった。


俺はため息をつき、首を横に振った。


「無理だ」

「なっ……!?」

「物理的にくっつけることはできる。形だけ元通りにすることはな。だが、それはもう『聖剣』じゃない。ただの銀色の剣だ。中にある核(コア)も、魂も、もう消滅してる。抜け殻だよ」


「そんな……」


ブレイドは絶望に打ちひしがれ、床に突っ伏した。


「俺は……俺はどうすればいいんだ。鎧もなくし、剣もなくし……何も残ってないじゃないか……」


「そうだな。今の文字通り、お前は空っぽだ」


俺の冷たい言葉に、後ろにいたアリアとソフィアが「ルーク!」と咎めるような声を上げた。

だが、俺は止まらなかった。

ここで甘やかしては、何の意味もない。


「ブレイド。お前は今まで、その剣の輝きに隠れて、自分自身を見てこなかった。聖剣があるから勇者。強い装備があるから英雄。……そのメッキが、今、完全に剥がれたんだよ」


俺はカウンターを出て、ブレイドの前にしゃがみ込んだ。


「なぁ、昨日の戦いを覚えてるか?」

「え……?」

「お前、最後はナマクラ剣で魔王の影を受け止めたよな。あの時、お前は聖剣を使ってなかった。ただの安い鉄の剣で、しかもボロボロの身体で、一撃を防ぎ切った」


ブレイドはハッとして顔を上げた。

昨夜の記憶。

魔剣と化した聖剣の一撃を、ありあわせの武器で受け止めた感触。

重かった。痛かった。

けれど、確かに防いだ。


「あれは、装備の力じゃない。お前自身の力だ」


俺は彼の胸を指差した。


「お前が今まで積み重ねてきた経験、身体に染み付いた技術、そして『負けたくない』っていう意地。それが、あの瞬間だけは本物だった」


「俺の……力……?」


「ああ。お前は、聖剣がなきゃ何もできない雑魚じゃない。ただ、道具に頼りすぎてサボってただけの、磨けば光る原石だ」


俺は床に散らばった聖剣の破片を一つ拾い上げた。


「この剣は、もう役目を終えた。これからは、お前自身が強くなる番だ。メッキじゃなくて、中身の地金(じがね)を鍛え直すんだよ」


ブレイドは震える手で、自分の胸に触れた。

そこにある心臓の鼓動。

装備を失い、地位を失い、すべてを失った自分。

でも、ここにはまだ、熱いものが流れている。


「……俺に、できると思うか?」


彼は掠れた声で聞いた。

縋るような目だった。


「さあな。それはお前次第だ。……でもまあ、うちは『修理屋』だからな。壊れた人間を直すのも、業務の範囲内だ」


俺はニカッと笑って、手を差し出した。


「手伝ってやるよ。ただし、スパルタだぞ。ジャガイモ剥きだけじゃ済まないからな」


ブレイドは俺の手を見つめ、そして自分の泥だらけの手を見つめた。

やがて、彼は決意を込めて、俺の手を強く握り返した。


「……頼む。俺を、直してくれ」


その言葉と共に、彼の中から、かつての「勇者ブレイド」という虚像が完全に消え去った。

そこにいるのは、ただの一人の青年剣士。

弱くて、情けなくて、でも、ここから這い上がろうとする一人の男だった。


「契約成立だ」


俺が彼を引き立たせると、店内に拍手が響いた。

ガラハドさん、ソフィア、アリア、そしていつの間にか集まっていたリリスやガレオスたちだ。

みんな、温かい目で俺たちを見ていた。


「フッ、青春じゃのう」

「よかった……本当によかったわ、ブレイド」


アリアが涙を拭いながら駆け寄り、ブレイドに抱きついた。

ブレイドは顔を赤くして「よ、よせよ!」と照れていたが、その表情は今まで見たことがないほど穏やかだった。


   *   *   *


その日の夕方。

俺はブレイドを連れて、村の裏手にある「ゴミ捨て場」へと向かった。

そこには、かつて俺が修理したガラクタの余りや、黒騎士軍との戦いで回収したスクラップが山積みになっている。


「ここがお前の新しい修行場だ」

「ゴミ捨て場……?」

「そうだ。ここにある鉄屑を使って、自分だけの剣を打て」


「はぁ!? 俺が剣を打つのか!?」

「当たり前だ。自分の道具の構造も知らずに使いこなせるか。素材を選び、熱し、叩き、魂を込める。その過程を知れば、剣はお前の手足になる」


俺は即席の金床とハンマーを彼に渡した。


「俺が手本を見せるのは一度だけだ。あとは自分でやれ。失敗したらやり直し。納得いくものができるまで、飯抜きだ」

「き、厳しいな……!」

「文句があるなら帰っていいぞ? 王都のふかふかベッドが恋しいか?」

「……誰が帰るかよ! やってやるさ!」


ブレイドはハンマーを握りしめた。

その目は真剣だった。

かつて聖剣を振るっていた手が、今は錆びた鉄板を叩いている。

カァン、カァン、という拙い音が響く。


俺は少し離れた場所で、腕組みをして見ていた。

不器用だ。

力の加減がわかっていない。

すぐに豆が潰れて血が出るだろう。


でも、それでいい。

自分の痛みを知り、鉄の痛みを知る。

それが「再生」への第一歩だ。


「主よ。あやつ、意外と筋がいいかもしれんぞ」


いつの間にか横に来ていたガラハドさんが、顎を撫でながら言った。


「集中力がある。それに、迷いがない。聖剣という重荷を下ろして、身軽になったようじゃ」

「そうですね。……もしかしたら、聖剣を持っていた頃より強くなるかもしれませんよ」


俺たちは夕日に照らされた元勇者の背中を見守った。

かつて世界を救うと言われた男が、今は泥まみれになって鉄屑と格闘している。

滑稽かもしれない。

だが、今の彼の方が、王都でパレードをしていた頃よりも、ずっと輝いて見えた。


「さて、俺たちも忙しくなるぞ」


俺は西の空を見上げた。

そこには、日が沈んでもなお、不気味に赤く輝く星があった。

魔王の本体。

ブレイドの中にいた影は、ほんの端末に過ぎない。

本物が動き出すのは時間の問題だ。


「ソフィアの杖は完成した。城壁も万全。あとは……」


「わしの剣か?」

ガラハドさんが愛剣『蒼天の牙』を撫でる。

「いや、ガラハドさんの剣は十分だ。問題は……『切り札』がないことだ」


魔王はおそらく、物理攻撃も魔法攻撃も効きにくい、概念的な存在になっている可能性がある。

聖剣が砕けた今、対抗手段が不足している。

ブレイドが新しい剣を打つのが間に合えばいいが、それだけでは心許ない。


「何か、規格外の素材があればなぁ……」


俺が呟いたその時。

ドォォォォォン!!

と、村の入り口の方から爆音が響いた。


「敵襲か!?」

「いや、違う! 何かが空から落ちてきたぞ!」


村人たちの騒ぎ声。

俺とガラハドさんは顔を見合わせ、現場へと急行した。


城壁の前の地面に、巨大なクレーターができていた。

その中心で、白い煙を上げている物体がある。

それは、隕石――いや、金属の塊だった。

虹色に輝く、未知の鉱石。


「こ、これは……」

「オリハルコン? いや、ヒヒイロカネか?」


俺は慎重に近づき、【修理】スキルの解析眼で覗き込んだ。

そして、息を呑んだ。


《対象:星の欠片(スター・フラグメント)。

 状態:高純度魔力結晶体。

 特性:万能変質、概念干渉、自己進化。

 判定:神話級素材》


「……願ったり叶ったりだな」


俺はニヤリと笑った。

空から降ってきたこの贈り物は、間違いなく、最強の武器を作るためのラストピースだ。


「ルーク! なんだ今の音は!」

工房からブレイドが飛び出してきた。

彼はクレーターの中の鉱石を見て、目を見開いた。


「……なんだ、あれ。すごく……懐かしい感じがする」

「懐かしい?」

「ああ。グラン・ミストルと、同じ匂いがするんだ」


どうやら、聖剣の素材もこれと同種のものだったらしい。

俺はブレイドの肩を叩いた。


「ブレイド。お前の新しい相棒、空から届いたみたいだぞ」

「え……?」

「ただし、これを打てるのは今のところ俺しかいない。……手伝うか? 俺と一緒に、世界最強の剣を作るのを」


ブレイドはゴクリと唾を飲み込み、力強く頷いた。


「やる! やらせてくれ!」


俺たちは鉱石を運び出した。

聖剣が砕け散った日に、新たな神剣の産声が上がろうとしていた。

偽りの英雄のメッキが剥がれ、その下から現れた本物の鋼が、今、熱く赤く燃え上がり始めていた。


(第25話 終わり)

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