第18話 裏切ったのは勇者だけ。魔法使いの杖を『限界突破』させる

「……ここが、グリーンホロウなのか?」


魔導バイクの後部座席で、勇者ブレイドが呆然と呟いた声が風に流れていく。

夜明け前の薄暗がりの中、バイクのライトが照らし出したのは、村の入り口にそびえ立つ巨大な黒鉄の城壁だった。

高さ五メートル、オリハルコン級の強度を持つその壁は、以前のボロボロだった木の柵とは似ても似つかない、難攻不落の要塞の威容を誇っていた。


「ああ、そうだ。お前たちが『何もない田舎』だと馬鹿にしていた場所だよ」


俺、ルーク・ヴァルドマンはハンドルを切り、自動開閉式のゲート(俺が魔力センサーを取り付けて改造した)を通過した。

ウィーン、と静かな音を立てて開く重厚な門を見て、ブレイドとサイドカーに乗っている聖女アリアは言葉を失っていた。


「う、嘘だ……。王都の城門より立派じゃないか……」

「こんな辺境に、どうして……?」


俺は彼らの驚きを無視して、バイクを村の中へと走らせた。

整備された石畳の道。

一定間隔で配置された街灯(炎熱石を利用した自動照明)が、温かな光で道を照らしている。

家々はどれも新しく修繕され、各家庭の煙突からは朝食の準備をする煙が立ち昇っている。

そこにあるのは、貧困や絶望とは無縁の、豊かで満ち足りた生活の風景だった。


「ついたぞ。降りな」


俺は店の前でバイクを停めた。

ガラハドさんとリリスが出迎えてくれる。


「主よ、早かったな。……ほう、それが噂の勇者パーティか」


ガラハドさんが値踏みするように三人を見下ろした。

今のブレイドたちは、泥だらけで痩せこけ、まさに浮浪者同然の姿だ。

かつての栄光を知る者が見れば、涙なしには見られないだろう。


「……剣聖、ガラハド?」


ブレイドが震える声で言った。

彼は腐っても勇者だ。相手の実力を本能的に悟ったのだろう。

目の前の老人が、今の自分など指先一つでひねり潰せるほどの達人であると理解し、顔色をさらに悪くした。


「いかにも。主の店で用心棒をしておるガラハドじゃ。……安心せい、主が連れ帰った客に手を出すほど野暮ではない」


ガラハドさんは鼻を鳴らし、ブレイドから興味を失ったように視線を外した。

その態度が、ブレイドのプライドをさらに傷つけたようだが、今の彼には言い返す気力もなかった。


俺はブレイドとアリアを店の中に運び込み、先に保護していた賢者ソフィアのいる部屋へと連れて行った。


   *   *   *


数十分後。

俺の家の客間では、奇妙な朝食会が開かれていた。

テーブルには、焼きたてのパン、具だくさんのスープ、そして新鮮なサラダが並んでいる。

ブレイド、アリア、ソフィアの三人は、まるで飢えた狼のように食事に食らいついていた。


「うっ、うまい……! なんだこのパンは! 王都の高級店より柔らかいぞ!」

「スープが……身体に染み渡りますわ……」

「生き返る……」


涙を流しながら食べる彼らを見て、俺は複雑な気分でコーヒーを啜っていた。

彼らが食べているのは、俺が修理した調理器具と、トラクターで耕した畑で採れた野菜で作った、この村ではごく普通の朝食だ。

だが、極限状態にあった彼らにとっては、至高のご馳走なのだろう。


「……ルーク」


皿を空にしたブレイドが、ようやく落ち着きを取り戻し、俺の方を向いた。

その目には、少しだけ生気が戻っていたが、同時に以前のような傲慢な光も宿り始めていた。


「礼を言うぞ。迎えに来てくれたことも、この食事もな。……まあ、合格だ」

「合格?」

「ああ。俺たちへの待遇としては、及第点を与えてやる。この村の発展ぶりも驚いたが、これもお前が俺たちのために準備していた拠点なんだろう?」


ブレイドはニヤリと笑った。


「わかっているさ。お前は俺たちに追放されて悔しかった。だから、俺たちを見返すために、そしていつか俺たちが戻ってきた時に驚かせるために、必死でこの村を作ったんだな? 可愛い奴め」


俺はコーヒーを吹き出しそうになった。

すごい。

ここまでポジティブに解釈できるのは、ある意味才能だ。


「あのな、ブレイド。勘違いするなよ」

「照れるな。……よし、決めたぞ。俺たちはこの村を新たな拠点とする。お前の作ったこの家も悪くない。俺たちの『勇者基地』として使ってやるから、お前も光栄に思え」


ブレイドは勝手に立ち上がり、部屋を見回し始めた。

アリアも、少し元気が出たのか、同調するように頷く。


「そうですわね。王都の屋敷ほどではありませんが、空気は綺麗ですし、静養には良さそうですわ。ルーク様、私の部屋には天蓋付きのベッドを用意してくださいね」


……ダメだこいつら。

根本的な認識が、俺を「下僕」として扱っていた頃から更新されていない。

俺が助けたことで、「やっぱりルークは自分たちが好きなんだ」と確信してしまったようだ。


「……座れ」


俺は低い声で言った。

怒鳴ったわけではない。ただ、静かに告げた。

だが、その言葉には、今の俺が持つ「自信」と「実力」が込められていた。


「え?」

「座れと言ってるんだ。ここは俺の店だ。お前らは客ですらない。ただの『保護された遭難者』だ。勘違いするな」


俺の冷徹な視線に、ブレイドとアリアはたじろぎ、大人しく椅子に座り直した。


「いいか、はっきり言っておく。俺はお前らのためにこの村を作ったんじゃない。俺自身と、この村の人たちのためにやったんだ。お前らがここを拠点にする? 寝言は寝て言え。怪我が治ったらすぐに出て行ってもらう」


「なっ……! つ、冷たいこと言うなよ! 俺たちは仲間だろ!?」

「仲間? 仲間をダンジョンの深層に置き去りにする奴がか?」


俺の一言に、ブレイドは言葉を詰まらせた。

部屋に重苦しい沈黙が流れる。

その沈黙を破ったのは、それまで黙って俯いていた賢者ソフィアだった。


「……違うわ、ブレイド」


ソフィアは静かに立ち上がった。

その顔には、決意の色が浮かんでいた。


「ルークは正しいわ。私たちは、彼に甘えているだけ。捨てたのは私たちの方なのに、都合が悪くなったら『仲間』だなんて……虫が良すぎるわ」

「ソフィア! お前、どっちの味方だ!」

「私は、『正しさ』の味方よ。そして今、正義はルークにあるわ」


ソフィアは俺の方に向き直ると、深々と頭を下げた。


「ごめんなさい、ルーク。ブレイドやアリアの言葉は、私が止めます。彼らはまだ、現実を受け入れられていないだけなの。……でも、私はわかったわ」


彼女は懐から、ボロボロになった自分の杖を取り出した。

先端の宝石は砕け、柄には無数のヒビが入っている。

昨夜、ダンジョンから脱出するために無理やり魔力を暴走させ、完全に壊れてしまった杖だ。


「ルーク。お願いがあるの」

「……杖の修理か?」

「いいえ。……取引よ」


ソフィアは顔を上げ、真剣な眼差しで俺を見た。


「黒騎士の軍勢が迫っているのでしょう? ガラハド殿がいるとはいえ、敵は数千とも言われる魔族軍。戦力は少しでも多い方がいいはずだわ」

「……まあ、な」

「私は賢者よ。魔力さえあれば、広範囲殲滅魔法で軍勢を足止めできる。でも、今のこの杖じゃ何もできない」


彼女は壊れた杖を俺の前に差し出した。


「この杖を直して。そうしたら、私はこの村のために戦うわ。勇者パーティの賢者としてじゃなく、一人の魔導師として、あなたの村を守るために命を懸ける。それが、私なりの贖罪よ」


その言葉には、嘘も計算もなかった。

かつて「効率」ばかりを求めていた彼女が、今は「恩義」と「贖罪」のために動こうとしている。

ブレイドやアリアがまだ過去の栄光にしがみついている中で、彼女だけは前に進もうとしていた。


俺はソフィアの目を見た。

そこにあるのは、魔導師としての誇りと、覚悟。


「……わかった。取引成立だ」


俺は杖を受け取った。

ズシリと重い。

持ち主の無茶な魔力行使に耐え、砕け散る寸前まで彼女を守り抜いた杖だ。

その「魂」は、まだ死んでいない。


「ついて来い、ソフィア。工房で直してやる」

「え、ええ!」


俺はソフィアを連れて、一階の工房へと向かった。

ブレイドたちが「お、俺の剣は!?」「私の服は!?」と騒いでいたが、ガラハドさんが「黙って食え」と一睨みして黙らせたようだった。


   *   *   *


工房に入ると、俺は杖を作業台に固定した。

【修理】スキル、解析開始。


(……魔力回路は焼き切れている。核(コア)も粉々だ。普通なら廃棄処分だな)


だが、俺の職人魂が、それでは納得しないと言っていた。

ソフィアの覚悟に応えるなら、ただ元通りにするだけじゃ足りない。

相手は数千の軍勢。

生半可な魔法では、足止めすらできないだろう。

ならば、必要なのは「規格外」の力だ。


「ソフィア。お前の魔力特性は『多重展開(マルチタスク)』だったな?」

「え、ええ。同時に複数の魔法を操るのが得意だけど……出力不足が弱点なの」

「なら、その弱点を機械的に補ってやればいい」


俺は棚から、先日Sランク冒険者から貰った素材を取り出した。

『炎竜の牙』の粉末。

『風精霊の結晶』。

そして、魔力を増幅させる『ミスリル銀』のインゴット。


「ちょ、ちょっとルーク!? それ、国宝級の素材じゃない!? そんなに使っていいの!?」

「構わん。この村を守るための必要経費だ」


俺はハンマーを構えた。

イメージするのは、ソフィアの計算能力と処理速度を極限まで活かし、かつ出力不足というボトルネックを破壊する「最強のデバイス」。


「いくぞ! 【修理】、発動!」


カァァァンッ!!!


一撃目。

砕けた杖の破片が光り輝き、ミスリル銀と融合して新たな柄を形成する。

以前のような木製の杖ではない。

金属質の光沢を持つ、流線型の未来的なフォルムへと変わっていく。


「回路再構築! 冷却システム増設! 安全リミッター解除!」


カァン! カァン!


二撃、三撃と叩くたびに、杖に複雑な紋様が刻まれていく。

それは魔法陣というより、電子回路の基盤に近い。

魔力の伝達ロスをゼロにし、入力された魔力を内部で循環・増幅させてから放出する「ターボチャージャー」のような機構だ。


「ソフィアの魔力じゃ、一発撃ったらガス欠になる。だから、周囲のマナを強制的に吸い上げて燃料にする『魔力吸収(ドレイン)』機能もつける!」


俺は『風精霊の結晶』を砕き、杖の先端に埋め込んだ。

これにより、大気中のマナを呼吸するように取り込み、無限の弾薬庫とすることができる。


「仕上げだ! 『限界突破(リミットブレイク)』モード実装!」


ドォォォォォン!!!


最後の一撃と共に、工房内が眩い閃光に包まれた。

光が収まると、作業台の上には、一振りの杖が浮いていた。

プラチナシルバーのボディに、青いラインが走っている。

先端には巨大な結晶が回転し、低い駆動音(ハムノイズ)を響かせている。

それはもはや、魔法の杖というより、SF映画に出てくるビームライフルのようだった。


「……な、なにこれ」


ソフィアが呆然と呟く。

俺は杖を手に取り、彼女に渡した。


「『賢者の杖・改』だ。持ってみろ」


彼女が恐る恐る杖を握る。

瞬間。

ブォォォン!

杖が起動し、空間にホログラムのような照準器と、魔法の術式データが表示された。


「ひゃっ!? なにこの情報量!?」

「お前の脳なら処理できるだろ? 照準は視線誘導でオートロックする。魔力充填は自動だ。お前はただ、撃つ魔法を選んでトリガーを引くだけでいい」

「トリガーって……これ、本当に杖なの?」

「形は杖だ。機能は……まあ、移動砲台だな」


ソフィアは震える手で杖を構えてみた。

魔力を込める必要すらない。

ただ「炎」と念じただけで、杖の先端に圧縮された超高熱の火球が生成される。

それも一つではない。十個、二十個……彼女の並列処理能力の数だけ、同時に展開される。


「すごい……。これなら、私一人で一個大隊と渡り合える……」

「ただし、調子に乗って撃ちすぎると脳がオーバーヒートするから気をつけろ。冷却用に『氷魔法自動展開』も組み込んであるけどな」


ソフィアは杖を抱きしめ、俺を見た。

その目には、涙と、そして強い光が宿っていた。


「ありがとう、ルーク。……これなら、戦える。あなたを守れるわ」

「俺を守るんじゃない。村を守るんだ。頼んだぞ、ソフィア」


   *   *   *


工房から出ると、店の空気が変わっていた。

ガラハドさんが、剣を佩いて入り口に立っている。

リリスが、不安そうに俺の服の裾を掴んだ。


「主よ。……来たぞ」


ガラハドさんの言葉と同時に、地面が微かに震え始めた。

ズズズズズ……。

遠くから響く、地鳴りのような音。

それは地震ではない。

数千の軍勢が、整然と行軍する足音だ。


「敵襲ーッ!! 西の森から、黒い軍団が来るぞーッ!!」


見張り台にいた村人の叫び声が響く。

ついに、来たか。

魔王軍の反乱分子、『黒騎士』の軍勢。


「ルーク、どうするんだ!?」

「敵が来たって……僕たちはどうすれば!?」


客室からブレイドとアリアが飛び出してきた。

顔色が青い。

戦う力のない今の彼らにとって、魔王軍の襲来は死刑宣告に等しい。


「お前らは店の中でじっとしてろ。ここが一番安全だ」

「で、でも……!」

「安心しろ。この村には、最強の防衛システムがある」


俺はニヤリと笑い、リリスの頭を撫でた。

そして、新装備を手に入れたソフィアと、剣聖ガラハドさんを見る。


「行くぞ。グリーンホロウ防衛戦、開始だ」


俺たちは店の外へと飛び出した。

黒鉄の城壁の上に立つと、眼下に広がる光景が見えた。

森を抜け、平原を埋め尽くす黒い鎧の軍団。

その数、およそ三千。

先頭には、一際巨大な漆黒の馬に跨り、禍々しいオーラを放つ『黒騎士』の姿があった。


「……ふん。数だけは一人前じゃな」


ガラハドさんが不敵に笑う。


「射程圏内よ、ルーク。いつでも撃てるわ」


ソフィアが『賢者の杖・改』を構え、その瞳に無数の照準を展開させる。

彼女の背中には、もう迷いはない。

裏切ったのは勇者だけ。

魔法使いは今、俺たちの最強の矛(ほこ)として覚醒した。


「ようこそ、グリーンホロウへ。……手厚く歓迎してやるよ」


俺は城壁の手すりに手をかけ、迫りくる軍勢を見下ろした。

さあ、俺の「修理」した村の力、存分に見せてやろうじゃないか。

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