第17話 ルークの元に、元仲間(魔法使い)が泣きついてきた
冷たい石畳の上で、賢者ソフィアは目を覚ました。
視界は暗く、空気は澱んでいる。
そこはグリーンホロウ地下迷宮の第三階層、出口のない大広間だ。
「……うぅ」
身体の節々が痛む。
昨夜(時間の感覚などとうにないが)、ガーゴイルの群れに襲われ、為す術なく蹂躙された記憶が蘇る。
隣を見れば、勇者ブレイドと聖女アリアが、泥のように眠っていた。
二人とも顔色は土気色で、呼吸は浅い。
特にアリアは衰弱が激しく、このままでは数時間も持たないかもしれない。
「……喉が、渇いた」
ソフィアは乾いた唇を舐めた。
水筒は空だ。食料もない。
頼みの綱だった宝箱は空っぽだった。
完全に詰んでいる。
「(私の……計算ミスだわ)」
ソフィアは割れた眼鏡を直しながら、自嘲した。
彼女は「賢者」として、常に合理的で効率的な判断をしてきたつもりだった。
ルークを追放したのも、彼のリソースを攻撃職に回した方が「数値上の戦力」が上がると計算したからだ。
だが、その計算式には致命的な欠陥があった。
ルークという存在がもたらしていた「数値化できない恩恵」――快適さ、安心感、装備の信頼性、士気の維持――を、ゼロとして計上してしまっていたのだ。
「馬鹿ね、私。……変数が、まるで足りていなかった」
彼女はよろよろと立ち上がった。
このまま座して死を待つか。
それとも、僅かな可能性に賭けて足掻くか。
彼女の視線が、部屋の隅にある通気口に向けられた。
人間が通るには狭すぎる、小さな穴だ。
だが、昨夜の戦闘中、そこから微かに新鮮な風が吹き込んでいるのに気づいていた。
あそこは恐らく、地上のどこかに繋がっている。
「……私の杖」
ソフィアは愛用の杖を手に取った。
ルークのメンテナンスを失い、魔力回路がボロボロになった杖。
もう、まともな魔法は撃てない。
だが、杖の核(コア)に残った魔力を「暴走」させれば、一度だけ爆発的なエネルギーを生み出せるかもしれない。
「(身体強化魔法を、限界まで圧縮して自分にかければ……あるいは)」
それは賭けだった。
身体の骨格を一時的に変形させるほどの負荷をかけ、あの狭い通気口を強引に抜け出す。
成功しても、身体へのダメージは計り知れない。失敗すれば、全身の骨が砕けて即死だ。
それに、もし成功しても、脱出できるのは一人だけ。
「……ブレイド。アリア」
ソフィアは仲間を見下ろした。
彼らを見捨てて自分だけ逃げるのか?
いや、違う。
ここで全員共倒れになるより、誰か一人が外に出て助けを呼ぶ方が、生存確率は「0%」から「0.1%」に上がる。
それが、最も合理的な判断だ。
「行ってくるわ。……必ず、助けを連れてくる」
ソフィアは決意を込め、杖を胸に抱いた。
そして、最後の魔力を振り絞る。
「魔力回路、全開放。対象、私自身。術式……『強制圧縮(スクイーズ)』!」
バヂヂヂッ!
杖が悲鳴を上げ、砕け散る。
同時に、ソフィアの身体を激痛が襲った。
全身の骨が軋み、筋肉が悲鳴を上げる。
彼女は脂汗を流しながら、通気口へと身体を滑り込ませた。
暗闇の中を、芋虫のように這い進む。
泥と苔の臭い。
岩肌が肌を削り、服を引き裂く。
痛い。苦しい。
でも、止まるわけにはいかない。
「(ルーク……!)」
脳裏に浮かぶのは、かつて見下していた少年の笑顔。
今ならわかる。
あの日々は、彼のおかげで輝いていたのだと。
もし彼に会えたら、プライドなんて捨てて土下座しよう。
罵られてもいい。あざ笑われてもいい。
だから、どうか。
「(助けて……ルーク!)」
一筋の光が見えた。
ソフィアは最後の力を振り絞り、外の世界へと這い出した。
* * *
「……で、あるからして、敵の襲撃ルートはこの二つに絞られる」
グリーンホロウの村、朝の作戦会議。
俺、ルーク・ヴァルドマンは、店のテーブルに広げた地図を指差しながら説明していた。
向かいに座っているのは、元剣聖ガラハドさんと、魔族の少女リリスだ。
「黒騎士の軍勢が来るなら、街道沿いの正面突破か、あるいは裏手の森からの奇襲か。まあ、どっちに来ても城壁が防いでくれるとは思うけど」
「うむ。今の城壁なら、攻城兵器でも持ってこない限り破れんじゃろう。だが、万が一魔族特有の『転移魔法』や『影渡り』を使って内部に侵入された場合に備え、わしがリリスの護衛として常に傍にいる」
ガラハドさんが力強く頷く。
リリスは不安そうに自身の角を触っていたが、俺たちの顔を見て少しだけ表情を緩めた。
「お兄ちゃん、ガラハドおじちゃん……迷惑かけてごめんなさい」
「迷惑じゃないよ。修理屋は、客の安全を守るのも仕事のうちだ(拡大解釈)」
「左様。それに、久しぶりに本気で剣を振るえると思うと、老骨が疼くわい」
俺たちは朝食のパンをかじりながら、和やかに、しかし真剣に準備を進めていた。
その時だった。
「主よ、誰か来たぞ」
ガラハドさんが鋭く反応した。
敵か? と身構えたが、彼はすぐに首を横に振った。
「いや……殺気はない。それに、この魔力の残滓……微弱すぎて消え入りそうじゃが、覚えがある」
「覚えがある?」
「うむ。先日、主の手紙を燃やしたあの……」
ガラハドさんが言いかけた時、店の外から村人の騒ぐ声が聞こえてきた。
「おーい! ルーク! 大変だ!」
「森の入り口で、人が倒れてる! 死んでるかもしれねぇ!」
俺とガラハドさんは顔を見合わせ、すぐに店を飛び出した。
村人たちに案内され、村の入り口、そびえ立つ黒鉄の城壁の前へと向かう。
そこには、人だかりができていた。
「ひどい怪我だ……」
「魔物にやられたのか?」
人垣をかき分けて中に入ると、そこにはボロボロの布切れを纏った女性が、泥まみれになって倒れていた。
髪は乱れ、眼鏡は割れ、手足は傷だらけだ。
だが、俺はその顔に見覚えがあった。
「……ソフィア?」
俺の声に反応したのか、彼女のピクリと動いた。
薄く開けられた瞳が、俺を捉える。
焦点が合っていない。
それでも、彼女は掠れた声で俺の名前を呼んだ。
「ルー……ク……?」
「おい、しっかりしろ! 何があった!」
俺は彼女を抱き起こした。
軽い。以前よりずっと痩せている。
それに、魔力欠乏症の症状が出ていた。生命力までも削って、無理やりここまで来たのだろう。
「たす……けて……」
ソフィアの手が、俺の服を弱々しく掴んだ。
「ブレイドが……アリアが……ダンジョンに……」
「ダンジョン? あそこの地下迷宮か?」
「死んじゃう……みんな……お願い……」
そこまで言うと、彼女の糸が切れたように意識を失った。
「……主よ。これは、どういう状況じゃ?」
ガラハドさんが呆れたように溜息をついた。
無理もない。
自分たちを追放した元仲間が、ボロボロになって目の前で倒れているのだ。
本来なら「ざまぁみろ」と笑い飛ばしてもいい場面かもしれない。
あるいは、見捨てて放置するという選択肢もある。
だが。
俺の腕の中で、気絶してもなお「助けて」と俺の服を握りしめているソフィアの手を見て、俺は小さく息を吐いた。
「……運びましょう、ガラハドさん。うちは修理屋です。壊れたものが目の前に転がってたら、直すのが性分なんでね」
「フッ……お主はお人好しじゃのう。まあ、そこが主の美点でもあるが」
俺はソフィアを背負い、店へと運んだ。
村人たちが「誰だあの女?」「ルークの知り合いか?」と噂する中、俺は急いで帰宅し、彼女をあの「人をダメにするベッド」の予備部屋へと寝かせた。
* * *
数時間後。
ソフィアが目を覚ました時、そこは天国のような場所だった。
ふかふかの布団。
暖かい空気。
そして、鼻をくすぐる美味しそうなスープの匂い。
「(私……死んだのかしら)」
そう思ったが、身体の痛みが現実であることを教えてくれた。
いや、痛みはずいぶんと引いている。
傷口には上質な軟膏が塗られ、包帯が丁寧に巻かれていた。
「気がついたか?」
横から声をかけられ、ソフィアはビクッとして振り向いた。
そこには、木製の椅子に座って本を読んでいるルークの姿があった。
エプロン姿。
変わらない、少し眠たげな目。
けれど、以前のような「頼りなさ」は消え、どこか堂々とした雰囲気を纏っている。
「ルーク……!」
ソフィアは飛び起きようとして、激痛に顔をしかめた。
「まだ動くな。全身打撲に魔力枯渇、栄養失調だ。普通の人間なら三回は死んでるぞ」
「……あなたが、助けてくれたの?」
「店の前に粗大ゴミが落ちてたからな。拾ってメンテナンスしただけだ」
ルークは憎まれ口を叩きながら、湯気の立つマグカップを差し出した。
中身は栄養たっぷりのポタージュスープだ。
ソフィアは震える手でそれを受け取り、一口飲んだ。
温かい。
涙が出るほど、美味しい。
「……ごめんなさい」
ソフィアはカップを持ったまま、俯いて呟いた。
「ごめんなさい、ルーク。私、間違っていたわ。あなたのこと、何もわかっていなかった。計算ずくだなんて言いながら、一番大切な計算を間違えていたの」
「今更だな」
「ええ、今更よ。でも、言わせて。……私たちには、あなたが必要だった。あなたがいないと、私たちは何もできない、ただの無力な子供だったわ」
大粒の涙が、スープの中に落ちる。
王都随一の賢者と呼ばれ、常に冷徹で理論的だった彼女が、子供のように泣きじゃくっていた。
「お願い、ルーク。笑ってもいい、罵ってもいいわ。私の命なんてどうなってもいい。だから……ブレイドとアリアを助けてあげて! あのままじゃ、あの子たち死んじゃう!」
ソフィアはベッドの上で土下座しようとした。
俺はそれを手で制し、溜息をついた。
「……お前らがどれだけ身勝手か、よくわかったよ」
「うぅ……」
「自分たちで勝手に俺を追い出して、勝手に自滅して、勝手に泣きついてくる。世話が焼けるにも程がある」
俺は立ち上がり、窓の外を見た。
日は傾きかけている。
今からダンジョンに行けば、夜になるだろう。
しかも、明日の朝には黒騎士の軍勢が来るかもしれないというタイミングだ。
普通なら断る。
リスクが高すぎる。
だが。
俺は職人だ。
かつて自分が手入れをしていた道具(あえて彼らをそう呼ぶが)が、手入れ不足で錆びつき、壊れかけているのを見るのは……正直、寝覚めが悪い。
それに、ここで見捨てたら、俺は彼らと同レベルの人間になってしまう気がした。
俺は「修理屋」だ。
壊れた関係も、壊れたプライドも、直せるなら直してやるのが流儀だ。
「……場所は?」
「え?」
「ダンジョンのどこにいるんだって聞いてるんだ。地下迷宮の構造は複雑だぞ」
ソフィアが顔を上げる。
その表情に、希望の光が差す。
「ち、地下三階層の大広間よ! 罠にかかって閉じ込められたの!」
「地下三階か。……わかった。行ってくる」
「ほ、本当に!? 助けてくれるの!?」
「勘違いするなよ。助けるんじゃない。『回収』してくるだけだ。あと、料金は高くつくぞ」
俺はニカッと笑った。
ソフィアは涙を拭い、何度も頷いた。
「払うわ! 何でも払う! 私の知識も、魔力も、身体も、一生かけて!」
「身体はいらん。店の手伝いくらいはしてもらうけどな」
俺は部屋を出ようとした。
すると、ドアの陰に立っていたガラハドさんとリリスが顔を出した。
「主よ、行くのか?」
「ええ。放っておけませんからね。……ガラハドさん、店の留守番とリリスの護衛、頼めますか? 黒騎士がいつ来るかわからない」
「ふむ。主がいない間に敵が来たら厄介じゃが……まあ、この城壁とわしがいれば、半日は持ちこたえてみせよう」
ガラハドさんはニヤリと笑った。
「その代わり、帰ってきたら主の特製ハンバーグを所望するぞ」
「了解です。特大サイズを作りますよ」
「お兄ちゃん、気をつけてね……」
リリスが心配そうに見上げてくる。
俺は彼女の角を軽く弾いた。
「すぐに戻る。お土産に、バカな勇者たちを連れてな」
* * *
俺は装備を整え、グリーンホロウ地下迷宮へと向かった。
今回の装備は、いつものハンマーに加えて、試作段階の『魔導バイク(二輪車)』だ。
商人ゴルドが持ってきたガラクタの中にあった古代の車輪と、トラクターの予備エンジンを組み合わせて作った、オフロード仕様のバイクである。
「ヒャッハー!」
俺はバイクに跨り、ダンジョンの入り口へと突っ込んだ。
普通なら徒歩で慎重に進むべき場所だが、緊急事態だ。
それに、俺が作ったこのバイクには『壁面走行機能』と『静音結界』がついている。
ブロロロロ……!
静かな排気音と共に、俺は暗い通路を疾走した。
一階層。
ゴブリンの群れがいたが、俺のバイクのライトに驚いて逃げ惑う。
邪魔な岩は、走りながらハンマーで叩いて粉砕する。
「【修理・分解】!」
ドゴォォン!
岩が砂利に変わり、タイヤがそれを踏みしめて加速する。
二階層。
スケルトンの群れ。
「邪魔だ!」
バイクの前輪に取り付けた『聖水散布装置(ウォッシャー液のタンクを改造)』から聖水をぶちまける。
ジュワワワ! と音を立ててアンデッドたちが浄化されていく。
そして、三階層。
目的の大広間の前まで、わずか十分で到達した。
そこには、巨大な鉄の扉が立ち塞がっていた。
内側から施錠され、魔法的な封印も施されているようだ。
「……これか」
俺はバイクを降り、扉の前に立った。
【修理】スキル、解析。
(なるほど。古代の罠か。解除コードが必要……いや、面倒だな)
俺はハンマーを構えた。
解除? しないよ。
俺は修理屋だ。
「開かない扉」は「壊れている」と判断する。
だから、「開くように直す」のだ。
「【修理・形状変更】! 扉よ、アーチになれ!」
カァァァンッ!!!
俺の一撃が扉に炸裂した。
分厚い鉄板が、まるで粘土のようにぐにゃりと曲がり、人が通れるだけの綺麗なアーチ状の入り口へと変形した。
鍵を壊すのではなく、扉そのものの形を変えてしまう荒技だ。
「さて、生きてるか?」
俺は中へと踏み込んだ。
広間の中は真っ暗で、死臭に近い澱んだ空気が充満していた。
部屋の隅に、二つの影がうずくまっているのが見えた。
「……あ……?」
弱々しい声。
勇者ブレイドだ。
彼は俺のライトの光に目を細め、幻覚でも見ているかのように手を伸ばした。
「……ルーク……? お前……なのか……?」
「よう。迎えに来てやったぞ、元勇者様」
俺はライトを彼らに向けた。
惨状だった。
ブレイドは全身傷だらけで、アリアは意識を失って彼の膝に頭を乗せている。
二人とも、骨と皮のように痩せ細っていた。
「夢……じゃない……」
ブレイドの目から、涙が溢れ出した。
彼は這うようにして俺の足元まで来ると、俺のブーツに縋り付いた。
「ルーク……! ルークッ! 悪かった……! 俺が悪かった……! 許してくれ……!」
「……」
「助けてくれ……! 俺はまだ死にたくない……! アリアも……頼む、頼むよぉぉ……!」
かつて俺を見下し、嘲笑っていた男の、あまりにも無様な姿。
だが、不思議と胸がすくような快感はなかった。
あるのは、ただ「哀れだな」という感情だけ。
「立つんだ、ブレイド。俺は神様じゃない。懺悔を聞きに来たんじゃないぞ」
「うぅ……」
「ソフィアが、命懸けで俺を呼びに来たんだ。彼女に感謝しろよ」
俺はブレイドの襟首を掴んで立たせ、アリアを抱き上げた。
軽い。まるで羽毛布団のようだ。
「さあ、帰るぞ。グリーンホロウへ」
「か、帰る……。ああ、帰るんだ……俺たちの家に……」
ブレイドは子供のように泣きじゃくりながら、俺の後ろをついてきた。
俺はため息をつきながら、アリアをバイクのサイドカー(即席で追加した)に乗せ、ブレイドを後ろのシートに乗せた。
「しっかり掴まってろよ。舌噛むなよ」
俺はアクセルを回した。
バイクが急加速し、ダンジョンの坂道を駆け上がっていく。
背中で震えているブレイドの体温を感じながら、俺は思った。
これで、役者は全員揃った。
勇者パーティの救出完了。
次は、迫りくる黒騎士との決戦だ。
「(……待ってろよ、黒騎士。俺の村で暴れようなんて、一万年早いってことを教えてやる)」
俺の目は、暗いダンジョンの出口の先にある、夜明け前の空を見据えていた。
グリーンホロウ防衛戦。
開戦の時は近い。
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