第11話 街の防壁が崩れそうなので、オリハルコン並みに補強しておきました

「……独占契約、ですか?」


俺、ルーク・ヴァルドマンは、カウンターに置かれたずっしりと重い革袋と、その横に差し出された羊皮紙の契約書を交互に見つめた。

目の前にいるのは、隣町の商人ギルド支部長、ゴルド。

小太りの体に上質な絹の服をまとい、顔には張り付いたような営業スマイルを浮かべているが、その奥にある瞳は決して笑っていない。


「いかにも。君の技術は素晴らしい。特にあの『魔力式カマド』と、最近噂の『癒やしの大浴場』。あれは革命的だ。我がギルドが販売ルートを一手に引き受ければ、君は修理だけに専念できる。金貨も、今の十倍は稼げるぞ?」


ゴルドは自信満々に言った。

普通の田舎の職人なら、金貨の山を見せられれば即座に飛びつくだろうと思っているのが見え見えだ。

だが、俺は冷静に契約書に目を通した。


『本契約締結後、グリーンホロウ村で生産される全ての物品、およびルーク・ヴァルドマンの技術によって修復・強化された物品の販売権は、全て商人ギルドに帰属するものとする』

『価格決定権はギルド側が持つ』

『他勢力との取引は一切禁ずる』


「……奴隷契約じゃないですか」


俺はため息交じりに契約書をテーブルに戻した。

要するに、「俺の技術を全部よこせ、値段はこっちで決めるからお前は黙って働け」と言っているに等しい。


「人聞きが悪いな。これは『保護』だよ。君のような優秀な職人が、悪い連中に騙されないためのね」

「保護、か……。必要ありません。俺たちは自分たちのペースでやりたいんで」


俺が断ると、ゴルドの表情から笑みが消えた。


「……断るのか? この田舎で、ギルドを敵に回して商売ができると思っているのかね? 物資の流通を止めれば、この村など一ヶ月で干上がるぞ」


脅しだ。

ゴルドの背後に控えていた二人の護衛――強面の傭兵たちが、威圧するように一歩前に出る。

だが、それより早く、俺の隣で腕組みをしていた老人が動いた。


「ほう……。我が主を脅すか。商人風情が、命知らずなことよ」


元剣聖、ガラハドさんが静かに目を開いた。

殺気など放っていない。ただ、そこに「死」が存在するかのような圧倒的な気配。

護衛の傭兵たちが「ヒッ!?」と悲鳴を上げて後ずさる。

彼ら程度の腕があれば、逆に分かってしまうのだ。目の前の老人が、絶対に手を出してはいけない化け物であるということが。


「な、なんだこの爺さんは……!」

「ゴルド殿。うちは平和な修理屋です。暴力沙汰は好みません」


俺はガラハドさんを手で制し、ゴルドに向き直った。


「流通を止めるというなら、それも結構。この村は自給自足できますし、森には資源が豊富にある。それに、Sランク冒険者のヴァルガスさんたちも懇意にしてくれていますから、彼らに頼めば行商くらいはしてくれるでしょう」

「ッ……! 『紅蓮の翼』まで取り込んでいるのか……!」


ゴルドは唇を噛んだ。

Sランク冒険者が出てきては、地方の商人ギルドでは太刀打ちできない。

だが、彼はまだ諦めていなかった。

商人特有の、痛いところを突く目つきに変わる。


「……いいだろう。だが、君は一つ勘違いをしている。冒険者や傭兵は、金で動く。今は君の技術に惹かれているかもしれないが、この村に『守る力』がなければ、いずれ賊や魔物の餌食になるぞ」

「守る力?」

「そうだ。ここに来る途中、村の周りの柵を見たが……酷いものだったな。腐った丸太を並べただけの、隙間だらけのボロ柵だ。あれでは、オーク一匹防げん。富を持てば、必ずそれを狙うハイエナが集まる。君に、その防衛ができるのかね?」


ゴルドの指摘は、図星だった。

確かに、グリーンホロウの防衛設備は貧弱だ。

今はガラハドさんがいるし、俺もいるから何とかなるが、村全体を24時間守り切れるかと言われれば不安が残る。

ゴルドはそこを突いて、「ギルドと契約すれば、私兵団を派遣して守ってやる」と持ちかけるつもりなのだろう。


だが。


「……なるほど。確かに、あの柵はボロボロですね」

「だろう? 私なら、すぐに石造りの防壁を作る手配を……」

「いえ、結構です。ちょうど気になっていたので、今から俺が直します」

「は?」


俺はエプロンを締め直し、ハンマーを手に取った。


「口で言うより、見てもらった方が早いですね。ゴルドさん、ちょっと散歩に行きましょうか」


   *   *   *


俺たちは村の入り口へと移動した。

そこには、ゴルドの言う通り、長年の風雪に晒されて朽ち果て寸前の木製の柵があった。

所々穴が空いており、野生動物が出入りし放題だ。

村人たちも集まってきた。

「ルークちゃん、また何かやるのかい?」と期待の眼差しで見ている。


「ゴルドさん、見ていてください。これが俺の回答です」


俺は柵の前に立った。

イメージするのは、難攻不落の要塞。

だが、ただ石を積み上げるだけでは面白くない。

この土地の利点を活かし、素材の特性を極限まで引き出した、最強の防壁を作る。


俺は地面に手をついた。

【修理】スキル、対象範囲拡大。

ターゲットは、この腐った柵と、その足元にある大地そのもの。


「この土地の土には、粘土質と鉄分が多く含まれている。それに、川底には硬い岩盤がある……」


解析完了。

俺はハンマーを、柵ではなく地面に叩きつけた。


「【修理・改築】!!」


ドォォォォォンッ!!!


地響きと共に、地面が波打った。

ゴルドと護衛たちが「地震か!?」と慌てふためく中、驚くべき光景が展開された。


腐っていた木の柵が光に包まれ、分解される。

同時に、地面から隆起した土と岩が、分解された木の繊維と絡み合い、融合していく。

俺の魔力が触媒となり、土中の鉄分を結晶化させ、岩石の硬度をダイヤモンド並みに引き上げる。


ズズズズズズ……!


音を立ててせり上がってきたのは、高さ五メートル、厚さ二メートルはある巨大な城壁だった。

ただの石壁ではない。

表面は黒光りする金属質の光沢を帯び、継ぎ目の一つもない一枚岩のような壁だ。

それが、村の周囲をぐるりと囲むように、生き物のように伸びていく。


「な、な、なんだあれはぁぁぁ!?」


ゴルドが絶叫した。

無理もない。数秒前までボロボロの柵だったものが、王都の城壁すら凌駕する黒鉄の要塞に変わったのだから。


「まだです。仕上げに『強化』を」


俺は出来上がったばかりの城壁に触れ、もう一撃、コンッとハンマーを入れた。

構造強化。

衝撃吸収。

魔法反射コーティング。

そして、自己修復機能の付与。


キィィィィン……。


城壁全体が微かに共鳴し、表面に淡い青色の幾何学模様が浮き上がっては消えた。

これで、物理攻撃は弾き返し、魔法攻撃は拡散させる最強の壁が完成した。

材質的には、伝説の金属オリハルコンに匹敵する強度を持っている。


「はい、出来上がり。これならオークの軍勢が来ても昼寝してられますよ」


俺が涼しい顔で振り返ると、ゴルドは腰を抜かしてへたり込んでいた。

口はパクパクと開閉し、言葉になっていない。


「お、お、オリハルコン……級……? 馬鹿な、そんな、一瞬で……国家事業レベルの工事だぞ……!」

「資材は現地調達ですから、タダですよ」

「タダで城壁ができるかぁぁッ!!」


ゴルドの悲鳴のようなツッコミが響く。

だが、目の前の現実は覆らない。

ガラハドさんが満足そうに壁を叩いた。


「うむ。良い硬さじゃ。これならわしが本気で斬っても、傷一つつくまい」

「いや、ガラハドさんの本気なら切れるかもしれませんけど……とりあえず、盗賊避けには十分でしょう」


俺はゴルドに手を差し伸べた。


「どうですか、ゴルドさん。これでもまだ、ギルドの『保護』が必要だと思いますか?」


ゴルドは俺の手を借りて立ち上がると、震えながら服の土を払った。

その顔からは、先ほどの傲慢さは消え失せ、代わりに商売人としての冷徹な計算と、それ以上の恐怖が張り付いていた。

彼は深くため息をつき、頭を下げた。


「……私の負けだ、ルーク殿。いや、ルーク様。君を甘く見ていた」

「分かってくれればいいんです」

「保護などと、おこがましいにも程があったな。この村は、既に王国で一番安全な場所かもしれない」


ゴルドは懐から、先ほどとは違う、真っ白な紙を取り出した。


「独占契約は撤回しよう。代わりに、『対等な取引』をお願いしたい。君の作った製品を、適正な価格で、私が卸させてもらう。もちろん、価格の決定権は君にあるし、手数料も最低限でいい」

「……随分と譲歩しますね?」

「当たり前だ! こんな化け物じみた技術を持つ相手と喧嘩してどうする! 敵に回すより、少しでも恩を売っておくのが賢い商人のやり方だ!」


ゴルドは開き直ったように言った。

なかなか話の分かる人じゃないか。

俺はニカッと笑って、その手を握り返した。


「商談成立ですね。よろしくお願いします、ゴルドさん」

「ああ、こちらこそ頼む。……しかし、心臓に悪い村だ」


こうして、グリーンホロウ村は「鉄壁の防衛力」と「正規の商流」を手に入れた。

ゴルドの馬車は、村で作られた新型カマドや、ガンツさんが切り出した最高級木材を満載して帰っていった。

彼が広める噂によって、この村の名はさらに遠くまで轟くことになるだろう。


「さて、壁もできたし、次は門の自動開閉システムでも作るかな」

「主よ、ほどほどにしておけ。村人たちが拝み始めておるぞ」


見ると、村のお年寄りたちが新しい城壁に向かって手を合わせていた。

ご利益がありそうだと思われたらしい。

俺は苦笑しながら、平和な村の夕暮れを見守った。


   *   *   *


一方その頃。

俺が城壁を一瞬で築き上げていた頃、王都周辺の「魔の森」では、勇者パーティが悲鳴を上げていた。


「逃げろ! 逃げるんだ!」


勇者ブレイドの声が裏返る。

彼らを追っているのは、群れをなした『ワイルドボア』――巨大なイノシシの魔物だ。

通常なら、Cランク程度の魔物であり、勇者パーティにとっては準備運動にもならない相手のはずだった。


だが、今の彼らにとっては、死神の軍勢に見えた。


「剣が……剣が通らない!」


ブレイドが振るう量産品の剣は、ボアの硬い毛皮に弾かれ、逆に衝撃で手首を痛めていた。

安物の剣では、刃筋を正確に立てなければ斬れない。

しかし、ルークの補助に慣れきっていたブレイドは、「適当に振れば当たるし斬れる」という雑な剣術が染み付いており、修正がきかないのだ。


「キャアッ! 防御結界が割れました!」

「私の魔法も効きません! 魔力切れです!」


ソフィアとアリアも必死に逃げる。

彼女たちの装備は、以前のように自動で魔力を回復してくれないし、自動防御も発動しない。

自分の足で、泥にまみれて走るしかなかった。


「はぁ、はぁ……! クソッ、なんでだ! なんでこんな雑魚に!」


なんとか森を抜け、安全地帯まで逃げ延びた三人。

全身泥だらけ、服はボロボロ。

プライドもズタズタだった。


ブレイドは膝をつき、地面を殴った。


「装備だ……やっぱり装備が悪いんだ……! ルークがいれば……!」

「ブレイド……」


アリアが涙目で彼を見る。

もう、誰も否定できなかった。

彼らが失ったものの大きさは、もはや取り返しがつかないレベルに達していた。


「……噂を聞きました」


ソフィアが、ポツリと言った。


「辺境の村に、『なんでも修理屋』という店があるそうです。どんな壊れたものでも、新品以上に直してしまう職人がいると」

「……なんだと?」

「商人たちの間で話題になっているそうです。『伝説の修理屋』だと」


ブレイドの顔色がサァッと変わる。

伝説の修理屋。

辺境の村。

そして、自分たちが追放した「修理しかできない男」。

点と点が、繋がりそうになる。


「まさか……ルークか?」

「わかりません。でも、もしそうなら……」


「行くぞ」


ブレイドは立ち上がった。

その目には、狂気じみた光が宿っていた。


「そいつがルークなら、連れ戻す。俺たちのために働かせるんだ。あいつは俺たちのパーティメンバーだったんだぞ? 義務があるはずだ!」

「でも、追放したのは私たちですわ……」

「許してやるさ! 今までの無礼も、勝手に出て行ったことも、全部水に流して、また仲間に入れてやるって言えば、あいつも喜んで戻ってくるはずだ!」


それは、あまりにも身勝手な論理だった。

だが、今の彼にはそれが唯一の希望であり、正義だった。

彼らは進路を変えた。

目指すは東。

俺のいる、グリーンホロウへ。


しかし、彼らは知らない。

今のグリーンホロウが、オリハルコン級の城壁と、剣聖と、Sランク冒険者とのコネクションを持つ、要塞都市へと変貌していることを。

そして、かつての「雑用係」が、もはや彼らの手の届かない「英雄」になりつつあることを。


「待っていろ、ルーク。すぐに迎えに行ってやるからな」


ブレイドの歪んだ決意を乗せ、運命の歯車が回り始めた。

再会の時は近い。

だがそれは、彼らが望むような感動の再会には、決してならないだろう。


   *   *   *


グリーンホロウ。

城壁建設の翌日。

ゴルドとの取引で得た資金と資材で、俺は新たな計画を実行に移していた。


「ルーク様、次は何を作るんですか?」

「今日は、農業革命だよ」


村の子供たちが集まる中、俺が取り出したのは、ボロボロに錆びついた旧式のトラクター(古代遺跡から発掘された遺物)だった。

ゴルドが「鉄屑として引き取ったが、使い道がない」と置いていったものだ。


「これを直して、全自動畑耕しマシーンにする」

「また変な名前!」


平和な村に、今日も俺のハンマーの音が響く。

勇者が近づいていることなど露知らず、俺はただ、目の前のガラクタを宝物に変えることに夢中になっていた。

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