第12話 勇者が新しい修理屋を雇った結果。伝説の鎧がスクラップに

「おい、本当にこの店でいいのか? 随分と薄暗いし、カビ臭いぞ」


勇者ブレイドは、鼻をつまみながら怪しげな路地裏の店舗を見上げた。

王都を出発し、東へと向かう旅の途中。彼らが立ち寄ったのは、治安の悪い宿場町だった。

装備の劣化が限界に達しており、まともな戦闘もままならない状態の彼らにとって、装備のメンテナンスは急務だった。

しかし、正規の鍛冶屋ギルドからは「手遅れだ」「触りたくない」と門前払いを食らい続けていた。


「贅沢は言えませんわ、ブレイド。予算も残り少ないですし、背に腹は代えられません」


賢者ソフィアが疲れた声で言った。

彼女の杖もまた、先端の宝石にヒビが入り、魔法の暴発を恐れて使用を控えている状態だ。

聖女アリアに至っては、破れた法衣を自分で繕おうとして失敗し、さらに見た目が悪くなっていた。


「いらっしゃい……ヒッ、勇者様!?」


店に入ると、猫背の男がカウンターの奥から顔を出した。

油で汚れた作業着を着ており、目はギョロリとして落ち着きがない。

看板には『超高速修理・ザック』と書かれていた。


「お前が修理屋か。腕は確かなんだろうな?」

「へ、へい! もちろんでさぁ! 俺にかかれば、どんなガラクタでもピカピカの新品同様に……い、いや、勇者様の装備がガラクタだなんて滅相もねぇ!」


男は揉み手をしながら、卑屈な笑みを浮かべた。

胡散臭い。

ルークの、あの職人としての誇りに満ちた真剣な眼差しとは雲泥の差だ。

だが、ブレイドには選択肢がなかった。


「……頼む。この鎧だ。最近、関節部分が動かなくて困っている。それに、防御結界も発動しない。直せるか?」


ブレイドは、かつて王家から下賜された伝説の鎧『聖騎士の甲冑(パラディン・メイル)』をカウンターに置いた。

オリハルコンと聖銀の合金で作られた至高の一品だが、今はサビと汚れで輝きを失っている。


ザックと呼ばれた男は、鎧を見るなり目を輝かせた。


「ほほう! こりゃあすげぇ代物だ! さすが勇者様、お目が高い!」

「世辞はいい。直せるのか、直せないのか」

「直せますとも! 実は俺、古代文明の『錬金術』を独学で研究してましてね。特殊な溶解液を使えば、サビを一瞬で落として、金属の強度を倍増させることができるんでさぁ」


「錬金術……?」


ブレイドの眉がピクリと動いた。

ルークもまた、常識外れの技術を使っていた。もしかすると、この男もルークと同系統の「隠れた天才」なのかもしれない。

そんな淡い期待が、判断を鈍らせた。


「いいだろう。やってみろ。ただし、失敗したらただじゃおかないぞ」

「へいへい、お任せくだせぇ! 料金は先払いで、金貨十枚……いや、勇者様特別価格で五枚でどうです?」


足元を見た価格設定だったが、ブレイドは渋々金を払った。

ザックは金を受け取ると、奥の工房へと鎧を持ち込んだ。


「さあさあ、少し時間がかかりますから、そこの椅子で待っててくだせぇ!」


ガチャン、と工房の扉が閉まる。

中からは、液体を混ぜるような音と、金属を叩く音が聞こえてきた。


「……大丈夫かしら」

「信じるしかないでしょう。少なくとも、何もしないよりはマシなはずです」


アリアとソフィアは不安そうに顔を見合わせる。

一時間後。

工房の中から、ドカン! という小さな爆発音と共に、黒い煙が漏れ出してきた。


「な、なんだ!?」


ブレイドたちが立ち上がる。

扉が勢いよく開き、顔を煤だらけにしたザックが飛び出してきた。


「げ、げほっ! し、失敗したぁ……!」

「失敗だと!? 俺の鎧はどうなった!」


ブレイドはザックを突き飛ばし、工房の中へと駆け込んだ。

そして、絶句した。


作業台の上にあったのは、鎧ではなかった。

ドロドロに溶け崩れ、異臭を放つ金属の塊だった。

かつての美しい装飾も、聖なる輝きも、跡形もない。

ただの、醜いスクラップがそこにあった。


「あ……あぁ……」


ブレイドの喉から、ひきつった音が漏れる。

『聖騎士の甲冑』。

王国の守護者の証であり、数々の激戦からブレイドの命を守ってきた最強の防具。

それが、こんな、あまりにもあっけない最期を迎えるなんて。


「お、俺のせいじゃねぇ! その鎧にかかってた『保護魔法』が強すぎて、溶解液と化学反応を起こしちまったんだ! 普通なら綺麗になるはずだったんだよ!」


ザックが言い訳を叫ぶ。

ルークが施していたメンテナンスには、素人が下手にいじると機能が停止するセキュリティのような術式が組み込まれていた。

ザックの使う粗悪な薬品が、その術式を暴走させ、鎧そのものを崩壊させてしまったのだ。


「き、貴様ぁぁぁッ!!」


ブレイドの怒りが爆発した。

剣を抜こうとするが、その剣も鞘に噛んで抜けない。

その隙に、ザックは「ひぃぃ!」と悲鳴を上げて店の裏口から脱兎のごとく逃げ出した。


「待て! 逃がすか!」

「ブレイド、追うのは無理です! それより、この鎧を……!」


ソフィアが叫ぶが、もう手遅れだった。

スクラップになった鎧は、冷えるにつれてボロボロと崩れ、ただの鉄屑へと変わっていく。

取り返しがつかない。

完全に、終わってしまった。


「う、嘘だ……。俺の鎧が……伝説の防具が……」


ブレイドはその場に膝をつき、まだ熱を持つ金属の塊を呆然と見つめた。

涙すら出なかった。

あるのは、底知れぬ喪失感と、激しい後悔だけ。


「ルークなら……」


無意識に、その名前が口をついて出た。


「ルークなら、こんなことにはならなかった。あいつなら、薬品なんて使わずに、ハンマー一つで直してくれたはずだ。あいつなら、俺の鎧を大切に扱ってくれたはずだ……!」


脳裏に浮かぶのは、キャンプの夜、焚き火のそばで黙々と鎧を磨いていたルークの姿。

『ブレイド、ここの留め金が緩んでたから締め直しておいたよ。動きやすくなったはずだ』

そう言って笑っていた、あいつの顔。


「なんでだ……。なんで俺は、あいつを追い出したんだ……」


ブレイドは拳を床に叩きつけた。

自分の愚かさが、今更ながらに身に沁みる。

だが、プライドの高い彼は、それを自分の過ちだとは認めきれなかった。

認めてしまえば、勇者としての自分が崩壊してしまうからだ。


「……そうだ。ルークが悪いんだ。あいつが、変な保護魔法なんてかけていたから、こんなことになったんだ!」


責任転嫁。

歪んだ論理で自分を守る。

だが、その奥底にある「ルークに会いたい」「ルークに直してほしい」という渇望は、もはや抑えようがなかった。


「行くぞ。グリーンホロウへ」


ブレイドは立ち上がった。

鎧を失い、ボロボロの服一枚になった勇者の姿は、あまりにも無防備で、頼りなかった。

それでも、彼は東を睨みつけた。


「あいつに責任を取らせる。俺の鎧を元通りにさせ、一生俺たちのために働かせてやる。それが、あいつの償いだ」


狂気じみた決意を胸に、勇者パーティは再び歩き出した。

もはや彼らに残された道は、ルークという希望(と彼らが思い込んでいるもの)に縋ることだけだった。


   *   *   *


一方、その頃。

勇者が大切な防具を失って絶望していた時、グリーンホロウの村では、新たな「鉄の巨人」が産声を上げていた。


「よし、エンジン始動!」


俺、ルーク・ヴァルドマンの声と共に、ゴゴゴゴ……と腹に響く重低音が響き渡った。

村外れの広大な荒れ地。

そこに鎮座しているのは、商人ゴルドが置いていった古代遺物のトラクター――を、俺が魔改造した『全自動農業用多目的重機・マークⅠ』だ。


もともとは錆びついた鉄屑だったが、俺の【修理】スキルによって完全に蘇った。

動力源は高効率の魔石エンジン。

タイヤは悪路走破性に優れたキャタピラに変更し、さらにアタッチメントを付け替えることで「耕す」「種まき」「水やり」「収穫」の全てを一台でこなせるようにした。


「すげぇ……! なんだあの力強さは!」

「まるで生き物みたいだぞ!」


集まっていた農夫たちが歓声を上げる。

俺は運転席(キャノピー付きでエアコン完備)に座り、レバーを倒した。


「行きますよ! 耕作モード、オン!」


トラクター後部のロータリーが高速回転を始め、地面に食い込む。

ガリガリガリッ!

硬く締まっていた荒れ地の土が、まるで粉雪のように柔らかく砕かれ、ふかふかの土壌へと変わっていく。

その速度は、人間がクワで耕す場合の百倍以上。

あっという間に、見渡す限りの荒れ地が、美しい黒土の畑へと生まれ変わった。


「早えぇぇ!!」

「俺たちが一週間かけてやる仕事を、五分で終わらせちまった!」


村人たちの驚きは止まらない。

俺はさらにレバーを操作する。


「次は種まきと肥料散布を同時に行います!」


トラクターのアームが展開し、正確無比な間隔で種を植え、同時に最適な量の肥料を注入していく。

これにより、作物の成長速度も倍増するはずだ。


「ふぅ、テスト走行は成功ですね」


俺はエンジンを止め、運転席から飛び降りた。

そこへ、村長が涙を流しながら駆け寄ってきた。


「ルーク君……! ありがとう、本当にありがとう! この荒れ地は、村の先祖たちが開墾しようとして諦めた場所なんじゃ。それが、こんなに立派な畑になるなんて……!」

「これで村の食料自給率は大幅アップですね。隣町に野菜を売る余裕もできますよ」

「うむ! まさに農業革命じゃ! この重機、村の宝として大切にするよ!」


「あ、操作は簡単にしておきましたから。子供でも運転できますよ」

「なんと! それなら、わしの孫にも手伝わせられるな!」


村人たちはトラクターを囲み、恐る恐る触ったり、拝んだりしている。

平和だ。

どこかの勇者が鎧を溶かして泣いていることなど知る由もなく、俺たちの村は着実に豊かさへの道を歩んでいた。


「主よ、また妙なものを作ったな」


ガラハドさんが、呆れたような、しかし楽しげな顔で近づいてきた。

手には、収穫したばかりのトマトを持っている。


「戦車にでもする気かと思ったぞ」

「その気になれば、アタッチメントを大砲に変えれば戦車にもなりますけどね。やりませんよ?」

「くくく、お主ならやりかねん。……しかし、良い顔をするようになったな」


ガラハドさんはトマトをかじりながら、俺の顔を覗き込んだ。


「ここに来たばかりの頃は、どこか影があった。自分の力を信じきれていないような、遠慮がちな目がな。だが今は違う。職人としての自信と、この地を守る者の顔をしておる」

「……そうですか?」


俺は自分の頬を撫でた。

確かに、勇者パーティにいた頃のような「失敗したら怒られる」「役に立たなきゃ捨てられる」という強迫観念はもうない。

ここには、俺を必要としてくれる人々がいる。

俺の技術を純粋に評価し、喜んでくれる仲間がいる。


「環境って大事ですね。俺、ここに来て本当によかったと思います」

「うむ。わしもじゃよ。……だが、光が強くなれば、影もまた濃くなる。主の噂は広まりすぎた。そろそろ、招かれざる客が来るかもしれんぞ」


ガラハドさんの視線が、ふと西の空へと向けられた。

その鋭い眼光は、何かを予感しているようだった。


「招かれざる客、ですか。勇者パーティとか?」

「かもしれんし、もっと厄介な連中かもしれん。だが安心せよ。この村にはわしがおる。そして何より、お主が作った『最強の城壁』がある」


俺たちは顔を見合わせて笑った。

そう、今のグリーンホロウは要塞都市だ。

誰が来ようと、そう簡単には手出しさせない。


「さて、仕事の後は風呂ですね!」

「うむ。今日は薬湯の日じゃったな」


俺たちはトラクターを村人たちに任せ、大浴場『憩いの湯』へと向かった。

湯上がりの牛乳を楽しみにしながら。


   *   *   *


その夜。

グリーンホロウから遠く離れた街道の宿屋で、勇者ブレイドは悪夢にうなされていた。


夢の中での彼は、かつての栄光に包まれていた。

輝く聖剣を持ち、無敵の鎧を纏い、魔王を追い詰める最強の勇者。

その背後には、ルークがいた。

黙々と装備を直し、傷ついた鎧を修復し、無言で支えてくれる存在。


『ルーク、頼む! 剣を直してくれ!』


夢の中のブレイドが叫ぶ。

しかし、ルークはゆっくりと首を横に振る。


『もう無理だよ、ブレイド。君は僕を捨てただろう?』


ルークの姿が遠ざかっていく。

待て、行くな、と手を伸ばすが届かない。

そして、自分の身につけていた鎧がガラガラと崩れ落ち、聖剣が錆びついた鉄屑に変わる。

魔王の高笑いが響く中、丸裸になったブレイドは恐怖に震え――。


「はぁッ!!」


ブレイドは飛び起きた。

全身が冷や汗でぐっしょりと濡れている。

心臓が早鐘を打っていた。


「……夢か」


粗末なベッドの上。

安宿の薄い壁からは、隣の部屋のいびきが聞こえてくる。

枕元には、スクラップになった鎧の残骸を入れた袋と、錆びついた剣があるだけ。


「……待っていろ、ルーク」


ブレイドは膝を抱え、暗闇の中で呟いた。


「お前は俺のものだ。誰にも渡さない。必ず連れ戻して、二度と俺のそばから離れないようにしてやる……」


それは愛情などではない。

依存と執着、そして自分の弱さを認めたくないが故の歪んだ独占欲。

勇者の心は、装備と同じように、修復不可能なほどに蝕まれていた。


そして、運命の再会まで、あとわずか数日。

グリーンホロウの村に、勇者パーティが到着する。

その時、ルークが彼らに下す審判は、慈悲深い「修理」か、それとも冷徹な「廃棄処分」か。


物語は、いよいよ核心へと近づいていく。

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