第8話 「この錆びた剣は直せんじゃろう」いいえ、新品より輝かせます
「……う、うぅん……」
呻き声と共に、老人の意識が戻ったようだ。
俺、ルーク・ヴァルドマンは、ホッとして手元のタオルを水に浸した。
ここは俺の店兼自宅の二階、寝室だ。
店先で倒れていた老人を運び込んでから、丸一にちが経過していた。
彼はただの疲労や栄養失調ではなく、まるで生命力そのものが枯渇しているような状態だった。
だから俺は、彼をあの「人をダメにするベッド」に寝かせ、つきっきりで看病していたのだ。
「気がつきましたか? お爺さん」
「……ここは……天国、か?」
老人はぼんやりと天井を見つめた。
無理もない。この天井は、廃材を俺が組み直して作った寄木細工風の天井で、木目が幾何学模様を描いていて無駄に美しいからな。
「残念ながら、まだ現世ですよ。ここは『なんでも修理屋』の二階です」
「修理屋……? ああ、そうか。わしは、店先で……」
老人は記憶を手繰り寄せるように額に手を当て、ガバッと跳ね起きようとした。
「いかん! わしの剣は!? あの剣はどこじゃ!」
「落ち着いてください。剣ならそこにありますよ」
俺はベッドの脇にある椅子を指差した。
そこには、老人が腰に差していた古びた剣が立てかけてある。
鞘はボロボロ、柄の革は腐り落ち、誰がどう見てもただの粗大ゴミだ。
だが、老人はそれを確認すると、安堵したように深く息を吐き、再びベッドに沈み込んだ。
「……よかった。あれだけは、失くすわけにはいかんのじゃ。わしの……唯一の友じゃからな」
「大切なものなんですね」
「ああ。……だが、もう寿命じゃ。わしと同じようにな」
老人は自嘲気味に笑った。
その瞳には、深い悲しみが宿っている。
「若いの。助けてくれたことには感謝する。だが、わしはもう行くよ。こんな老いぼれが長居しては迷惑じゃろう」
「まだ動いちゃダメですよ。それに、俺は『修理屋』だと言ったでしょう? 壊れかけたものを放っておくのは、職人のプライドが許さないんです」
俺は老人の肩を優しく押し戻し、真剣な眼差しで彼を見つめた。
「お爺さん。あんたの身体、ボロボロだらけですね。古傷が痛み、関節がすり減り、内臓も弱っている。……まるで、酷使され続けた機械みたいだ」
「……ふん、よくわかるのう。伊達に長生きはしておらんよ。若い頃に無茶をしたツケが、今頃回ってきただけじゃ」
「直せますよ」
「……なんじゃと?」
老人は眉をひそめた。
「わしの身体を直す? 医者や聖女様でも、老いには勝てんぞ」
「俺は医者じゃありません。修理屋です。だから『治療』じゃなくて『修理』をします」
俺はニッコリと笑った。
常識外れなことを言っている自覚はある。だが、俺の【修理】スキルは、対象が生物だろうが無機物だろうが、「損なわれた機能を正常に戻す」という点において差別しない。
「まずは、その剣から直しましょうか。あんたの相棒が元気になれば、あんたも元気になるかもしれない」
「……無駄じゃよ。その剣は、もう死んでおる。刀身は錆びつき、ヒビだらけで、鞘から抜くことすらできん。国一番の鍛冶師にも『溶かして作り直すしかない』と言われたんじゃ」
「そいつはヤブ鍛冶師ですね。俺に任せてください」
俺は椅子から剣を取り上げた。
ズシリと重い。
錆と汚れに覆われているが、俺には聞こえる。
この剣の「魂」の声が。
『まだだ。まだ私は折れていない。主と共に、もう一度戦いたい』と。
「少々音がしますけど、気にしないでくださいね」
俺は部屋の隅に簡易的な作業スペースを作ると、いつものハンマーを取り出した。
老人は呆れたように見ていたが、止める気力もないようだった。
「……好きにするがいい。どうせ、もう使い物にならんガラクタじゃ」
俺は剣を台座に固定し、深呼吸をする。
解析開始。
(……すごいな。素材はオリハルコンどころじゃない。隕鉄(メテオライト)と神銀(ミスリル)の合金か。鍛造技術も、数百年前に失われた古代の秘術が使われている)
構造図が頭に浮かぶ。
錆は表面だけでなく、内部の魔力回路まで侵食していた。
だが、芯(コア)は生きている。
まるで冬眠している獣のように、静かに、しかし力強く脈打っている。
「目を覚まさせてやるよ。名剣」
俺は第一撃を振り下ろした。
カァンッ!
澄んだ音が部屋に響く。
その一撃で、刀身を覆っていた分厚い赤錆が、まるでカサブタのようにボロボロと剥がれ落ちた。
「なっ……!?」
老人が目を見開く。
俺は構わず叩き続ける。
カァン! カァン! カァン!
叩くたびに、部屋の中に光が溢れる。
錆の下から現れたのは、夜空のように深い蒼色をした刀身だった。
そこに刻まれた古代文字が、金色の光を放ちながら呼吸を始める。
折れかけていた刃先が光の粒子となって再生し、あるべき鋭さを取り戻す。
腐っていた柄は、俺の手持ちの最高級竜革(ガンツさんの斧の余り)によって巻き直され、吸い付くようなグリップ力を得る。
さらに、鍔(つば)に埋め込まれていた宝石の曇りを除去し、魔力増幅機能を再活性化させる。
仕上げに、俺の魔力を少しだけ込めて「自動メンテナンス機能」と「所有者認証機能」を構造に組み込んだ。
これで、この剣は主人の魔力を吸って自らを研ぎ澄まし続ける永久機関となる。
「……ふぅ。一丁上がり」
光が収束する。
そこには、美術品のように美しく、同時に恐ろしいほどの威圧感を放つ一振りの長剣があった。
「嘘……じゃろう……?」
老人は震える手でシーツを握りしめていた。
俺は剣を持ち上げ、老人の元へ歩み寄る。
「はい、どうぞ。あんたの相棒です」
老人は恐る恐る手を伸ばし、剣を受け取った。
その瞬間。
ヴォンッ! と低い音が鳴り、剣が蒼いオーラを纏った。
まるで、主人の帰還を喜んでいるかのように。
「『蒼天(そうてん)の牙』……。まさか、お前なのか? あの頃のように、いや、あの頃以上に輝いている……」
「名前、あったんですね。いい名前だ」
「……信じられん。これは、わしが若い頃、ダンジョンの最深部で手に入れた魔剣じゃ。百年もの間、戦場を共にしてきた。それが、こんな短時間で……」
老人の目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
彼は剣を抱きしめ、子供のように泣いた。
俺は何も言わず、彼が落ち着くのを待った。
しばらくして、老人は顔を上げた。
その表情からは、先ほどまでの死相が消え、戦士のような鋭い眼光が戻りつつあった。
「若いの……いや、ルーク殿。礼を言う。この恩は、命をかけても返しきれん」
「命なんてかけなくていいですよ。それより、次はあんたの番です」
「わしの?」
「ええ。剣だけ直っても、使い手がボロボロじゃ意味ないでしょう?」
俺はハンマーを軽く持ち直した。
「痛くはないですから、じっとしていてくださいね」
「ま、待て。人間にハンマーを振るうのか? それはさすがに……」
「【修理】!」
俺は老人の肩を、ハンマーの平らな部分でポン、と軽く叩いた。
実際には叩く衝撃などない。
ハンマーはあくまで俺のイメージを具現化するための触媒だ。
カァン……。
優しい音が響き、淡い金色の光が老人を包み込む。
俺の脳内に、老人の身体の設計図(ステータス)が表示される。
《対象:人間(高齢) 状態:多臓器不全、関節摩耗、古傷多数、魔力回路閉塞》
《修理プラン:細胞活性化、老廃物除去、軟骨再生、魔力回路の洗浄・拡張》
(……うわ、若い頃の傷跡がすごいな。背中のこれはドラゴンの爪痕か? よく生きてたな)
俺は丁寧に、一つ一つの不具合を修正していく。
若返らせるわけではない。
時間を巻き戻すのではなく、「現在の年齢における最高の状態」へと最適化するのだ。
詰まっていた血管を掃除し、すり減った膝の軟骨を再生させ、濁っていた水晶体をクリアにする。
さらに、長年の戦闘経験によって蓄積された「身体の癖」や「技術」はそのまま残し、それを最大限に発揮できるように筋肉の質を調整する。
数秒後、光が消えた。
「……どうですか?」
老人は呆然と自分の手を見つめていた。
節くれ立っていた指先は滑らかになり、肌には健康的な血色が戻っている。
彼は恐る恐るベッドから降りた。
いつもなら激痛が走るはずの膝や腰が、全く痛まない。
それどころか、羽が生えたように軽い。
「身体が……軽い。息苦しくない。目も、遠くの木の葉まで見える……」
「全盛期とまではいきませんが、あと二十年は現役で戦える身体にしておきましたよ」
老人はその場で軽くジャンプし、さらに空手で拳を突き出した。
シュッ!
空気を切り裂く鋭い音が鳴る。
その動きは、とても老人とは思えないキレがあった。
「……ハハッ。ハハハハハ!」
老人は高笑いした。
そして、俺に向き直ると、その場に片膝をつき、深く頭を下げた。
「我が名はガラハド。かつて『剣聖』と呼ばれ、王国の剣術指南役を務めていた者だ」
「えっ、剣聖!? あの教科書に載ってる!?」
「今はただの隠居ジジイじゃよ。……ルーク殿、いや、我が主よ」
「主ってやめてくださいよ! 俺はただの修理屋です!」
ガラハドさんは顔を上げ、真剣な眼差しで俺を見た。
「いや、お主はわしと、わしの友(剣)の命の恩人じゃ。この老いぼれの残りの人生、全てお主に捧げよう。この店はわしが守る。どんな敵が来ようとも、この『蒼天の牙』が露払いをしてくれよう」
「えぇぇ……。用心棒なんていらないんですけど……」
「いいや、いるはずじゃ。お主のその力、あまりに規格外すぎる。いずれ必ず、その力を狙う輩が現れる。その時のために、わしを側においてくれ。頼む!」
伝説の剣聖に土下座されて断れる人間がいるだろうか。
いや、いない。
それに、確かに彼の言う通りかもしれない。
最近、村の噂が広まるにつれて、怪しげな商人や冒険者が村を覗きに来ているという話も聞く。
用心棒がいるに越したことはないか。
「……わかりました。じゃあ、店の警備員兼、雑用係として雇います。給料は、三食昼寝付きでどうですか?」
「十分すぎる! ありがたき幸せ!」
こうして、俺の店に最強の用心棒、元剣聖ガラハドさんが加わることになった。
彼が店の前で腕組みをして立っているだけで、大抵のゴロツキは裸足で逃げ出すことになるのだが、それはまた別の話だ。
* * *
一方その頃。
剣聖ガラハドが奇跡の復活を遂げた同じ空の下。
勇者パーティは、王都への中継地点である大きな街の宿屋にいた。
最高級のスイートルームを取ったはずなのに、部屋の空気は重苦しい。
「……なんだこれは」
勇者ブレイドは、先日買ったばかりのアダマンタイトの剣をテーブルに投げ出した。
まだ数回しか戦闘で使っていないのに、刀身にはすでに小さな刃こぼれが生じ、輝きも鈍っていた。
「店主は『ドラゴンも斬れる』と言っていたはずだぞ! なぜこんなに脆い!」
「ブレイド、使い方が荒いのですわ。もっと丁寧に扱わないと……」
「丁寧にだと!? 戦闘中にそんな余裕があるか! ルークがいた時は、どんなに乱暴に使ってもビクともしなかったぞ!」
またしても、ルークの名前が出てしまった。
ブレイドは舌打ちをして、剣を鞘に納めようとした。
だが。
ガチン。
「……あ?」
剣が、鞘の途中で引っかかって入らない。
刀身がわずかに歪んでしまったためだ。
「ふざけるなッ!!」
ブレイドは鞘ごと剣を床に叩きつけた。
ガシャーンと派手な音がして、花瓶が割れる。
「安物を掴ませやがって! あの武器屋、今度会ったら店ごと燃やしてやる!」
「落ち着いてください、ブレイド。……でも、確かに変です。私の杖も、魔力の充填が遅くなっています。まるで、魔力が漏れているような……」
賢者ソフィアが不安そうに自分の杖を抱きしめる。
彼女たちは気づいていない。
ルークが施していたメンテナンスが、単なる修理ではなく、「道具の性能を限界突破させ、かつ使用者の未熟さをカバーする」という、神業に近い補助(バフ)であったことに。
彼らが「自分たちの実力」だと思っていたものの半分以上は、ルークの技術によって下駄を履かされていただけだったのだ。
「……ねえ。もしかして、ルーク様を追放したのは、間違いだったのではなくて?」
聖女アリアが、ついにタブーを口にした。
ブレイドの顔色が変わり、怒号が飛ぶかと思われた。
だが、彼は何も言い返せなかった。
自身の右腕に残る、ゴーレムに殴られた時の鈍い痛みが、その言葉の正しさを証明していたからだ。
「……王都だ」
ブレイドは絞り出すような声で言った。
「王都には、王国最高の宮廷鍛冶師がいる。彼なら、この剣も、お前たちの杖も、完璧に直せるはずだ。ルークなんかに頼らなくても、本物の職人がいれば問題ない」
それは、自分自身への言い聞かせだった。
王都に行けば、全てが解決する。
そう信じるしか、今の彼らには道がなかった。
しかし、彼らが頼みの綱とする宮廷鍛冶師ギルドが、実は数ヶ月前に「原因不明の技術スランプ」に陥っており、その解決策として「伝説の修理屋」の噂を血眼になって探していることを、彼らはまだ知らない。
そして、その「伝説の修理屋」が、彼らが捨てた少年であることも。
* * *
「おい、ルーク! 大変だ!」
翌朝。
俺がガラハドさんと一緒に朝食(焼きたてパンと新鮮野菜のサラダ)を食べていると、村長が血相を変えて飛び込んできた。
最近、誰かが飛び込んでくるのが日常茶飯事になってきたな。
「どうしました? また水車が壊れました?」
「違う! お客さんじゃ! とんでもないお客さんが来たんじゃ!」
「お客さん? まさか、借金取りとか……」
「バカ言え! ……冒険者ギルドの、Sランクパーティ『紅蓮の翼』じゃよ!」
Sランク。
それは数万人の冒険者の中に数人しかいない、国家戦力級の化け物たちだ。
そんな雲の上の存在が、なぜこんな辺境の村に?
「なんでも、噂を聞きつけたらしい。『どんなゴミでも新品にする職人がいると聞いた。俺たちの装備を直してくれ』と言っておる。断ったら村ごと消し炭にされそうで、怖くてたまらんのじゃ……頼む、会ってやってくれんか?」
村長の顔は青ざめている。
俺はパンを飲み込み、ガラハドさんと顔を見合わせた。
元剣聖であるガラハドさんは、ニヤリと好戦的な笑みを浮かべた。
「ほう、紅蓮の翼か。威勢のいい若造たちだと聞いておるが……主よ、どうする?」
「どうするも何も、お客様でしょう? お金を払ってくれるなら、誰だって歓迎ですよ」
俺は立ち上がり、エプロンを締め直した。
Sランク冒険者の装備。
それはきっと、見たこともないような高級品や、珍しい素材が使われているに違いない。
修理屋として、腕が鳴るというものだ。
「よし、行きましょう。ガラハドさん、案内をお願いします」
「御意」
こうして、俺の店に初めての「超大物」が来店することになった。
それは、俺の名が世界中に轟くきっかけとなる、最初の事件だった。
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