第7話 修理した斧の切れ味が良すぎて、大木がバターのように切れた件

「さて、と……。今日もやるか」


グリーンホロウの村に、爽やかな朝が訪れる。

俺、ルーク・ヴァルドマンがこの村に来てから三日が経とうとしていた。

『なんでも修理屋』の看板を掲げた我が家兼店舗は、今日も朝から盛況だ。

ただ、初日のような怒涛の大行列は少し落ち着き、今は村の人々が三々五々と、壊れた農具や日用品を持ち込んでくるという、穏やかなペースに変わりつつある。


「ルークちゃーん、この鍋の取っ手がまたガタついちゃって」

「ああ、婆ちゃん。それは取っ手の金具が錆びて痩せてるからだね。新しい金属を充填して、熱くなりにくいように木製のカバーも付けておくよ」


カァン!


「はい、どうぞ」

「ありがとうねぇ。本当に魔法みたいだわ」


お婆さんが嬉しそうに鍋を抱えて帰っていく。

俺は額の汗を拭い、満足げに息をついた。

この村での生活は、驚くほど肌に合っていた。

水は綺麗だし、空気は美味い。何より、村の人々が温かい。

勇者パーティにいた頃のような、常に成果を求められるプレッシャーや、仲間からの冷ややかな視線はここにはない。

あるのは、純粋な「ありがとう」という感謝の言葉と、修理した道具が再び活躍する喜びだけだ。


「……平和だなぁ」


カウンターに頬杖をつき、俺は外の景色を眺めた。

庭の芝生は、俺が改良した「自動草刈り機能付き鎌」を貸し出したおかげで、村の子供たちが遊び半分で綺麗にしてくれた。

今はその庭で、近所の犬がのんびりと昼寝をしている。


だが、そんな穏やかな時間は、一人の男の絶叫によって破られることになった。


「うおぉぉぉぉぉい!! ルーク!! ルークはいるかぁぁ!!」


ドタドタドタッ! と地響きのような足音が近づいてくる。

店の中に飛び込んできたのは、村の木こり、ガンツさんだった。

彼は全身木屑まみれで、顔を紅潮させ、肩で息をしている。

その手には、昨日俺が修理したあの戦斧(バトルアックス)のような斧が握られていた。


「どうしたんですか、ガンツさん!? 何かありましたか?」

「な、何かあったなんてもんじゃねぇ! 大変だ! 山が! 山が大変なことになった!」

「山が? まさか、山火事ですか!?」

「ちげぇ! ……いいから、ちょっと来てくれ! 俺の目がおかしくなっちまったのか、確認してほしいんだ!」


ガンツさんのただならぬ剣幕に、俺はエプロンを外して店を出た。

彼の案内で村の裏手に広がる森へと向かう。


道中、ガンツさんは興奮冷めやらぬ様子で語った。

「い、いつものように森に入ったんだ。昨日お前が直してくれたこの斧の試し斬りも兼ねてな。で、狙ったのは『鉄木(くろがねぎ)』だ。知ってるか? 斧が跳ね返されるくらい硬い木で、いつもなら一本切り倒すのに半日はかかる厄介な代物だ」

「ええ、知ってます。素材としても優秀ですが、加工が大変なんですよね」

「そうだ。で、俺は気合を入れて、思いっきり斧を振ったんだ。……そしたらよ」


話しているうちに、現場に到着した。

そこは森の奥深く、樹齢数百年はありそうな巨木が立ち並ぶエリアだ。

そして、その光景を見た瞬間、俺は言葉を失った。


「……これ、ガンツさんがやったんですか?」


目の前には、一直線に切り開かれた「道」ができていた。

狙ったであろう一本の鉄木だけではない。

その背後にあった十数本の木々が、まるで定規で線を引いたかのように、同じ高さでスパッと切断され、ドミノ倒しのように倒れていたのだ。

切り口は鏡のように滑らかで、ささくれ一つない。

まさに、熱したナイフでバターを切ったような断面だった。


「……信じられるか? 俺はただ、手前の木を一本切ろうとしただけなんだ。手応えなんてなかった。空振ったかと思ったくらいだ。でも、気づいたら視界が開けててよぉ……」


ガンツさんが呆然と呟く。

俺は冷や汗をかきながら、切り株に近づいてみた。

指で切り口を撫でる。ツルツルだ。

これは、俺が斧に付与した「風の刃」の効果と、素材の密度調整による切れ味向上が、想定以上のシナジーを生んでしまった結果だ。


「風圧だけで後ろの木まで切っちゃったんですね……。すいません、ちょっと張り切りすぎました」

「謝るな! すげぇよ! これなら一ヶ月分の仕事が一日で終わっちまう! ……ただ、このままだと森がハゲ山になっちまうから、手加減の練習が必要だがな!」


ガンツさんはガハハと豪快に笑った。

どうやら怒ってはいないようだ。

むしろ、この威力に男としてのロマンを感じているらしい。


「それに見てみろ、この木材の質! 断面が綺麗だから、製材する手間が省けるぞ! 高く売れる!」

「確かに……。これなら建築資材としても最高級品ですね」


俺たちは倒れた木々を見て回った。

中には、普段は硬すぎて誰も手を出さなかった希少な香木も混ざっている。

これを加工して売れば、村のいい収入源になるだろう。


「よし、ルーク。この木を使って、村の柵や家をもっと直そうぜ! お前の腕とこの斧があれば、この村を要塞にだってできる!」

「要塞って……。まあ、防犯対策はしておいて損はないですね」


俺たちは顔を見合わせて笑った。

この日、ガンツさんが持ち帰った大量の良質な木材によって、グリーンホロウの村は「木材の産地」としての第一歩を踏み出すことになるのだが、それはまだ先の話だ。


   *   *   *


一方、その頃。

俺たちが森でのんびりと木材談義に花を咲かせていた頃、勇者パーティは地獄を見ていた。


「はぁ……はぁ……! くそっ、なんだこの硬さは!」


場所は、王都へ向かう街道沿いにある「岩石の洞窟」。

近道のつもりで足を踏み入れた勇者ブレイドたちは、そこで遭遇した中ボス級モンスター『アイアンゴーレム』に苦戦していた。


「ブレイド! 剣が通りません! 魔法で装甲を溶かしてからにしてください!」

「やってるわよ! でも、杖の反応が悪くて、炎が大きくならないの!」


賢者ソフィアが悲鳴を上げる。

彼女の放つ火球(ファイアボール)は、以前なら岩をも溶かす高火力だったが、今は焚き火の種火のような弱々しい炎しか出ていない。

杖の魔力増幅回路が劣化し、彼女自身の魔力を十全に引き出せていないのだ。


「ええい、役立たずどもめ! 俺がやる!」


ブレイドは新調したばかりのアダマンタイトの長剣を構え、ゴーレムの懐に飛び込んだ。

この剣は、王都のドワーフが打った業物だ。

店主の言葉が嘘でなければ、岩くらい容易く両断できるはず。


「おおおおっ! 砕けろぉぉ!」


渾身の力で、ゴーレムの左足に剣を叩きつける。


ガギィィィンッ!!!


凄まじい金属音が洞窟内に反響した。

しかし、ゴーレムの足は砕けなかった。

表面に浅い傷がついた程度だ。

それどころか、ブレイドの手には強烈な痺れが走り、剣を取り落としそうになる。


「なっ……!?」

「ブレイド、危ない!」


動きの止まったブレイドに向かって、ゴーレムの巨大な拳が振り下ろされる。


「くっ!」


とっさに剣でガードするが、衝撃を殺しきれない。

以前、ルークがメンテナンスしていた聖剣には「衝撃吸収・拡散」の構造強化が施されていたため、巨人の一撃ですら軽々と受け流すことができた。

だが、今の剣はただの「硬い鉄の棒」だ。

物理法則通りの衝撃が、ブレイドの腕と肩を直撃する。


「ぐあっ……!」


ブレイドはボールのように吹き飛ばされ、洞窟の壁に叩きつけられた。


「ブレイド様!」

「ヒール! 急いで!」


聖女アリアが駆け寄り、回復魔法をかける。

淡い光がブレイドを包むが、傷の治りは遅い。

アリアの聖杖もまた、ルークの手入れを失って「加護」の力が弱まっていた。


「い、痛い……! なんでだ……なんで治らない!」

「魔力の通りが悪くて……。これ以上はポーションを使ってください!」


ブレイドは懐から上級ポーションを取り出し、一気に飲み干した。

ようやく痛みが引き、身体を起こす。

だが、その表情は屈辱と焦りで歪んでいた。


「ふざけるな……! 俺は勇者だぞ!? こんな石人形ごときに!」


彼は自分の腕のなまりを認めようとはしなかった。

全ては道具のせい。

「あの店主、偽物を売りつけやがったな!」と、見当違いの怒りを燃やす。


「……撤退するぞ」

「えっ?」

「聞こえないのか! 撤退だ! この剣じゃ相性が悪い! 一度街に戻って、もっといい武器を探す!」


勇者パーティは、たかが中ボス相手に背中を見せて逃げ出した。

洞窟を出て、息を切らしながら座り込む三人の空気は最悪だった。


「……ねえ。もしかして」


ソフィアがポツリと呟く。

眼鏡の奥の瞳が、揺れていた。


「ルークがいた時は、こんなことなかったですよね」

「……」

「ゴーレムの装甲だって、ブレイドの剣なら豆腐みたいに切れていました。私の魔法だって、杖を振るだけで発動しました。アリアの回復だって、一瞬で全快していました」

「だからなんだ!」


ブレイドが食ってかかる。


「あいつのせいだと言いたいのか!?」

「違います。でも……あいつがしていた『修理』は、普通じゃなかったのかもしれない。私たちは、何か取り返しのつかないものを失ってしまったんじゃ……」


「黙れ!」


ブレイドは剣を地面に突き刺した。


「あいつはただの修理屋だ! 戦闘力ゼロの雑魚だ! 俺たちが負けたのは、あいつがいないからじゃない! たまたま装備の調子が悪かっただけだ!」


必死に否定するブレイドだったが、その手は微かに震えていた。

聖剣グラン・ミストルを手放したことへの後悔。

そして、ルークという存在の大きさへの疑念。

それが、小さな棘となって彼の心に突き刺さり始めていた。


「王都に着けば……。王都に着けば、全て元通りになる」


それはもはや、祈りに近い言葉だった。

しかし、彼らが王都に辿り着き、そこでさらなる絶望――「国一番の鍛冶師ですら、ルークの技術の足元にも及ばない」という事実――を知るまで、あと数日の猶予があった。


   *   *   *


再び、グリーンホロウ。

ガンツさんの「森切り開き事件」から数時間が経ち、夕暮れ時を迎えていた。

俺は店先で、ガンツさんが運んできてくれた香木を加工し、小さな木彫りの置物を作っていた。

端材の有効活用だ。

【修理】スキルを応用すれば、木材の繊維を自在に操ることができるので、彫刻刀を使わずに指先でなぞるだけで複雑な造形が可能になる。


「よし、守り神のフクロウ。完成」


可愛らしいフクロウの像が出来上がった。

これを店のカウンターに飾っておこう。


「……ん?」


ふと、村の入り口の方から、誰かが歩いてくる気配がした。

村人たちはもうそれぞれの家に帰って夕食の時間だ。

こんな時間に、誰だろう?


目を凝らすと、夕闇の中にふらふらと覚束ない足取りで歩く人影が見えた。

ボロボロのローブを纏い、腰には古びた剣を差している。

老人だ。

しかも、ただの老人ではない。

全身から漂う「死」の気配と、それ以上に鋭い「剣気」の残滓。


「……おい、爺さん!」


俺は慌てて駆け寄った。

老人は俺の姿を認めると、安心したように微笑み、そしてガクッと膝をついた。


「……すまんな、若いの。少し、休ませてくれんか……」

「しっかりしろ! おい、大丈夫か!」


俺は老人を抱き留めた。

軽い。まるで枯れ木のような軽さだ。

だが、その身体には無数の古傷が刻まれており、彼が只者でないことを物語っていた。

そして何より、俺の目は彼の腰にある剣に釘付けになった。


鞘はボロボロで、革は剥がれ落ちている。

だが、その奥にある刀身からは、微かだが、しかし間違いなく「最強」の輝きを感じた。

これは、ただの剣じゃない。

かつて世界を救ったといわれるような、伝説級の名剣だ。

それが今、持ち主と共に朽ち果てようとしている。


「……へへ、情けない姿を見せたのう。わしは、ただの通りすがりの旅人じゃよ」


老人は乾いた笑い声を漏らすが、その顔色は土気色だ。

俺は迷わず、老人を担ぎ上げた。


「旅人だろうが何だろうが、俺の店の前で倒れたなら客だ。うちは修理屋なんでね、壊れかけたものは放っておけないんだよ」

「修理屋……?」

「ああ。あんたの身体も、その剣も、俺が新品同様に直してやる」


俺は老人を背負い、店へと急いだ。

この出会いが、俺とこの村の運命をさらに大きく変えることになる。

かつて「剣聖」と呼ばれ、今は世捨て人となった伝説の英雄。

彼こそが、俺の店の最初の「常連客」にして、最強の用心棒となる男だった。


「ふふ……面白いことを言う小僧じゃ……」


老人の寝言のような呟きを聞きながら、俺はニヤリと笑った。

修理屋ルークの腕の見せ所だ。

さあ、忙しくなりそうだぞ。

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