第5話 村人たちがざわついている。「あの廃屋、いつの間に直ったんだ?」

チュンチュン、と小鳥のさえずりが朝の訪れを告げていた。

グリーンホロウの朝は早い。

山間部の冷涼な空気が漂う中、村人たちは畑仕事や家畜の世話のために動き出している。

だが、今朝の村の空気はいつもと少し違っていた。


村の中央広場にある井戸端では、水汲みに集まった主婦たちが、桶を置いたまま何やら熱心に話し込んでいた。


「ねえ、聞いた? 丘の上の幽霊屋敷の話」

「聞いたわよ! 今朝見たら、まるでお城みたいに綺麗になってるじゃない!」

「昨日の夜、ピカッと光ったと思ったら、あっという間にあんな姿に変わったんだって。うちの宿六が腰を抜かして帰ってきてさ」

「魔法使い様なのかしら? それとも、お伽話に出てくる妖精?」


噂の主である俺、ルーク・ヴァルドマンは、そんな村の騒ぎを知る由もなく、新しい家の前で看板の設置作業に勤しんでいた。

昨日の夜、即席で作った板切れの看板だ。

『なんでも修理屋ルーク』。

少し武骨な文字だが、職人の店らしくて気に入っている。


「よし、こんなもんか」


俺は看板を玄関脇の地面に深く突き刺し、ハンマーで軽く叩いて固定した。

ついでに【修理】スキルで土壌の密度を高め、強風が吹いても倒れないように基礎を固める。

これで、俺の城と店の完成だ。


一歩下がって眺めていると、視線を感じた。

柵の向こう、道の茂みから、数人の子供たちがこちらを覗いている。

泥だらけの服を着た、ワンパクそうな男の子と、その後ろに隠れるようにしている女の子たちだ。


「……おーい、そこに入ると危ないぞー(なんてことはないけど)」


俺が声をかけると、子供たちはビクッとして逃げ出そうとしたが、一番年長らしき少年が勇気を振り絞って踏みとどまった。


「お、お兄ちゃん! ここ、お兄ちゃんの家なのか!?」

「ああ、そうだよ。昨日引っ越してきたんだ」

「すげえ! お化け屋敷だったのに! どうやったんだよ! 魔法か!?」


少年の目はキラキラと輝いていた。

男の子というのは、こういう秘密基地めいた場所や、劇的な変化に弱い生き物だ。


「魔法じゃないよ。修理したんだ」

「シュウリ? よくわかんねーけど、すっげー!」

「お兄ちゃん、かっこいい!」


どうやら、この村での第一印象は悪くないらしい。

子供たちに手を振って見送ると、坂の下から杖をついた人影が登ってくるのが見えた。

村長だ。


「おはよう、ルーク君。よく眠れたかね?」

「おはようございます、村長。おかげさまで、最高の目覚めでした」

「それは良かった。……しかし、改めて見ても信じられん光景じゃな」


村長は眩しそうにコテージを見上げた。

朝日を受けて輝く白壁、歪み一つない屋根、そして手入れされた庭。

昨日までの廃墟を知る者からすれば、一夜にして別世界が現れたようなものだろう。


「村のみんなも大騒ぎしておるよ。得体の知れない魔法使いが住み着いたんじゃないかと、怖がっている者もいてな」

「あはは、怪しい者じゃありませんよ。ただの職人です」

「わかっておる。だからこそ、わしがこうして頼みに来たんじゃ」


村長の表情が、少し真剣なものに変わった。

俺は姿勢を正す。


「昨日の話ですね。水車小屋の修理ですか?」

「うむ。実はな、あの水車はこの村の生命線なんじゃが、もう何十年も騙し騙し使っておってな。軸が歪んで異音がするし、最近じゃ小麦を挽くのに倍の時間がかかるようになってしまった。隣町の職人に見せたら『建て直すしかない』と言われて、途方もない金額を提示されたんじゃよ」


村長は深いため息をついた。

限界集落の財政難。建て直す金などあるはずもない。

このままでは、今年の収穫物を粉にすることもできず、村はさらに困窮することになる。


「任せてください。建て直す必要なんてありません。俺が直せば、新品よりもよく回るようにしてみせます」

「おお……! 報酬は弾めないが、村の倉庫にある野菜や穀物でよければ、好きなだけ持って行ってくれ」

「十分ですよ。食べ物が一番助かります」


俺は商売道具のハンマーを担ぎ直した。

さあ、仕事の時間だ。


   *   *   *


村長に案内されてたどり着いたのは、村の東側を流れる川沿いの小屋だった。

清流の勢いはそれなりにあるが、肝心の水車は見るも無惨な状態だった。

苔むした木製の羽根はあちこちが欠け、回転するたびに「ギ……ギギ……」と苦しげな悲鳴を上げている。

動力軸は明らかに中心がズレており、その振動が小屋全体を揺らしていた。


「これは……よく今まで動いていましたね」


俺は思わず感嘆の声を漏らした。

構造的欠陥と経年劣化のオンパレードだ。

普通の道具ならとっくに崩壊しているレベルだが、村の人々が大切に守ってきた執念だけで回っているようなものだ。


「どうじゃ、ルーク君。直せそうか?」

「もちろんです。むしろ、これだけ壊れていると燃えてきますね」


俺は腕まくりをした。

周りには、村長の話を聞きつけた村人たちが、遠巻きに見物に来ている。

「本当にあんな若造に直せるのか?」「昨日の家の話は本当なのか?」とひそひそ話す声が聞こえる。

ここが腕の見せ所だ。

村人たちの信頼を勝ち取れば、これからの生活もやりやすくなる。


「村長、作業中は危ないので、少し離れていてください。あと、水門を閉めなくても大丈夫です。回りながら直しますから」

「なっ、止めてからやるんじゃないのか!?」

「止める時間がもったいないですし、動いている状態の方がバランスを見やすいんです」


俺は驚く村長をよそに、水車の軸受け部分に近づいた。

水しぶきがかかるが、お構いなしだ。

まずは、スキルの「解析」で全体の構造を把握する。


(ふむふむ。主軸の摩耗率40%、羽根の欠損率30%。石臼への伝達ギアの噛み合わせは最悪。摩擦ロスだけで動力の半分を捨てているようなもんだな)


頭の中に、真っ赤な警告色に染まった設計図が浮かぶ。

それを、理想的な青色の設計図へと書き換えていく。

ただ元通りにするだけじゃない。

この豊富な水量をもっと効率的に活かせる形状へ。

耐久性を上げ、メンテナンスフリーな構造へ。


「いきますよ……【修理】!」


俺は気合と共に、ハンマーを主軸の根本に叩き込んだ。


カァンッ!


澄んだ音が川面に響く。

その瞬間、奇跡が起きた。

俺が叩いた場所から光の波紋が広がり、腐っていた木材が一瞬で若々しい飴色の硬木へと変質していく。

歪んで楕円軌道を描いていた軸が、まるで定規で引いたような一直線に矯正される。


「うおっ!? 軸が真っ直ぐになったぞ!」

「音も消えた!」


村人たちのどよめきを背に、俺は次々と叩いていく。


カァン! カァン!

羽根の一枚一枚を叩く。

欠けていた部分が光の粒子となって再生し、さらに水流を効率よく受け止めるための流線型へと形状が変化する。

苔や汚れは弾き飛ばされ、防水加工された表面は水を玉のように弾く。


カァン!

次は小屋の中へ入り、石臼へと繋がる木製の歯車を叩く。

ガタガタと音を立てていた歯車が、噛み合わせを「最適化」され、吸い付くように滑らかに回り始めた。

摩擦係数を極限までゼロに近づける概念操作。

これにより、小さな力でも大きなトルクを生み出すことが可能になる。


「ついでに、石臼も!」


ドォン!

重い石臼をハンマーで叩く。

表面の細かな溝(目立て)が、ミクロン単位の精度で彫り直される。

さらに、粉砕効率を上げるために、石臼の素材密度を上げて重量バランスを調整。


作業時間は、わずか五分。

光が収まった時、そこには生まれ変わった水車小屋があった。


シュゥゥゥ……。


以前の「ギギギ」という騒音は消え失せた。

聞こえるのは、風を切るような静かな回転音だけ。

水車は目にも留まらぬ速さで回転しているが、軸のブレは皆無。

まるで生き物のように、滑らかに、力強く回り続けている。


「で、出来た……」


俺は額の汗を拭った。

会心の出来だ。

これなら、あと百年はメンテナンスなしで動くだろう。


「お、おい……嘘じゃろ……」

「あんなに早く回ってるのに、音がしねぇ……」


村人たちは呆然と立ち尽くしていた。

村長が震える手で小屋の中を指差した。


「ルーク君、臼はどうなったんじゃ? こんなに速く回して、壊れてはおらんか?」

「試してみましょう。誰か、小麦を持っていますか?」


一人の農夫がおずおずと、袋に入った麦を持ってきた。

俺はそれをホッパー(投入口)に入れる。


ザラララ……。


一瞬だった。

投入された麦が石臼に吸い込まれたかと思うと、排出口から雪のように真っ白で、きめ細やかな粉が滝のように流れ出してきたのだ。


「なっ!?」

「は、早えぇぇ!!」

「それに、なんだこの粉の細かさは! 絹みたいだぞ!」


農夫が粉を手に取り、その感触に絶叫した。

従来のゴリゴリとした石臼挽きとは次元が違う。

雑味がなく、ふんわりとした最高級の小麦粉だ。


「摩擦熱が出ないように冷却構造も組み込んでおきましたから、風味も飛びませんよ。これなら、今まで一週間かかっていた粉挽きが、一時間で終わると思います」


俺がサラリと言うと、村長はその場にへたり込んだ。


「一週間が……一時間……」

「あ、回転速度が速すぎるなら、横のレバーで調整できるように変速機も付けておきました。低速モードなら、蕎麦の実とかも優しく挽けますよ」


沈黙。

そして、爆発的な歓声。


「すげええええええ!!」

「ルーク様! あなたは神様ですか!?」

「村長! 今すぐ家に残ってる麦を全部持ってこよう!」

「俺の家のクワも直してくれ!」「うちの雨漏りも!」「俺の腰痛も!」


俺はあっという間に村人たちに取り囲まれ、もみくちゃにされた。

昨日までの「よそ者」への警戒心はどこへやら。

彼らの目は、尊敬と期待で輝いていた。


「わ、わかりました! 順番に聞きますから! お店の方に来てください!」


嬉しい悲鳴を上げながら、俺はこの村での居場所を確実なものにしたと実感していた。

自分の技術が、目の前の人々を笑顔にする。

勇者パーティでは決して得られなかった、ダイレクトな感謝の言葉。

それがこんなにも心地よいものだとは。


「(……へへっ、悪くないな)」


俺は村人たちの笑顔の中心で、ハンマーを握りしめた。

これこそが、俺が求めていた「職人としての幸せ」なのかもしれない。


   *   *   *


その日の夜。

グリーンホロウがルークの歓迎会で盛り上がっている頃。

遥か西の街道を進む勇者パーティの状況は、さらに悪化の一途をたどっていた。


「……硬い」


勇者ブレイドが、夕食のパンを噛みちぎりながら呟く。

彼らが野営をしている場所は、王都まであと三日の距離にある森の中だ。

食事当番の聖女アリアが作ったスープは煮込み不足で野菜がゴリゴリしており、焼いた肉は焦げているのに中は生焼けだった。


「文句を言わないでください。調理器具が使いにくいのです」


アリアが不機嫌そうに言い返す。

彼女が使う鍋やフライパンも、かつてはルークが熱伝導率を均一に調整し、焦げ付き防止のコーティングを施していた特注品だった。

だが、そのコーティングが剥がれ、ただの鉄板に戻ってしまった今、料理素人のアリアにとって調理は苦行でしかなかった。


「それよりブレイド、あなたの剣、変な音がしませんか?」


賢者ソフィアが指摘する。

ブレイドの腰にある聖剣グラン・ミストル。

鞘に収まっているにも関わらず、どこか不協和音のような微細な振動を発していた。


「ああ……今日の雑魚モンスターとの戦闘で、また刃こぼれしたみたいだ。斬れ味も落ちてきた。硬い甲羅を持つ亀みたいな魔物だったからな」

「研ぎ石で手入れはしたのですか?」

「やったさ! 見よう見まねでな! だが、やればやるほど刃が丸くなっていく気がするんだよ!」


ブレイドは苛立ちを隠せない。

剣を研ぐというのは、高度な技術が必要な作業だ。

特に聖剣のような特殊な金属は、魔力の流れを読みながら研磨しなければ、逆に性能を損なうことさえある。

ルークはそれを、息をするように自然に行っていたのだ。


「それに……鎧の関節部分が軋んで、動きにくい。油を差しても直らないんだ」


ブレイドは肩を回し、顔をしかめた。

ルークが施していた「構造的な摩擦軽減処理」が消え、単なる金属の塊としての重量が彼にのしかかっていた。


「ねえ、もしかして……」


アリアがぽつりと呟いた。


「ルーク様って、私たちが思っていた以上に、重要な役割をしていたのではなくて?」


その言葉に、三人は沈黙した。

焚き火の爆ぜる音だけが響く。

認めたくない事実。

「ただの修理屋」「雑用係」と見下していた男が、実はパーティの戦力を底上げしていた要石だったという可能性。


「馬鹿な!」


ブレイドが大声で否定した。


「あんな奴、いなくたってなんとかなる! 王都に着けば、国一番の鍛冶師にメンテナンスを頼めばいいだけの話だ! 金ならいくらでもある!」

「そ、そうですわよね。王都の職人なら、ルーク様以上の腕を持っているはずですわ」

「ええ。これは一時的な不便さに過ぎません。合理的判断は間違っていなかったはずです」


彼らは必死に自分たちに言い聞かせるしかなかった。

自分たちが犯した過ちの大きさに気づき始めていながら、プライドがそれを認めさせないのだ。


しかし、現実は非情だ。

王都の職人たちが、ルークの技術の足元にも及ばないという事実を、彼らはまだ知らない。

そして、ルークが施していたメンテナンスが単なる「修理」ではなく、一種の「呪い」に近いほどの「強制強化」であったことにも。

その強化が切れた時、伝説の聖剣がどうなるのか。

それを知る時、彼らは本当の絶望を味わうことになるだろう。


一方、グリーンホロウのルークの家では。

村長から差し入れられた大量の野菜と、挽きたての小麦粉で作ったパン、そして村秘蔵の果実酒がテーブルに並んでいた。


「うめぇぇぇ!」


俺は焼きたてのパンを頬張り、感動に打ち震えていた。

外はカリッ、中はモチッ。麦の香りが鼻腔をくすぐる。

やはり、道具が良いと素材の味も引き立つ。

俺が直した水車と、俺が作った石窯(ついさっき即席で作った)のコラボレーションだ。


「一人で食べるには多すぎるな……。明日はもっと村の人を呼んで、パーティでもするか」


孤独だった夜はもう過去のもの。

今の俺には、明日への希望と、やりたいことが山ほどある。


「次は……村の道路を舗装して、あと井戸の水質も改善して、あ、そうだ、街灯がないから夜道が暗いんだよな。魔石を使った自動点灯ライトを作ろう」


アイデアが尽きない。

修理屋ルークの快進撃は、まだ始まったばかりだ。

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