第4話 幽霊が出そうな廃屋? いえ、10分あれば新築同然になります
「……夢でも見ているんじゃろうか」
村長の震える呟きが、静まり返った空間に落ちた。
無理もない反応だ。
ほんの十分前まで、そこにあったのは間違いなく「村の汚点」とも言うべき廃屋だった。
屋根は骨組みが剥き出しで、壁は腐り落ち、周囲には陰気な空気が漂う幽霊屋敷。
それが今、目の前にあるのは、まるで王都の高級住宅街に建っていてもおかしくない、瀟洒なコテージなのだから。
月明かりと、窓から漏れる温かな暖炉の光が、新しくなった外壁を優しく照らしている。
俺、ルーク・ヴァルドマンは、ハンマーを腰に戻すと、呆然と立ち尽くす村長とガンツさんに向かって手招きをした。
「立ち話もなんですし、中へどうぞ。お茶くらいなら出せると思います」
「な、中へって……本当に入っていいのか? 崩れてきたりせんか?」
「大丈夫ですよ。強度は以前の十倍、いや、耐震補強も入れたので二十倍にはなってます。ドラゴンが体当たりしてもビクともしませんよ」
「ド、ドラゴン……」
ガンツさんがゴクリと喉を鳴らす。
二人は恐る恐る、まるで薄氷の上を歩くように慎重な足取りで近づいてきた。
俺は新しくなった玄関ドア(防犯用にオートロック機構を組み込み済みだが、今は解除してある)を開け放つ。
「お邪魔……するぞ」
村長が第一歩を踏み入れた瞬間、その目が大きく見開かれた。
「なんじゃ、この空気は……?」
外は夜風が吹き荒れ、山間部特有の冷え込みが厳しくなってきている時間帯だ。
しかし、一歩室内に入ると、そこはまるで春の陽だまりのような暖かさに包まれていた。
隙間風など微塵もない。
断熱材として壁の内部構造を変質させ、さらに空気の対流をコントロールする通気口を設けたことで、常に適温が保たれるようになっているのだ。
「暖かい……。暖炉がついているとはいえ、こんなに部屋全体が均一に暖かいなんて」
「壁と床の機密性を高めましたからね。熱効率は最高ランクですよ」
「そ、それに、この床!」
ガンツさんがその場で足踏みをする。
以前の廃屋なら、歩くだけでギシギシと悲鳴を上げ、踏み抜けば床下のネズミとこんにちは、という状態だったはずだ。
だが今は、最高級のオーク材(腐った木材を浄化・圧縮したもの)が隙間なく敷き詰められ、コツコツと心地よい硬質な音を返してくる。
「滑らかで、継ぎ目がどこにあるかもわからねぇ……。王様の城だって、こんな立派な床じゃねぇぞ」
「素材はもともとこの家に使われていた古材ですよ。年月が経って締まっていた分、新品の木材より味が出ましたね」
俺は二をリビングへと案内した。
そこには、半壊していたはずの家具たちが、新品以上の輝きを取り戻して鎮座している。
脚の折れていたテーブルは、重心バランスを完璧に調整された頑丈なダイニングテーブルに。
綿が飛び出していたソファは、座る人の体型に合わせて形状変化する極上のクッション性を獲得していた。
「さあ、座ってください」
「い、いいのか? 俺みたいな木こりが、こんなふかふかの椅子に……」
「遠慮しないでください。これから俺がお世話になる村の方なんですから」
恐縮しながらソファに腰を下ろした二人は、「おおぅ……」と変な声を上げて沈み込んだ。
俺はその間に、キッチンへ向かう。
井戸から水を引くポンプは錆びついて動かなかったが、配管の詰まりを『分解』し、内壁をガラスコーティングすることで、スムーズかつ清潔な水が出るように直してある。
錆びた鉄瓶も、叩いて不純物を取り除き、熱伝導率の良い合金製のケトルへと進化させた。
コポコポコポ……。
瞬く間にお湯が沸く。
手持ちの安物の茶葉だが、ポットの中で対流を計算してお湯を注げば、香り高い紅茶へと変わる。
「どうぞ」
湯気の立つカップをテーブルに置くと、村長は拝むようにしてそれを受け取った。
「……美味い。なんだこれは。ガンツの家で飲む渋い茶と同じ茶葉とは思えん」
「淹れ方と道具で味は変わりますからね」
一息ついたところで、村長が改めて俺に向き直った。
その瞳には、畏敬の念と、隠しきれない好奇心が宿っている。
「ルーク君。お主、ただの修理屋と言ったが……これは魔法か?」
「いえ、魔法じゃありません。俺は魔力適性が低くて、火ひとつ起こせませんから」
「じゃあ、どうやってこんな……。あのボロ屋敷が、たった十分で新築……いや、豪邸に変わるなど」
俺は少し考え、正直に、しかし大げさになりすぎないように説明することにした。
「俺のスキルは【修理】です。壊れたものの『悪い部分』を取り除き、『あるべき姿』に戻す。それだけの力です。ただ、人より少しだけ、その『戻す』精度が高いというか……おまけをつけるのが得意なんです」
「おまけ、とな……」
「ええ。例えば、この家の柱。シロアリに食われてスカスカでしたが、その空洞をただ埋めるんじゃなくて、より硬い成分で満たして圧縮しました。結果として、鉄より硬い木材になったわけです」
村長は口をポカンと開けて天井を見上げた。
「鉄より硬い……木……?」
「そういうことです。だから、魔法で無から有を生み出したわけじゃありません。ここにある材料を、一番いい形に組み直しただけですよ」
厳密には、概念的な修復や構造改革まで行っているので「ただ直した」の範疇は超えているのだが、専門的な話をしても混乱させるだけだろう。
「……なるほど。わしにはさっぱり理屈が分からんが、すごい技術だということは分かった」
「そう言ってもらえると助かります。それで、村長。家賃の話なんですが……」
「家賃!? いらんいらん! 金なんて取れるか!」
村長は慌てて手を振った。
「むしろ、こんな幽霊屋敷をここまで立派にしてくれたんじゃ。礼を払わなきゃいかんのはこっちの方じゃよ。……そういえば、幽霊の噂はどうなった?」
ガンツさんが不安そうに辺りを見回す。
「夜になると、ヒュゥー……って女の人の泣き声みたいな音が聞こえるって話だったが」
「ああ、それなら原因は分かりましたよ」
「ほ、本当か!? やっぱり、無念の霊が……」
「いいえ。二階の窓枠の隙間と、屋根裏の通気口の角度が悪かったんです」
俺は指を立てて説明した。
「特定の方向から風が吹くと、その隙間が笛のように共鳴して、人の泣き声みたいな音を出していたんです。笛吹きケトルと同じ原理ですね。窓枠をぴったり合うように『修理』して、通気口の形状を変えたので、もう音はしません」
それを聞いて、二人は目に見えてホッとした様子で脱力した。
「な、なんだ……ただの風だったのか」
「古い家にはよくあることですよ。家が『直してくれ』って泣いてたのかもしれませんね」
俺が冗談めかして言うと、村長は深く頷いた。
「そうかもしれん。この家も、建てられた時は村一番の立派な家じゃった。持ち主がいなくなって、寂しかったのじゃろうな……。ルーク君、この家を生き返らせてくれて、ありがとう」
村長の言葉は温かかった。
勇者パーティでは「道具」としてしか見られていなかった俺の仕事を、ここでは「家を生き返らせた」と表現してくれる。
それが何より嬉しかった。
「さて、長居してしまったな。旅の疲れもあるだろう。今日はゆっくり休むといい」
「明日は村のみんなに紹介するよ。こんな凄腕の職人が来たって知ったら、みんな腰を抜かすぞ」
二人は何度も礼を言いながら、帰っていった。
帰り際、村長が振り返って言った。
「ルーク君。この村は何もない場所だが、お主のような若者が来てくれて、わしらは本当に嬉しいんじゃ。困ったことがあったら、なんでも言ってくれ」
パタン、と扉が閉まる。
後に残されたのは、静寂と温もり。
俺は一人、広くなったリビングを見渡した。
「……自分の、家か」
今まで、宿屋暮らしかテント生活しかしてこなかった。
自分の城を持つのは、子供の頃からの夢だった。
それがこんな形で、しかもこんな素敵な場所で叶うとは。
「さてと。寝る前に自分のことも『修理』しておくか」
俺はシャワールーム(元はただの水浴び場だったが、給湯システム完備の快適空間に改造済みだ)で汗を流し、旅の汚れを落とした。
着ている服も【修理】する。
破れた箇所は塞がり、生地の繊維が整い、洗濯したてのパリッとした感触と柔軟剤のような香りが戻ってくる。
ついでに「防汚」「抗菌」「自動温度調整」の機能を繊維に織り込んでおいた。これでしばらく洗濯しなくても快適だ。
そして、寝室へ。
そこには、廃材の布と藁(わら)を再利用して作ったベッドがある。
見た目は素朴なカントリー調だが、中身は俺の技術の結晶だ。
寝る人の体重を分散させ、最適な寝姿勢を保つスプリング構造。
枕は首のカーブに完全にフィットするオーダーメイド仕様。
ゴロン、と横になる。
「…………あ、これダメだ。人をダメにするやつだ」
意識が瞬時に溶けそうになるほどの寝心地。
勇者パーティにいた頃、不眠不休で働いていた日々が嘘のようだ。
外からは、虫の声と、風が木々を揺らす音だけが聞こえてくる。
不気味な音はもうない。
「明日は……村の水車を直してほしいって言ってたな」
天井の木目を眺めながら、ぼんやりと考える。
水車を直せば、粉挽きが楽になるだろう。
そうしたら、美味しいパンが食べられるかもしれない。
村の人たちは驚くだろうか。
喜んでくれるだろうか。
「……うん、悪くない」
俺は目を閉じた。
追放された悔しさも、将来への不安も、このフカフカのベッドと家の温もりが吸い取ってくれるようだった。
俺は泥のように、深く、安らかな眠りに落ちていった。
* * *
一方その頃。
俺が極上の眠りを貪っているとは露知らず、勇者パーティの夜は悲惨を極めていた。
「くしゅんっ!」
聖女アリアのくしゃみが響く。
王都へ向かう道中、彼らは野宿を余儀なくされていた。
いつもならルークが展開する「全天候型結界テント」の中で快適に過ごしているはずだったが、そのテントはブレイドが乱暴に扱ったせいで骨組みが折れ、使い物にならなくなっていた。
仕方なく予備の安物テントを張ったものの、隙間風は容赦なく吹き込み、地面の冷気が直に伝わってくる。
「寒い……。なんで火がつかないのよ!」
「薪が湿っているんです。ソフィア、魔法で点火してください」
「もう魔力が切れそうです。今日は回復魔法で手一杯でしたから……」
賢者ソフィアが青い顔で杖を振るが、種火がチロチロと燃えてはすぐに消えてしまう。
彼女の杖もまた、ルークのメンテナンスを失い、魔力増幅効率が著しく低下していたのだ。
「クソッ、何もかも上手くいかねぇ!」
勇者ブレイドは、イライラと缶詰をこじ開けようとしていた。
しかし、頼みの綱のナイフは刃こぼれして切れ味が悪く、缶の蓋を突き破るどころか、滑って自分の指を切りそうになる始末。
「イテッ! ……なんだこのナマクラは! ちゃんと研いでおけよ!」
「研いでいたのはルークです。私たちは研ぎ方など知りません」
「……あいつ、こんな地味な作業を毎日やっていたのか?」
ふと、ブレイドの脳裏に、夜遅くまで焚き火のそばで黙々と作業をしていたルークの背中がよぎる。
だが、彼はすぐにその考えを振り払った。
「フン、どうせ暇だったんだろう。俺たちは戦闘で忙しいんだ、そんな雑用にかまけてられるか」
強がりを言ってみるが、現実は冷たい。
固いパンと、冷たいままの缶詰スープ。
寝袋は薄く、背中には石が当たって痛い。
これまで「当たり前」だと思っていた快適さが、実はルークという「縁の下の力持ち」によって支えられていたことに、彼らはまだ無自覚なまま、不満だけを募らせていた。
「王都に着けば……王都に着けば、最高の宿と食事が待っている」
「そうですわね。あと数日の辛抱です」
彼らは知らない。
その「数日」の間に、彼らの装備がさらに劣化し、馬車が完全に故障し、さらなる地獄を見ることになるということを。
* * *
翌朝。
グリーンホロウの村は、いつになく騒がしかった。
「おい、見たか?」
「ああ、見たとも。たまげたなぁ」
「昨日の今日だぞ? 魔法使い様でもあんなことできねぇよ」
村人たちが、丘の上の「元・幽霊屋敷」を指差して噂話をしている。
朝日に照らされたその家は、昨夜の暗闇の中で見た時よりもさらに美しく輝いていた。
庭の雑草は綺麗に刈り取られ(ルークが朝飯前に鎌を【修理・自動草刈り機能付与】して一掃した)、屋根には風見鶏が回っている。
廃墟の面影など、欠片もない。
そんな中、扉が開き、ルークが大きく伸びをしながら出てきた。
ぐっすり眠って肌艶の良くなった彼は、集まっている村人たちに気づくと、屈託のない笑顔で手を振った。
「おはようございます! みなさん、早起きですね!」
その笑顔を見て、村人たちは顔を見合わせた。
この少年が、この村の救世主になるかもしれない。
そんな予感が、村中に広がり始めていた。
「さて、今日はまず村長さんのところへ行って、水車の修理だな」
ルークは愛用のハンマーを担ぐと、軽快な足取りで坂を下りていく。
その背中には、もう「追放者」の暗い影はない。
あるのは、希望と、尽きることのない職人魂だけだ。
「なんでも修理屋ルーク」、本格始動の朝である。
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