第3話 最果ての村グリーンホロウ。ここなら静かに暮らせそうだ
ガタゴト、ガタゴト。
農夫のガンツさんが操る荷馬車に揺られること半日。
鬱蒼とした森を抜け、急な坂道を登り切った先に、その視界は開けた。
「ほら、見えてきたぞ。あれがグリーンホロウだ」
ガンツさんが鞭で指し示した先を見て、俺は思わず息を呑んだ。
そこは、まさに「隠れ里」と呼ぶにふさわしい場所だった。
三方を険しい山脈に囲まれ、残る一方は深い森。天然の要害のような地形の中に、ポッカリと空いた盆地がある。
中央にはクリスタルのように澄んだ巨大な湖が水を湛え、その湖畔に寄り添うようにして、数十軒の家々が並んでいた。
夕暮れ時の斜陽が湖面を黄金色に染め、山々の稜線が紫色のシルエットを描く様は、一枚の絵画のように美しい。
「うわぁ……綺麗なところですね」
「景色だけはな。だが、中に入ればガッカリするぞ。何せ、若者がいなくなっちまった老人ばかりの村だからな」
ガンツさんは自虐的に笑いながら、馬に合図を送った。
馬車が村の入り口にあるアーチをくぐる。
近づいて見てみると、確かにガンツさんの言う通りだった。
遠目には美しく見えた家々も、よく見れば壁の漆喰が剥がれ落ち、屋根瓦がズレて苔むしている。
村を囲む柵はあちこちが腐って倒れかけ、かつては立派だったであろう石畳の道も、雑草の侵食によってボコボコに荒れていた。
(……これは、やり甲斐がありそうだ)
普通の人間なら「寂れた村」と顔をしかめる場面だろう。
だが、俺の職人としての血は、むしろ騒いでいた。
壊れているということは、直せるということだ。
そして直せば、もっと良くなるということだ。
俺の【修理】スキルの出番が、そこら中に転がっている。
「おい、みんな! 街から戻ったぞ!」
村の中央広場に馬車が止まると、ガンツさんが声を張り上げた。
すると、家々からゆっくりと村人たちが顔を出す。
腰の曲がったお婆さん、杖をついたお爺さん。
見渡す限り、高齢者ばかりだ。子供の姿も、働き盛りの若者の姿も見当たらない。
彼らは俺という見知らぬ来訪者を見つけると、驚いたように目を丸くしてささやき合った。
「おや、ガンツのやつ、誰を連れてきたんだ?」
「若い衆じゃないか。ひ孫の顔を見るのは何年ぶりかねぇ」
「いやいや、旅人だろう。こんな何もない村に用があるとも思えんが」
そんな中、一人の老人が杖をつきながら歩み出てきた。
白く長い髭を蓄え、背筋こそ曲がっているが、眼光にはまだ理知的な光が宿っている。
「おかえり、ガンツ。……して、そちらの若者は?」
「村長、途中の宿場町で拾ったんだ。ルークっていうんだが、この村に行きたいって言うもんでな」
「ほう、この村に?」
村長と呼ばれた老人は、俺をじろりと観察した。
身なりは質素(というかボロボロの旅装束)、背中には身の丈ほどもある巨大なハンマー。
怪しまれても仕方がない風体だ。
俺は慌てて馬車から飛び降り、頭を下げた。
「初めまして。ルークと申します。修理屋を営んでいまして、静かに暮らせる場所を探して旅をしていました。ハンザさんという商人からこの村のことを聞き、是非住んでみたいと思って参りました」
「修理屋……?」
村長は眉をひそめた。
「こりゃまた、奇特な若者じゃな。見ての通り、この村はもうすぐ寿命を迎える限界集落じゃよ。仕事なんてありゃせんし、若いお主が楽しめるような娯楽も何もない。悪いことは言わんから、明日には街へ戻った方がいい」
拒絶、というよりは、心配してくれている口調だった。
若者の未来を、こんな寂れた村で浪費させるのは忍びないと思っているのだろう。
だが、俺の意志は固かった。
王都のギスギスした人間関係や、勇者パーティでの過酷なノルマに比べれば、この静けさは何物にも代えがたい魅力だ。
それに、俺には見えていた。
この村が持つポテンシャルが。
豊かな水源、肥沃そうな土壌、そして今はボロボロだが、かつてしっかりと作られたであろう建物の基礎たち。
手入れさえすれば、ここは楽園になる。
「いえ、ここがいいんです。この静けさと、美しい景色が気に入りました。それに、仕事がないなら自分で作ります。村の壊れたものを直すだけでも、当分は食い扶持に困らなそうですし」
俺が笑顔で答えると、村長は呆気にとられたような顔をした後、困ったように頭を掻いた。
「ふむ……本気のようじゃな。しかし、困ったことにこの村には宿屋がないんじゃよ。昔はあったんだが、客が来なくなって久しいから、今は物置になってしまっておる」
「空き家はありませんか? 住める状態じゃなくても構いません。自分で直しますから」
俺の言葉に、村人たちがざわめいた。
「自分で直すって言ってもなぁ……」
「大工の手配だって、隣町まで行かなきゃならんし、金もかかるぞ」
村長もしばらく考え込んでいたが、やがて一つ思い当たったようにポンと手を打った。
「そういえば、村外れの『あれ』なら空いておるが……」
「村長! まさか、あの『幽霊屋敷』を貸すつもりですか!?」
ガンツさんが素っ頓狂な声を上げた。
幽霊屋敷。なんて心惹かれる響きだろう。
「幽霊屋敷、ですか?」
「うむ。もともとは村の粉挽き小屋兼住居だったんだがな。持ち主が亡くなってから十年以上放置されておる。屋根は抜け、床は腐り、夜な夜な変な音がするという噂でな。誰も近づかんのじゃよ」
「それです!」
俺は食い気味に返事をした。
「それを貸してください。幽霊が出るなら、説得して出て行ってもらいます」
「いや、そういう問題じゃなくてな……。まあいい、百聞は一見にしかずじゃ。案内しよう」
村長に連れられ、俺たちは村の西外れへと向かった。
そこは他の家々から少し離れた、小高い丘の上にあった。
湖を一望できる絶好のロケーションだ。
だが、肝心の建物は、まさに「廃墟」という言葉がピッタリだった。
二階建ての木造建築だったようだが、二階部分は半壊し、壁にはツタが絡まり放題。
窓ガラスは一枚も残っておらず、入り口の扉は蝶番が外れて斜めに傾いている。
風が吹くたびに、ギギィ、ガタタン……と不気味な音が鳴り響いていた。
これが「夜な夜な聞こえる変な音」の正体だろう。
「……どうじゃ、ルーク君。これでは住むどころか、雨風をしのぐことすらできんじゃろう?」
村長が申し訳なさそうに言う。
隣にいたガンツさんも、「悪いことは言わん、俺の家の納屋の方がマシだぞ」と忠告してくれた。
確かに、普通の視点で見れば、これは産業廃棄物の山だ。解体して更地にするだけでも大金がかかるだろう。
だが。
俺はワクワクしながら廃屋に近づき、腐りかけた柱にそっと手を触れた。
【修理】スキル、解析開始。
(……なるほど。柱の芯はまだ生きている。基礎の石積みも頑丈だ。腐っているのは表面の木材と、屋根の梁の一部だけ。構造自体は、昔の職人が良い仕事をしている)
頭の中に、この家の本来の姿と、改修後の完成予想図が設計図として浮かび上がる。
ただ元通りにするだけじゃない。
俺のスキルなら、もっと快適に、もっと頑丈に作り変えることができる。
断熱材を構造的に組み込んで冬暖かく夏涼しい家に。
窓の採光を計算し直して明るい室内に。
腐った床板は、逆にアンティーク風の風合いを残したまま、強度を鋼鉄並みに引き上げて再利用しよう。
俺にとっては、最高物件だった。
「村長。この家、俺に売ってください」
「は? 売る?」
「はい。もちろん、今はそんなに持ち合わせがないので、格安でお願いしたいんですが……。その代わり、村の壊れたものを俺が無料で修理します。それでどうでしょうか?」
村長は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。
「い、いや、金などいらんよ。こんな粗大ゴミ、処分に困っておったくらいじゃからな。住んでくれるならタダでも構わんが……本当にここでいいのか? 今夜の寝床はどうするつもりじゃ? 屋根もないぞ」
「ありがとうございます! 寝床なら心配いりません。……そうですね、日が暮れるまであと一時間くらいありますか」
俺は空を見上げた。
太陽は山の端に沈みかけ、空は茜色から群青色へと変わりつつある。
一時間。
それだけあれば十分だ。
「村長、ガンツさん。ちょっと危ないかもしれないので、そこまで下がっていてくれませんか?」
俺は背中のハンマーを手に取った。
ずしりとした重みが、手に馴染む。
勇者パーティを追い出された時、唯一手元に残った親父の形見。
これさえあれば、俺はどこでだって生きていける。
「お、おい、若者。何を始める気じゃ?」
「修理ですよ。……さあ、大仕事だ」
俺は廃屋に向き直る。
イメージするのは、俺の新しい城。
世界で一番居心地が良く、どんな嵐にも負けない頑丈な家。
そして、いずれ多くの人々が笑顔で訪れることになる、最高の店。
俺は深く息を吸い込み、魔力を練り上げた。
身体中から黄金色のオーラが立ち昇るのを視界の端で感じる。
勇者パーティにいた頃は、目立たないように隠していた全力の魔力放出。
もう遠慮はいらない。
「【修理】スキル、全開!」
俺は第一撃を、腐り落ちた玄関ポーチの柱に叩き込んだ。
カァーーーーーン!!!
鐘のような澄んだ音が、黄昏時のグリーンホロウに響き渡った。
衝撃波とともに、廃屋全体が光に包まれる。
それは破壊の音ではない。再生の産声だ。
「うわっ!? な、なんだ!?」
「家が……光って!?」
村長たちの驚愕の声が聞こえるが、俺は止まらない。
リズムに乗って、次々とハンマーを振るう。
カァン! カァン! カァン!
屋根へ飛び乗り、一撃。
抜け落ちていた屋根瓦が、地面に落ちていた破片を集めて空中で結合し、美しい群青色の瓦となって整然と並んでいく。
カァン!
壁を一撃。
剥がれた漆喰が巻き戻るように再生し、さらに汚れを弾く純白のコーティングが施される。
蔦(ツタ)は除去するのではなく、美しい装飾として窓枠に沿うように形を変え、あえて残した。その方が趣があるからだ。もちろん、壁を侵食しないように品種改良済みだ。
カァン!
床を一撃。
腐敗した木材からカビや湿気が瞬時に抜け、乾燥した良質なオーク材へと変質する。
歪んでいた土台が修正され、建物全体が「シャキッ」と背筋を伸ばしたように水平を取り戻す。
俺のハンマーは、指揮棒のようだった。
叩くたびに、廃墟が歌い出し、踊り出し、蘇っていく。
単なる修復ではない。
これは、再構築(リビルド)。
素材の潜在能力を極限まで引き出し、新たな価値を付加する、俺だけの神業。
(ついでに、一階の一部を店舗スペースに改装して……カウンターはここ。工房は奥。二階は居住スペースで、ベッドはフカフカに……)
妄想がそのまま形になっていく快感。
俺は無心でハンマーを振るい続けた。
そして、最後の仕上げ。
入り口の扉だ。
俺は道端に落ちていた適当な板切れを拾い上げ、指先で文字を刻み込むと、それを扉の上に掲げた。
ハンマーで軽くコンッ、と叩くと、看板はガッチリと固定された。
光が収まる。
もう、不気味な音は聞こえない。
そこにあるのは、新築よりも美しく、歴史を感じさせる深みを持った、極上の古民家風コテージだった。
窓には温かな灯りが(魔石ランプの回路を直して自動点灯するようにした)ともり、煙突からは穏やかな煙が(暖炉の燃焼効率を上げておいた)たなびいている。
「ふぅ……。とりあえず、こんなもんかな」
俺は額の汗を拭い、振り返った。
そこには、腰を抜かして座り込んだ村長と、口をパクパクさせて金魚のようになっているガンツさんの姿があった。
さらに、騒ぎを聞きつけて集まってきた他の村人たちも、幽霊でも見るような目で俺と家を交互に見ている。
「な、な、な、なんじゃこりゃあぁぁぁ!!?」
村長の絶叫が、静かな湖畔に木霊した。
「あ、すみません。勝手に間取りとか変えちゃいましたけど、事後報告で大丈夫でしたか?」
「いや、そこじゃない! そこじゃないぞ若者! お主、一体何をした!? 魔法使いか!? いや、宮廷建築士でも一瞬で家を建てるなんて聞いたことがないぞ!」
「いえ、ただの修理屋です。ちょっと『修理』しただけですよ」
俺はニッコリと笑った。
「今日からここで暮らしてもいいんですよね? 村長」
村長は震える手で杖を支え直し、ようやく立ち上がると、まじまじと俺の顔を見た。
そして、大きくため息をついてから、深い皺の刻まれた顔に、今日一番の笑顔を浮かべた。
「……どうやら、とんでもない『福の神』が迷い込んできたようじゃな。ああ、構わんよ。好きに使え。いや、どうかここに住んでくれ。頼む!」
こうして、俺のグリーンホロウでの新生活は幕を開けた。
静かに暮らしたいという願いは、俺自身が派手にやりすぎたせいで初日から揺らいでしまった気もするが、まあいいだろう。
この家は、驚くほど居心地が良さそうだ。
看板に刻んだ文字——『なんでも修理屋ルーク』。
その文字が月明かりに照らされ、静かに輝いていた。
一方その頃。
勇者パーティは、王都へ向かう街道沿いの野営地で、焚き火を囲みながら震えていた。
「……寒い」
聖女アリアが呟く。
「ルークがいた頃は、魔法テントの結界機能が完璧で、中は常春みたいだったのに……。なんで風が入ってくるのよ」
「テントの支柱が歪んで隙間ができているんだ。クソッ、直そうとしたら余計に広がった」
勇者ブレイドが苛立ち紛れにテントを蹴り上げる。
バサッ。
その衝撃で、脆くなっていたテントが完全に倒壊した。
「「「あぁぁぁ!!」」」
彼らの苦難の夜は、まだ始まったばかりである。
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