柔らかな棘

夜未一白杜

Preserved flowers

 わたしは柔らかな棘、

 都市の腸壁に咲いた薔薇。




 音を探していた。絶望のおとを。

 匂いを探していた。執着のかおり。



 すべての命が鳴らす、うた。

 知っている。

 わたしは知っている。


 いちばん強く、醜く、誘惑するのは

 いつだって


 ――ひとのものだ。


 わたしは世界を這い回る。


 目はいらない。

 暗く、光が届かぬ場所でこそ、

 音は鋭くなり匂いは濃くなる。


 濁った霊昿れいこうの臭い。

 恐怖と後悔をたっぷりと含んで、

 悲鳴みたいに跡をひく。


 濁り煮詰まり粘ついて、

 もう沈むしかないもの。


 わたしは器官を伸ばせるだけ伸ばし、

 それをあまさず包み込んだ。


 ねがいだねがいだねがいだ


 本能のまま、祈りを含んだ霊昿の糸を遡り、やがて目的へと辿り着く。


 ひとだ。

 ひとがいた。


 それは打ち捨てられた肉。

 それは折れた肢、裂けた皮膚。

 血は半分ほど乾いている。


 だいじなのは新しさだ。

 わたしはそろりと触手を肉に伸ばす。


 だいじなのは新しさだ。

 肉もねがいもすぐ腐る。

 ぐずぐずになったら、もうおわり。


 ひどく壊されているが、肉の内側にはまだ音があった。


 ああ、潰れかけの願いの音が聞こえる。

 間に合った。


 わたしはぶわりと膨れ上がり、肉に問う。


 ――ねがいを。


 空気は震えない。

 だが、問いは伝わる。


 ひとはもう目を開かない。

 はだけた服の下、血に濡れた胸部もうごかない。

 もうただの肉。

 腐るまえの。


 それでも、引き出されるのを待っていたように。

 ねがいはしゅるりと漏れ出ずる。


 わたしは、それを正しく受け取る。

 わたしは正しい。


 少女に近づき、重なるわたし。

 柔らかな棘が、白い肉に刺さる。


 くさり、と

 柔らかいもの同士が接触し、絡み合った。



 少女の形をなぞる、溶ける、境を失う。


 刹那、

 汚れや傷を脱ぎ捨て、少女の肉はしなやかに立ち上がった。




 数人の男たちを見つけた。

 ここは暗い場所。

 少女わたしを見た、彼らの音が歪む。


「げ……亡霊レムレー?」

「そんなわけないだろ、早すぎる――」


 わたしは、肉のねがいを理解した。

 彼らは、ここに在ってはならない。


 これは叶うべきねがい、ねがい、願い。


 願いをぱくりと呑み込んで。

 暗がりは、ただの静かな暗がりに戻る。

 骨のように白い月光も、ここは照らさない。


 整えられた。

 騒がしい音、鼻衝く悪臭、多すぎる数。


 叶った願いは薄い膜がやぶれたように、じんわりと霊昿へと溶け出してしまう。


 少女わたしは歩く。

 少女わたしの足で。

 なにもなかった。なにも起きない。


 ――願い、あとひとつ。


 路地を抜けたのは、日が落ちる時刻のこと。

 金と闇色、ここは円環都市ザ・クザス。

 夜をむかえる喧騒、無言で家路を急ぐ人

 昼と夜が入れ替わる。


 少女わたしは賑やかな大通りを横切る。

 世界の端は家、ホーム、帰る場所。

 

 よく知っている。

 はじめてくるが、よく知っている。


 一軒の家を選び、扉をあける。

 目を腫らした人が、少女わたしをみて息を呑む。


 空間に喜びが溢れる。


「無事だったのね」

「昨日から帰ってこないから、どれほど心配したか……」


 少女は小さく口を開く。


「ただいま」


 ぬいぐるみを抱えた幼い少女が、黙って部屋を出て行きぱたんと扉を閉めた。

 誰もそれを気に留めない。みんな、わたしを見ている。


 わたしはの部屋に戻った。

 灯りを落とし、ひとりになる。

 胸に手を置く。


 ――おやすみなさい。


 闇の中で、少女の内側に咲くものが静かに息を吐く。

 願いの音は、もうしない。


 わたしの棘は、今日も都市の腸壁を抉る、ほんの少し。



 ――私は薔薇。

 たくさんの中の、一輪。



✣✣­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–✣✣


 作者より。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 こちらは連載中の長編『蛇と天秤』と世界観を共有する、独立短編です。

 単独でも楽しめる内容ですが、もしこの世界に興味を持っていただけたら、『蛇と天秤』も覗いていただけると嬉しいです。

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柔らかな棘 夜未一白杜 @siraz

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