円環の内側で魔術は完結する

石神慧斗

第0話・円環に声は要らなかった

 かつて魔術は、唱えられるものだった。

 声に意味を与え、世界に祈り、応答を期待する――それが一般的な詠唱体系だった。


 だが、その方法は不安定だった。


 発音の揺れ、感情の混入、聞き手の解釈。

 同じ呪文でも結果が変わり、事故は絶えなかった。

 世界が曖昧に応じる以上、魔術は常に危険を孕んでいた。


 それを否定した一人の研究者がいた。


 彼は言った。

「世界は、解釈しているのではない。処理しているだけだ」と。


 彼が辿り着いた結論は単純だった。


 世界が処理するのなら、命令文は曖昧であってはならない。

 ならば、声を捨て、記号だけを残せばいい。


 こうして生まれたのが、ヴォカロス体系である。

 術式は紙――パペロに記される。

 特殊なインクによって、記号は固定され、保存され、秘匿される。

 だがそれだけでは、術は動かない。


 一つの魔術は、一つの円環で完結する。

 円環の外にあるものは、その魔術に含まれない。

 世界が処理するのは、円の内側だけだ。


 そして、円環に接する起動印。

 詠み手が魔力を流し、その記号をなぞった瞬間――

 記述された命令文は、実行段階へと移行する。


 声は不要だった。

 祈りも、感情も、不要だった。


 必要なのは、正しい構造と、正しい手順だけ。


 ヴォカロス体系は、瞬く間に学院へと広がった。

 再現性の高さ、安全性、そして事故の少なさ。

 「失敗しても、霧散するだけ」という性質は、魔術教育を一変させた。


 だが、完成の直後。

 体系の開祖は、最後の実験に臨んだ。


 彼は、いつも通りパペロを広げ、

 円環を描き、記号を配置し、起動印に指を添えた。


 結果が、どうなったのか。

 記録は残っていない。


 ただ一つ、確かなことがある。


 実験の直後、彼は倒れ、

 意識を失う寸前、こう言い残した。



 「円環は、必ず閉じていなければならない」


 その言葉の意味を、

 まだ誰も理解していない。

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