19.99

見咲影弥

≒20

 瘡蓋を丁寧に剥ぐ。

 ストレスによる再発でしょうと言われて、思い当たることなんてないふりをしたけれど、その実心当たりだらけだ。大切なものが増えすぎて、そのどれもを蔑ろにしたくなくて必死だった。結局何もかも中途半端で無駄に心が摩耗しただけ、気づけばもうティーンが終わろうとしている。大人になんてなりたくないって喚いているうちに、いつの間にか歳だけ重ねていて、中身の伴わない人間になりつつある。焦燥感だけが募る十九の冬に思い出すのは、やっぱり、貴方のこと。


 *

 制汗剤で噎せ返るような教室の中でだって、貴方の匂いを探してた。やたら大きい背中にシャツが汗でぴったりくっついていて、首筋には汗が光っていて、でも嫌な匂いはしなかった。汗っかきのくせに年中長袖で、いっつも七分丈くらいのところまで腕まくりしてたよね。下敷きで仰ぎながら語ってくれた、半袖はダサいっていう価値観さえも愛おしいなって思ってた。

 

 正直、あの頃貴方が纏う白シャツの眩さが少しだけ鬱陶しかった。目がチカチカしてしょうがなくて、それが純度百パーの青春だったと気づくのは、光を失ってから。失くしてから気づくんじゃ遅いって、分かってたはずなのにね。

 

 でも、忘れてないよ。

 おじさんみたいに落ち着いた低い声も。

 寄り道して一緒に食べたお好み焼きのソースの匂いも。

 放課後勉強してたときにおごってくれた缶コーヒーの冷たさも。

 貴方が隣にいるときの湿度も、馴れ馴れしく私の肩に手を回す、その体温も。

 全部、忘れてないよ。



 文化祭の準備を助けてくれたこととか。

 普段悪口を言わない貴方が溢した愚痴とか。

 貴方が語ってくれた将来の夢とか。

 私にだけ教えてくれた、貴方の秘密とか。


 模試の点数を勝負したこともあったね。数学だけはいつも貴方に負けてたっけ。

 同じ大学に行こうとか言ってたよね。いつか一緒に、なんて未来のことも話したね。


 貴方はどれくらい、覚えているのかな。

 知りたいような、知りたくないような。



 いつか全部思い出せなくなって、記憶に縋らなくても生きていけるようになって、それを寂しいことだとも思わない日が、来るのかな。来ないといいなんて思うのは私だけで、貴方は何もかも綺麗に忘れて前に進んでいる気がする。でも私は、いつまでも化膿した疵口に酔っていたいし、取り留めのない日常を脳に繋ぎ止めたままでいたい。

 忘れなくてもいいかな。いまだに貴方に囚われてること、貴方は赦してくれるかな。




 もうすぐ成人式だね。同窓会もあるって聞いたけど、貴方は行くのかな。私はほんとは行きたくない。貴方以外の思い出はいらないし、他の人と笑う貴方なんて見たくない。それなら、思い出の中に閉じ込めてしまったままの方がマシだよ。

 貴方のことだからきっと、私のことを見るなり、元気にしてたかーなんて声を掛けてくるんだろうね。今思い出したのがバレバレな顔をして肩をバンバン叩いて、きっと私の傷を無自覚に抉る。誰にでも優しいって罪だと思う。被害者みたいに泣いてもいいかな。勝手に傷ついてるだけなのに、馬鹿みたいだよね。

 貴方の吐いた軽々しい言葉で窒息してしまいたい。そのまま死ねたらきっと幸せだと思う。そういうことにしてしまっても、いいなって。二十歳になるまでに死ぬんだろうって昔から漠然と思ってたから、ちょうどよかった。もし会えたら私を殺してほしい。それか、一緒にどこまでも逃げよう。こんなつまらないところ抜け出そうよって台詞を、貴方の口から聞いてみたい。一緒にネクタイを解いて、息苦しいスーツから解き放たれて、現実かフィクションかも分からなくなりながら、映画みたいな逃避行をしようよ。優しい言葉とか笑顔とか、全部演技でも構わないから、なんて我が儘だよね。



 いつかまた、劇的な再会をしようね。

 いつかまた、くだらないことで笑おうね。

 そんな口約束の「いつか」ばかりが増えた末にバラバラになって、桜はもう二度も散ってしまって、年々不確かになってゆく言葉を、あとどれくらい信じていられるだろう。


 今更だけど、貴方にだけは、小説を書いてることを教えてもよかったなーって思うんだ。学校のパソコンでこそこそ書いてた小説、もどき。私の思ったこと、感じたことをそのまま書き出した駄文。つまらないよ。貴方に読んでもらうのは忍びないし、恥ずかしいなって思いとどまって、それでも貴方にだけは、私の本当の気持ちを知ってほしかったとか。何様なんだろうね。馬鹿みたい。

 正直、小説なんか書いたって仕方なくて、それを自分が一番分かっていて、それでも私は貴方みたいな光になりたかった。貴方が私を救ったように、私も私の言葉で誰かを救いたいなって思った。自分一人さえ救えないくせに、誰かを救おうなんて烏滸がましいよね。でも、そういう熱情を冷笑してしまう大人にはなりたくなかった……もう遅いか。


 あのね、私ほんとはね。貴方の特別になりたかった。でも、貴方なんて誰でもよかった。私が求めていたのは貴方ではなくて特別にされている自分でしかなかったって、そう気づいたときには手遅れだった。ろくでもない、捻くれた人間になっちゃった。


 もうすぐ私、二十歳になるよ。

 大人と子どもの狭間とか言ってられなくなって、心が追いつかないまま取り返しのつかない大人になってゆくんだって実感してる。灰色のジュヴナイルだなんて嘯いてた頃を懐かしむことができるようになってしまって、それなのに私はあの頃から何も成長してない。口の中は鉄の味がして、気づけば全身血塗れだよ。満身創痍。ずっと苦しいまま、藻掻いてる。貴方も同じなのかな。同じだといいな。でも貴方は要領がいいから、どこに行ったってそれなりに上手くやってそうだね。


 たった二文字の言葉では形容できないこの思いは小説に託すことにした。硝子壜に入れて海に流したいなーって柄にもなくロマンチックなことを考えてる。どこかの無人島に漂着して何千年の眠りについたっていいし、遠い国の誰かに拾われてしまってもいい。散り散りになって、跡形もなくなってしまって、私だけの物語になってしまえばいい。


 だからさ。


 またいつか、なんて呪いみたいな言葉はもうやめにしよっか。


 さよなら、ジュヴナイル。

 貴方はどうか、幸せになってね。






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