第2話

天使っぽい何か”は、廻の言葉を聞いて、ほんの一瞬だけ目を細めた。

「コスプレ……宗教……?」

その二つの単語を、初めて聞く言語のように、ゆっくりと噛みしめる。

ここは、とにかく何も知らないふりをしてやり過ごそう。

どうしてこの女性が「願い」のことを知っているのかは分からない。

だが、その理由を考えるまでもなく、あのバカでかい鉄の羽がすべてを物語っている気がした。

「えーっと、ごめん。あんたが言ってること、全く意味わかんねぇや。俺は、あんたみたいな非日常に知り合ったこともないし、関わろうとした覚えもない。完全に勘違いだよ。じゃ、そういうことで」

言い切って、廻は女性が何か言う前にその場を離れることにした。

今ならまだ間に合う。

家に帰って、布団に潜り込んで、全部忘れてしまえばいい。

廻は踵を返し、そのまま歩き出す。

背中に突き刺さる視線を感じたが、振り返らなかった。

(帰って寝る。起きたら全部夢だ)

そう決めて、少しだけ足を速める。

「待ちなさい」

背後から声が飛んできた。

無視。

次の瞬間――

ゴンッ、と鈍い音がして、廻のすぐ前の地面が陥没した。

砂が舞い、反射的に足が止まる。

進行方向を塞ぐように、でかい鉄の羽が突き立っていた。

(いや、警告ってレベルじゃねぇだろ。当たったら普通に死ぬんだけど)

「このまま帰れるわけないでしょう。これを見なさい」

見るしか選択肢がないだろ、と心の中で突っ込みながら、廻は羽から目を逸らすように振り返った。

そこには、天使のような女性が一枚の紙を持って立っていた。

風もないのに、その紙は不自然なほど真っ直ぐに宙に保たれている。

「何それ」

できるだけ平静を装って尋ねる。

「書類」

即答だった。

「正式名称は《願望干渉事案・現地確認票》」

「字面がもう嫌なんだけど」

女性は気にした様子もなく、紙をこちらに向ける。

白いはずの紙面には、黒い文字だけでなく、淡く発光する線が走っていた。

意味は分からない。

ただ、とんでもなく嫌な予感だけが、はっきりと胸に残る。

「私は天界から現地確認に来ました。ピアリと呼んでください」

「あなたは、天界に許可なく《ラプラスの悪魔》を使用し、不死の願いを叶えましたね。その事実を確認するための書類です。さあ、ここにサインを」

嫌な予感は、的中した。

普通の人間なら、この時点でピアリを“いろいろ拗らせた危ない人”だと思うだろう。

だが、廻は違った。

心当たりが、あった。

廻は、自分が願いを叶えたという自覚があった。

春先。

浮遊大陸が現れる、ほんの少し前。

夜。

布団に潜り込み、天井を見つめながら、ぼんやりと考えていた。

病気もしていない。

明日も、明後日も、きっと死なない。

それでも――怖かった。

死ぬのが、怖かった。

理由なんてない。

今見ている景色も、今こうして「死が怖い」と考えている思考も、すべて消えて、

何もない空間に放り出される。

それが、死ぬということなのだとしたら。

「怖い怖い怖い怖い怖い」

耳を塞ぎ、目を塞ぐ。

逃げ場のない不安に、身を縮めた。

その時だった。

どこからか、

確かに“声”が聞こえた。

「だったら、君が死なない未来を叶えてあげようか」

その声は、すごく優しく感じたが、同時に底知れない恐怖を感じた。

「誰だ!?」

「うーむ。誰って言われると、中々雪が難しいけど、羽の生えた奴らは僕をラプラスの悪魔と呼んでいたな。だから、ラプラスって呼んだら?」

「ラプラスとか知らないけど、人はいつか死ぬんだ。どう変わっても、人は死ぬ。死なないなんて出来るなら、やってみせろ」

「安心してよ。変わるのは世界の方だから」

後のことは覚えていない。

今考えれば、このおかしな事が起きた後にあの大陸が現れたかも知れない。

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