第3話 三狐の森

■ 森へ向かう車内


 中京都大学の駐車場を出て数十分。

 森へ向かう車内には、誰も言葉を発しないまま、張り詰めた空気だけが漂っていた。


 やがて三狐の森の入口に車が止まる。

 祐介は後部座席から研究器具のケースを取り出し、地面に並べて確認した。


「必要な機材は全部あるな……よし」


横では、イズナがすでに数メートル先へ進み、森の奥を鋭い目で見渡していた。


■ 不審な轍


「祐介、来て。これ……見て」


 イズナが指す先。

 林道には、深々と抉られたタイヤ跡が続いていた。


「……車の轍? この先、車両禁止区域だろ。しかも奥まで……?」


 三狐の森は市の保護区だ。

 車両の立ち入りは禁止されている。だが轍は、重い荷物を積んだ車両が走った証拠で――湖の方向へ向かっていた。


 祐介は胸の奥で嫌な予感が膨らむのを感じながら、三人で森の奥へ足を進めた。


■ 湖畔での異変


 ほどなくして三狐の湖の手前にたどり着いた。

 周囲は不自然なほど荒れ、金属の底が地面を擦ったような跡がいくつも残っている。


「……ドラム缶を降ろした跡だな」


 土を指でなぞると、押しつけられた重みの感触まで伝わってくる。

 祐介の頭の中で、点と点が静かにつながった。


 その横で湖を見つめていたヤコが、小さく息を震わせた。


「妾が……まだキツネでおった頃とは、まるで違う……。

 湖の気配が……淀んでおる……悲しいのう……」


 弱く揺れた尾。


■ 狂った仲間


その直後――


「ヤコ! 悲しんでる暇はないわ!」


 イズナの鋭い声が森に響いた。

 茂みの奥から複数のキツネが姿を現す。毛を逆立て、濁った瞳で低く唸り、ヤコへ一斉に飛びかかってきた。


「……!」


 ヤコは迷いなく和傘を構え、その牙を受け止める。竹骨がきしむ。


「……なんでじゃ……妾がわからぬのか……!」


 叫んでも、狂ったように襲いかかってくる。

 ヤコはわずかに目を伏せ、静かに呟いた。


「……すまぬ」


 次の瞬間、和傘が唸り、数匹のキツネが地面へと叩き伏せられた。


■ ヤコの願い


 ヤコは倒れた一匹をそっと抱き上げ、祐介のもとへ歩く。


「祐介……妾の仲間を……助けてやってほしいのじゃ……

 妾は……もうこれ以上、苦しむ姿を見とうない……」


 その表情を見た瞬間、祐介の胸に強い決意が宿った。


「……必ず助ける。約束するよ」



■ サンプル採取


 三人は湖畔に移動し、慎重に採水キットで水を採取した。

 倒れたキツネには鎮静剤を投与し、捕獲ネットで安全に固定する。


「これで戻る。研究室で分析する」


 祐介がそう言うと、ヤコはそっとキツネの頭を撫でた。



■ 研究室の解析


 研究室に戻ると、解析機器が低い電子音を響かせていた。


「……出た。やっぱりミユから検出されたのと同じだ」


 湖水から検出されたウイルス――

 捕獲したキツネから検出されたウイルス――


 どちらも、


「狂犬病ウイルス……の変異体? 遺伝子が……改変されてる。こんなの、初めて見る……」


「つまり、人為的な投棄という事じゃな?」


「ああ。その可能性が高い」


■ YAKO−01の力


 祐介は次の検査へ移り、捕獲キツネの血液にYAKO-01を一滴加えた。

 顕微鏡の視界の中で――


「……消えてる。YAKO-01が……ウイルスを駆逐してる……!」


「ほう……妾の力、まだ生きておるのじゃな」


 数匹へ直接投与し、回復を待つため、カメラを設置

一度三狐神社へ戻ってミカへ報告した。


■ 翌朝の奇跡


 翌朝。祐介、ヤコ、ミユ、夏樹の四人は再び研究室へ向かった。


「……元に戻ってる。完全に」


「ほんとだ……!」


 ケージのキツネは穏やかな目を取り戻していた。

 ヤコはそっと抱きしめ、目を潤ませる。


「よく……戻ってくれたのう……!

 妾は……嬉しいぞ……!」


 だが祐介の表情は重かった。


(……本当に、人間にも同じ効果があるのか?)


■ 被験者


 そのとき。


ミユは一瞬だけ視線を落とし、

それから強く顔を上げた。


「……わたしが被験者になります!」


 ミユが突然手を挙げた。


「ミユちゃん、危険だってば!」

「ミユの血液にはすでにYAKO-01の成分がある。正しいデータにならない」


「じゃあ……どうすれば……!」


 祐介は苦悩の末に静かに答えた。


「……誰かを捕まえるしかないな」


■ 囮の提案


 空気が重く沈む。


「非常事態じゃ。人道ばかりは言っておれぬ」

 ヤコが冷静に言う。「妾が囮になろうか?」


 夏樹が止めようとした瞬間――


「わ、私がやる!

 わたし、感染者とすれ違っても襲われたことないし……きっと仲間だと思われてる!」


■ ミユ、学内へ


「……ではテストしよう。ミタマの動画共有を使う」


 祐介の提案で、ミユが大学の廊下を歩き始めた。


『了解!』


 モニターの中では――

 穏やかに歩くキツネ化した学生たち。談笑する者すらいる。


「……まるで普通の人じゃな」

「未感染者を見ると凶暴化する……そういう反応なのかも」


 そのとき。


「祐介ッ!」


 夏樹が緊張した声を上げる。

 二人の男がミユへ歩み寄る。


「ミユ!」


 ヤコが飛び出しかけ――


『えへへ、ナンパされちゃった』


 ヤコはつまずきそうになり、夏樹が吹き出す。


「……問題なさそうね」


 祐介は胸を撫で下ろし、作戦を実行に移すことにした。



■ 捕獲作戦


 ミユが感染者を研究室前へ誘導する。


「ねぇ、お兄さん。友だちが困ってて……ちょっと手伝ってほしいな」


「え? いいよ。友だちはどこ?」


 その瞬間――

 背後からヤコが飛び、和傘で的確に殴打。

 男は崩れ落ち、祐介と夏樹が手際よく拘束した。


 同様の方法で三名の感染者を確保する。


「未感染者を見ると凶暴化する……原因を探ろう」


ミユは感染者の目を布で覆った。



ヤコが一歩前に出た瞬間、感染者の呼吸が荒くなる。


祐介も同様


「視覚じゃない。匂い……だな」


■ YAKO-01の限界


 研究室で三人にYAKO-01を投与し、別室で経過観察を始めた。


 数時間後――


「……戻ってる!?」「本当に……!」


 二人は完全に回復し、血液も陰性。

 だが――


「この人だけ……ウイルスが消えていない。四日前に噛まれたと言っていたな……」


 祐介は静かに告げる。


「――YAKO-01の効果は、発症から三日以内だ」


■ 夜の予兆


 二人は神社で保護され、神社の結界外、隔離された区域へ移送した。


「ワクチン……できそう……?」

 ミユがミタマに投稿するも、返ってくるのは微妙な反応ばかり。


『逆再生でしょ?』

『注射怖いから無理』


「……みんな注射が怖いんだよ」

「うむ、妾も苦手じゃ……あれは痛い……」


 ヤコが耳をしゅんと倒したところで――


「みんなー、ミカ様から差し入れよ!」


 イズナが稲荷寿司の包みを掲げて現れた。

 そして、ヤコの耳元へそっと口を寄せる。


「ヤコ……今夜もう一度、湖を調べに行くわよ」


「……妾も同じことを考えておったところじゃ」


 二人は目を合わせ、強く頷き合った。


(第3話・終)

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2025年12月19日 21:30
2025年12月19日 21:30

キツネ耳彼女とパンデミックの夏 狐日和 @yako_project

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