第2話 三狐神社への避難
■ 研究棟ーー昼の廊下
昼過ぎ。
研究棟の廊下には、すでに人の気配はなかった。
窓の向こうからは、逃げ惑う人々の悲鳴と、キツネ化した者たちの咆哮が断続的に聞こえてくる。
「……行こう。ミカさんのところへ」
祐介の言葉に、全員が黙って頷いた。
研究室を出て駐車場へ向かう途中、何度か感染者に遭遇したが、
ヤコが和傘で牽制し、叩き、道を切り開いていく。
やがて車に乗り込み、商店街へ引き返した。
■ 荒れた商店街
三狐商店街に到着すると――
そこは朝よりも、はるかに荒れていた。
倒れた自転車。
ひしゃげた看板。
地面に散乱する荷物。
「……車じゃ無理だな」
「歩いて神社まで行くしかないね」
四人は車を降り、慎重に商店街を進む。
奇妙なことに、感染者の姿はほとんどなかった。
数時間前までは、あれほど溢れていたはずなのに。
「……少ないな。どこに行ったんだ?」
「この様子なら、すぐ神社に着けそうじゃの」
祐介は、わずかに胸を撫で下ろした。
■ カフェ三狐ーー立ち寄り
そのとき、夏樹が言った。
「ねえ祐介。カフェ三狐に寄ってほしいの。
神社に避難してる人がいるかもしれないから、食べ物と飲み物を持っていきたい」
祐介は周囲を見回し、頷く。
「……どうせ通り道だ。行こう」
■ 話し声
商店街の途中。
先導していたヤコが、ふと足を止めた。
「……何か、話が聞こえるのじゃ」
「私も……声、する」
ミユがそう言った、その直後ーー
ーー直前まで、普通に言葉を交わしていたかのような気配。
建物の陰から
キツネ化した二人の感染者が飛び出してきた。
和傘が唸りを上げ、感染者を弾き飛ばす。
「先を急ぐぞ!」
カフェ三狐。
店内から、保存のきく飲み物と食料を素早く確保し、再び神社へ向かう。
■ 神社への道ーー異変
だが――神社が近づくにつれ、感染者の数が増えていった。
しかも、祐介たちだけを狙うように集まってくる。
「……気づいたか? ミユ、襲われてない」
祐介の言葉に、ミユは自分の黒いキツネ耳に触れる。
「たぶん……仲間だって思われてる、んだよね」
「妾は完全に敵扱いじゃのう……!」
ヤコが肩越しに叫び、和傘を振るう。
やがて、鳥居が見えてきた。
だが、その周囲は感染者で溢れ返っている。
境内に入ろうとする者は、見えない壁に阻まれ、
吠え、もがいていた。
(……結界は生きてる)
祐介が安堵した、その瞬間。
■ イズナ
「はぁッ!!」
鋭い掛け声と共に、感染者数人が宙を舞った。
銀髪の少女が、木刀を肩に担いで立っている。
現代風の服装に、鋭い目つき。
無駄のない動き。
「……あんたたち、手応えないわね」
「その声は……イズナじゃ!」
ヤコが声を上げる。
「ヤコちゃん! 祐介さん! こっち!」
境内の奥から、きよらが手を振っていた。
■ 避難者たち
「無事だったんですか!」
夏樹が駆け寄ると、イズナは木刀を肩に乗せて鼻を鳴らす。
「当たり前でしょ。何百年ここを守ってきたと思ってるの。
ミカ様の結界がある限り、簡単には破られないわよ」
きよらが息を整えながら説明する。
「午後の講義前に神社の掃除をしてたんです。
そしたらこの騒ぎで……それでイズナさんと一緒に、近くの人を避難させてました」
境内に入った瞬間、
避難者たちの視線が、一斉にミユへ向けられた。
(……怖がってる)
祐介にも、その空気がはっきりと伝わってきた。
■ 三狐神社の主
そのとき――
奥から、静かな足音。
金髪。紫の瞳。
美しい着物姿の女性。
狐耳と、ゆらりと揺れる二本の尻尾。
三狐神社の主――ミカ。
「ミカ様……!」
境内がざわめく。
ミカはゆっくりとミユの前に立ち、
そっと頭に手を置いた。
一瞬だけ、瞳が淡く光る。
(……心を読んでいる?)
だが、すぐに柔らかな表情に戻った。
「この子は問題あらへん。
キツネ化はしてるけど、結界を通れた時点で外の者とは違うわ」
避難者たちが、一斉に安堵の息を吐いた。
■ 実演
次の瞬間、ミカは扇子を払う。
「……万が一の時は、こうするんよ」
光の輪が走り、イズナの全身を拘束した。
「えっ!? なんで私なんですかーっ!」
「おお……あのイズナが動けぬとは」 ヤコが目を丸くする。
ミカはくすりと笑い、拘束を解いた。
■ 紛れ込んだ感染者
その直後、ミカの視線が鋭くなる。
「……ん?」
一人の男性避難者が、蒼白になり後ずさった。
「ち、違う……俺は……!」
逃げるより早く、
扇子が光を描き、男を拘束する。
男は震えだし――発症した。
「紛れ込んでたのか……!」
イズナが歯噛みする。
「この人は、ウチが結界を張る前に逃げ込んできた人や。
他の人は無事やから、安心してええ」
男は結界の外へ放り出され、
扉は静かに閉じられた。
■ 湖の話
落ち着いた後、祐介はミカに尋ねた。
「最近……何か異変はありませんでしたか?」
ミカは、遠くを見るように言った。
「……湖や。
浄化が追いついてへん。
確かめに行こうと思ってたけど、今はここを離れられへん」
祐介は、はっとする。
「結界の維持……ですね」
「せや。
代わりに調べてきてくれへん?」
祐介は、深く頷いた。
「行きます」
「私も行く!」
イズナが名乗り出るが、すぐに不安げな顔になる。
「でも……私が離れたら……」
「心配いらないよ」 夏樹が笑った。
「ミカ様の護衛は、任せて」
ミユも胸に手を当てる。
「私も……できるよ」
ミカはイズナの頭を撫でた。
「頼んだで。祐介はんを、しっかり護ってあげてな」
「……はい!」
■ 出発準備
出発前。
研究室に戻り、水採取キット、捕獲ネット、鎮静剤を揃える。
そのとき、ミユの血液データが画面に表示された。
「……これは……YAKO-01?」
「妾に触れておったから、かもしれぬの」 ヤコが尻尾を揺らす。
「祐介も触れてみぬか?」
「い、いや……その……」
祐介が赤面したところで、
イズナが呆れ顔で入ってきた。
「準備できたわよ。……何やってんの」
■ 次へ
こうして一行は、
三狐の森と湖へ向かう。
そこに、パンデミックの核心がある――
まだ誰も知らない、狐たちの異変が。
(第2話・終)
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