第3話
教室の窓は高く、外の空は切り取られたようにしか見えなかった。
アイリスは教卓の前に立ち、出席簿を閉じる。
子どもたちは騒がしくもなく、かといって集中しているわけでもない。
授業が始まるのを、ただ待っている顔だった。
「今日は分数の続きです」
自分の声が、思ったより落ち着いていることに気づく。
教師になって数年が経ち、授業の進め方自体は身についていた。
黒板に式を書く。
説明をし、例題を出し、答えを確認する。
手順に問題はない。
それでも、どこかで引っかかる。
子どもたちは正解を出す。
だが、その顔に「理解した」という確信があるかというと、そうでもない。
ただ、間違えないように振る舞っているだけに見える。
ふと、昔の教室がよぎる。
傷の多い机、白く曇った黒板。
そして、あの数学教師。
時間が余ったときに語られた、途中で終わる話。
結論のない物語。
――あれは、何だったのだろう。
授業の途中、ある子が手を挙げた。
「先生、これって覚えなきゃダメなんですか」
よくある質問だ。
教科書通りなら、「大事だから」「次につながるから」と答えるところだろう。
アイリスは一瞬、言葉を探した。
「覚えること自体が目的じゃないわ」
そう答えてから、少し言い直す。
「考え方を身につけるための練習なの」
子どもはうなずいたが、納得したかどうかは分からない。
授業が終わり、子どもたちが教室を出ていく。
静かになった教室で、アイリスは黒板を消す。
消されていく式の横に、ふと空白が残った。
何も書かれていない、黒板の端。
胸の奥に、昔と同じ感覚が広がる。
――私は、何を教えているのだろう。
計算方法。
正しい答え。
社会に出るための基礎。
どれも必要だ。
それは分かっている。
けれど、世界は教科書ほど整っていない。
正解のない問いや、誰も責任を取らない問題が、現実にはあふれている。
それを、子どもにどう伝えればいいのか。
そもそも、伝えていいのか。
教師としての椅子に座りながら、
アイリスは、自分がまだ「学ぶ側」に立っていることを自覚していた。
教える資格があるのか。
何を削り、何を残すべきなのか。
黒板の余白は、今日も埋まらないままだった。
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