第5話 その代償は、少女の尊厳

 ※本エピソードには、キャラクターへの暴力や、衣服の損壊を伴う加害描写が含まれます。苦手な方はご注意ください。


 水汐が連れさられて30分経ってから、民間警察と救急車は夏原旅館に到着した。気絶から回復したカスイがどうにか連絡したのだった。

 カスイの両親は無事だった。怪我をしていたが、命に別状はないとのこと。


 両親は二人ともかなり抵抗したらしい。カスイの母はレスリングの経験者でかつては将来を有望された程の実力者だったが、スタンガンとゴム弾には敵わずに意識を失うことになった。


 二人が気絶したタイミングで、カスイと水汐はやって来て、結果水汐が男達に拉致されることになったのだった。

 来てくれた民間警察にカスイは必死になって説明して、懇願した。助けてくれと。助け出してくれと。


 水汐に何か起こる前に。


 「犯人の目星もついてるんです」

 カスイは目の前にいる雇われの警察官に訴えかける。彼がそれは誰ですか、と慎重な態度で質問し、彼女はすぐに答える。

 「うちにいつもちょっかい出してくるヤクザ連中ですよ」


 また記憶を……


 夏原旅館の従業員への暴行が起きた際、奇妙な記憶障害が発生した。あの奇怪な現象を奴等が引き起こしたとしたら、先程の会話も成り立つ。


 やり方は分からないし、カスイ自身まだ半分信じてないが、可能性は高い筈だ。

だが、警官の男の反応は否定的だった。


 曰く根拠薄弱。あるいは荒唐無稽。


 歯牙にも掛けない警官の態度にカスイは愕然としつつも、周りの道路は工事で封鎖されていたので、移動に手間取った筈だと、何か目撃したかもと詰め寄る。

 だが、警官は首を左右に振った。確認したところ、通行止めを解除したのと同タイミングで車が来たことは覚えていたらしいが、車種も運転手のことも忘れてしまったらしい。


 カスイは尚も食い下がり何かを言おうとしたが、今は休んでいるように言われ、話は打ち切られてしまう。


 温度差を感じる。いや、彼からすれば他人事には違いないのだが、実際に目の前で話しを聞かされたら、多少は情が動くものではないのか。

 まるで切り抜かれた記事を眺めるかのような冷静さがあった。音も匂いも、体温すら感じずにただ情報を処理するような感覚があった。


 焦りが募り、しかし何もできずに二日経ったが水汐は見つからず、犯人からの連絡もない。


 何もないことを祈るしかなかった。


 水汐はまだ子どもだ。情をかけてくれることだってある。ましてや、欲望の対象になるわけがないと、思い込もうとした。


 だが、その考えが甘かったことを、カスイは水汐と再会した時痛感することになる。




 「何でこっちなんだよ、普通あの旅館の娘の方だろうがよ」

 男たちの声が木霊する。水汐は頭上から垂れている縄に両手を縛られた状態で、為す術なく男たちの粗野な会話を聞かされていた。


 夏原旅館から連れ出され、車のトランクに入れられた水汐は暫くの間彼らのドライブに付き合うことになった。

 旅館の周りを通行止めしていた者達が彼らの行く手を阻んでくれる可能性もあると思っていたが、車はスムーズに進行を続け、目的地にあっさり辿り着く。


 トランクを開けた途端に、男の1人が喚いた。こっちじゃないと。

 仕方ないといった様子で彼らは水汐を連行した。抵抗しようとしたが、ナイフを突きつけられ渋々従った。


 男達は皆既に目出し帽を外していた。薄暗い中でも彼らがここ最近夏原旅館にちょっかいをかけていたヤクザ達だとわかる。人数は4人。


 彼女は牛舎の中に連れ込まれた。牛舎といっても牛も他の家畜もおらず、おそらくは廃業した農家から譲り受けたか、あるいは勝手に使用している場所なのだろう。

まだ濃い牧草の香りが水汐の鼻をつく。男達は明かりをつけてから水汐の拘束を始めた。


 最初は後ろ手に拘束しようとしたが、格闘技を使ったことを警戒し、手が見える位置にあった方がいいと判断した彼らは梁にロープを通し、水汐の両手を上に引っ張ってから拘束した。そのせいで彼女は今、水面に飛び込むかのように腕を伸ばしていた。向けている方向は下方ではなく真上ではあったが。


 足は着くが踵が土に触れるか触れないかといった具合になる。今のところ手首に痛みはないが、時間が経てば負荷に耐えられなくなるだろう。

 拘束をし終えた男達は一先ず一服とタバコを吸い始める。水汐は嫌いな紫煙の臭いに眉を寄せてから、慎重に口を開いた。


 「わ、私をどうするつもりですか」

 やや声が上ずる。頭の左右にしか髪の毛のない男が煙を吐いてから答えた。

 「さて、どうするかね。まあ、あの旅館の連中が権利書を渡してくれたら、家には帰れるな」


 「権利書? 何を言ってるんですか? 私を人質にして奪っても、そんなの無効になるだけですよ」

水汐の指摘に男はにやける。

「それがうまくいくようになってんのさ。俺達はあの旅館も手に入れるし、お前さんの誘拐で捕まることもない。ま、お前さんはここでのことを忘れる運命なわけだが」


 表情を固くする水汐にどこか満足そうにほくそ笑むと、白髪の坊主頭の男がいや、と首を左右に振った。

 「嬢ちゃんのことに関しては少し懸念がある。俺達が買った誘拐の免罪符はあの一家が対象だった。筋違いのガキとなると、どうなる処理してくるのは少し分からん。追加料金を払えば隠蔽してくれるだろうけどよ」


 坊主頭が一回り若い男を睨んだ。おそらく三十路の男がすいません、と頭を下げる。どうやら彼が水汐を運び出したらしい。


 「ん、待てよ」

 今まで黙っていた小柄——それでも水汐よりは上背はある——な男が水汐を無遠慮に眺め、目を細める。

 「こいつ、あれじゃないか? ヤマがご執心のガキだろ」


 ヤマ——たしか、夏原旅館の従業員を半殺しにした空手家崩れの通称だった。山田でヤマと呼ばれていたことを、水汐は思い出す。

 男達の野蛮な目が、一斉に水汐に向けられる。足先から手先までをじろじろと見られ、水汐は悪寒を覚える。


 知っている感覚だった。既知のおぞましさだった。


 品定めし、支配しようとする男の態度だ。


 「じゃ、ただ帰すわけにはいかねェだろ」

 そこまで言ったところでタイミングがいいのか悪いのか、外に車の止まる音が聞こえる。乱雑な足音と共に追加のヤクザ達が牛舎の中に入ってきた。高齢化の進んでいるヤクザらしく、40代以上の強面が揃っている。


 群れの中にはどちらかと言えば年若いヤマもいて、水汐を見るや険しい顔をした。

取り違えたことへの文句が再び出たが、相手が自分達に弓を引いた相手だと知ると、話の路線は切り替えられて行き先が合流する。


 元々誘拐をした人間を痛めつけ、その写真を送り付ける算段だったらしい。それで要求が通れば構わなかったらしいが、水汐が相手となると別だった。


 水汐は弓を引いた。


 矢を射った。


 彼らにとっては捨ておく訳にはいかない存在であり、つまり痛めつけるレベルが変わって来る対象だった。

 男だったら、指を落として旅館に送っただろう。


 だが水汐に対してはやり方が違う。ヤクザ達は動画と写真の両方の撮影準備をする。これから行う事の過程と結果を残す為に。

 水汐にも意味が分かった。自分が逆鱗に一矢放ったことを理解する。


 今までとは違う理由で表情が消える。まな板に置かれた鯉のような気分になった。


 男の一人がタバコを地面に捨て、火を踏み消すとゆっくりと近づく。水汐は努めて無表情を取り繕うが、思わず身じろぎしてしまう。


 「嬢ちゃんなんだろ? ヤマの奴を追っ払ったガキってのは。困るんだよ、そういうのは。何でかわかるかい?」


 水汐は答えられない。ただ手を引き下ろそうとするが、きつく手首を縛るロープはびくともせず、皮膚が痛くなるだけだった。

 男が更に近寄る。絶対的優位を確信するもの特有の余裕があった。カメラは男と水汐を交互に写す。


 「ヤクザってのはな、メンツに命を賭けてるんだよ。それなのにお嬢ちゃんみたいな女の子に芋を引いたって思われちゃな、切った張ったで生きてくなんざ出来なくなっちまう」


 男が懐に手を入れると、擦れる音を静かに鳴らす。出した手には大型のナイフが握られていた。


 男は更に一歩迫り、切っ先を彼女に向けつつ空いている左手を伸ばした。彼の太い指が、襟から伸びる赤いスカーフの先端を掴むと、水汐とびくりと身体を震わせるが、それ以上は出来ない。


 するりと、スカーフが解けた。抜け落ちた羽のように、風を泳いで足元に落ちる。

 男がにやけ、水汐は見上げながら目線を強くした瞬間、右足を振り上げようとする。


 だが不完全な体制だった為に、速度が出る前に男の手が伸びる。太ももを押され、蹴りになる前に封じられてしまう。


 すぐに坊主頭が水汐の背後に回り込み、水汐の脚を抑えつけた。水汐が身をよじると、目の前の男が面白そうにナイフを鼻先に突き付ける。顎でしゃくると、背後にいた坊主頭が水汐の髪の毛を根本近くで思い切り掴み、埋もれている芋を抜くように遠慮せずに引っ張った。


 頭皮からくる激痛に水汐は短く悲鳴を上げて仰け反った。


 水汐が歯を食いしばると、目の前の鈍い光沢が鎖骨と鎖骨の隙間を滑り、襟元の中心に切っ先が滑り込んだ。


 慄く水汐の前で、男が勢いよくナイフを落とす。


 刃は、剃刀のように鋭い切れ味だった。


 ボタンが弾け、布時が切り裂かれる。きれいに真一直線に裂かれて彼女の前面が開いた。白いキャミソールが露わになると、男は彼女の胸元に目を落とした。


 水汐は緊張に身体を固くする。男たちの視線が下卑たものとなった。

 羞恥心よりも、苛立ちが勝る。どいつもこいつも、子どもの身体に興味を持ちすぎて吐き気がした。


 坊主頭が握力を弱めながら手を引いた。彼の指に絡まっていたシュシュが外れ、彼女の長い黒髪がパラパラと広がった。水汐は荒い息を吐き出し、男はその姿に興奮する。


 さあ、次は御開帳と行こうか。

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