第3話 正義と名乗って、誰を殺したか

 今時珍しい紙の本を公園のベンチで呼んでいる水汐を発見したカスイは明るい声を上げた。

 「あ、水汐ちゃん」

 水汐が丁寧にお辞儀している間に、カスイは小走りに近づいてしまう。


 「奇遇だね。学校はもう終わったんだ」

 「はい。カスイさんも大学はいいんですか?」

 「ちょっと顔を見せに来ただけだよ。あと水汐ちゃんの制服姿を激写しにね」

両手の親指と人差し指を伸ばしてカメラを形造り、半袖の白いセーラ服を着る水汐を枠内に納めた。水汐が氷の表情で対応すると、カスイは苦笑いを浮かべて質問する。


 「今日は旅館の手伝いをする日じゃないよね。部活はどうしたの?」

 「顧問の先生が体調不良になりまして、休みになりました。指導員が足りないということで」


 水汐の入っている弓道部は本格的な練習で大会を目指す、ということはやっておらず、あくまで軽い指導程度に留めていた。本格的、それこそ大会で活躍するレベルの上達を目指す者には、指導員が道場を紹介するようにしている。


 今日のように指導員がいない場合は、弓矢を扱う危険性を考慮して練習をするよりも休みになるのだと水汐は説明した。

 そこまで聞いたところで、カスイは水汐の手に持つ文庫サイズの本に着眼した。

ああ、と水汐は手を持ち上げる。


 「色々考えて図書館で借りたんです。中々面白い内容でした」

 「そうなんだ?」

 あまり本を読まないカスイには水汐の言う面白いがどういったものかいまいちピンとこない。しかも娯楽小説でもなんでもない評論文への評価となれば尚のことだった。


 水汐は本を鞄にしまいつつ、感想を言う。


 「浪士党に対して、中々厳しい評価を下していましたね。妥当だとは思いますが」

 水汐は横目でちらりとカスイを見つつ、慎重に言葉を繋げる。

 「最後の方で、連続で起きた不審死についても言及していました。怖いですね。もし本当に浪士党がやっていたら、連続殺人が行われたってことですから」


 一時期、浪士党にとって都合の良い人物が次々殺される事情が起きた。

  浪士党との繋がりの濃さを噂されたヤクザ者が血祭りに上げられ、浪士党を非難していた論客が首だけで発見される。全てヤクザの抗争が原因と言われた。


 ロウ・ディフェンダーが手に負えなかった者が殺されることもあった。


 組織的な犯罪集団や抗議活動していた者がターゲットになった。前者は本来なら流石に人手が足りず、警察に任せるべき事案だった筈だが中枢戦力に『トラブル』が起きて死亡して、結果としてロウ・ディフェンダーが対処できる状況に落ち着くという事案が立て続けに起きた。


 後者の場合、デモ等を行うだけの犯罪者ではない者達が何者かに殺害される事件が発生したのだ。それもトラブルとして処理され、犯人は逮捕されていない。


 町を守っているロウ・ディフェンダーに迷惑をかけた天罰だと、声高に非難する浪士党の議員もいたことは、カスイも覚えている。よくも人が死んでそんなことが言えたものだと、彼女の両親は憤っていた。


 カスイが少し首を反らし、軽く息を吐いた。


  「まあ、ちょっと異常だったよね、あの時は。どこか皆不安がってて、安全ってのを感じられなくなってた。安心できる場所はロウ・ディフェンダーのお膝元だけ。じゃあ、彼らがいないエリアではどうやって身を守ればいいんだろうって、皆不安になってたんだよ」


 少し躊躇いを見せた後、カスイは無表情の水汐に告げる。


 「そこで起きたのがあの不審死だったんだよ。そりゃ何かおかしいってあたしだって気づいた。母さんも父さんも、学校の先公だって、大人だって多分分かってた。でも、任せちゃったんだよ、この町は。それで放っておいたら、変わってったんだよ。脅威が取り除かれてたって思った。安心ってのが実感出来るようになってったんだ」


 「その代償は一体何なのでしょうか?」


 正面を見据え、水汐は言った。


 カスイは目を瞬かせる。無表情には変わりないが、水汐の顔に暗さが上塗りされたことを、見て取った。


 「代償は……何とも言えないけど、ただ意味はあったと思うよ。必要な力で、必要な犠牲だったのかもって、最近思うようになってきた」

その必要な力があれば、水汐の脅威を——


 最近そう思うようになってきた。なってしまっていた。


 いつの日かの後悔。あの時覚えた喪失への恐怖と怒り。悲劇を繰り返さない為の一つの答えが、あの不審死にある気がしていた。


 そんなカスイに水汐は冷徹とも取れる口調で言葉を綴った。

「なら、私の両親も必要だから殺されたってことですか?」


 え?


 目を見開くカスイに、水汐は相変わらず無表情で淡々と続ける。

 「私の両親は殺されたんです……不審死に感化された人達に。私の目の前で殺されました」


 その代償は一体何なのでしょうか……


 内にあった興奮は一気に落ちていく。残ったのは迂闊なことを言ったことへの後悔だけだった。


 代償はあった。取り返しのつかない代償が。


 カスイは足を止めた。視線を落とす。

 「ごめん」

 無数に沸いた言い訳は声になる前に萎んでしまい、言葉の形が失われ、結局音になったのは純粋な謝意だった。


 水汐は静かに首を横に振る。

 「謝って欲しい訳でも、責めてる訳でもないです。ただ、カスイさんにも知って欲しかったんです。あの時、私は誰にも頼れなかった。不審死に対して、大人達が支持を表明したからです。その不審死から派生した両親の死も正しさが行われたからだって意見もありました」


 水汐の無表情が崩れた。瞳を横に逸らし、唇を軽く噛んでいる。カスイには彼女の表情がどういった感情から来るのか分からなかった。


 悲しみなのか、怒りなのか。


 「あの時」水汐は儚げに言葉を吐き出す。「あの時、こう思ったんです。両親が殺されたのが正しいことなら、両親に育てられていた私も殺されるんじゃないかって」

 「そんなことないよ」

 カスイは悲鳴にも近い声で思わず言った。


 「考えすぎだよ、水汐ちゃん」

 「そんなこと分からないじゃないですか。法律を無視して行動するってことは、何の保証も出来ないってことです」

 「でも……何もなかったんでしょ?」


 カスイは念を押して訊く。だって水汐はここにいるではないか。生きているではないか。

 水汐は目を伏せ、右手で左の二の腕を掴んだ。


 「そうですね、私には何も起きませんでした」

 「そうだよ、だからもう大丈——」

 「でもさっき読んでいた本の著者、彼女は殺されました」


 息を呑む。そのままの意味なのに、咄嗟にその意味を理解できなかった。


 何だって?


 「殺したのは浪士党の支持者で、不審死の信奉者だった人達です。私の両親を殺した人達と同じように」

 水汐は言葉を一度切り、

 「皆いい大人でした。批判的な本を出したことで前から脅していたようで、でもロウ・ディフェンダーは動いてくれなかった……あの不審死は、ああいった過激な行動は、そういった暴力を使いたがっている人を煽る結果になったんです」


 水汐はカスイを見つめる。感情が織り交ぜられた瞳を向けた。

 「浪士党の中には不審死に対して天罰と言っている人もいるそうです。彼らも暴力を煽っている。反論に反論で対抗しないで、恐怖で支配しようとしている、それが彼らの本質ですよ」


  水汐はもう一度視線を落としてから、カスイの目を見つめ返した。まるでカスイの反応を窺い知ろうとするかのように、どこか不安そうにしていた。

 「すみません、出過ぎたことを言いました。迷惑ですよね、いきなりこんなこと言われても」


 見上げる表情には怯えすら垣間見える。まるで親から叱られるのを恐れる幼子のようだった。

 カスイは、はっとする。すぐに今自分がするべきことを悟った。


 発言は取り消せないし、水汐の抱いている問題の解決の仕方など分かりようがない。かけるべき言葉も態度も、カスイは知らなかった。


 でも水汐の不安を紛らわすことくらいは出来る。解決は出来なくとも、忘れさせることは出来なくとも、ほんの少しの間だけでも気持ちを浮上させるくらいなら出来る筈だ。


 荒波の中のほんの一呼吸に過ぎないかもしれないが、それが人を生き永らえさせてくれるのだ。

 出来ることは嵐が収まるまで支えることだけだ。

 そして何より、水汐に怒ってなどいないことを教えなくてはならない。


 「水汐ちゃん、まだ考えがまとまらないけど、あのね」


 水汐が顔を上げる。カスイはただ必死にまくし立てようとし、しかし口の中で言葉が空回った。


 それでも、何とか発信する。

 「ちゃんと考えてみるよ。水汐ちゃんが言ったことの意味」

 言い終えてからカスイは頬を掻き、少し気恥ずかしそうに目線を泳がせた。


 「あの、ありがとうね、水汐ちゃん。自分のことや考えを教えてくれて。凄い勇気のいることだったでしょ? だから、あたしも真剣に向き合うからね」


 どこかほっとしたと水汐が息を吐くのを確認すると、カスイも少し安堵する。だが両親に起きた悲劇を思い起こし、胸の中に重いモノが落ちていく。


 歩みを再開しながら何も知らないんだな、と思った。水汐のことも、自分のいる小さな世界のことも。


 自分の責任の所在も。

 だから、もっと考えるようにしなくちゃいけない。自分の言葉の持つ意味や、結末を、考えて口にしなくてはいけない。

 水汐は傷つけないで済むように……できれば、安心させてあげたいから。

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