第2話 交番のない町と、赤い返り血

 最近の旅館の状況もカスイは気になっていた。


 この一か月の間、明らかなヤクザ者がイチャモンをつけてきているのだ。たまたま帰省した時、派手なスーツを着たガタイのいい強面が旅館に押し寄せて大声で何事かを喚いているのを目撃したので、両親を問い詰めた所、脅しを受けているのだと疲れた顔で説明してくれた。


 みかじめ料を払えと言われているらしく、カスイは驚愕した。

 20世紀ならまだしも今時なら警察に相談すれば解決する問題だ。あれよあれよと起訴まで持っていける案件だと、素人のカスイでもわかることだ。


 だが、警察は動いていてくれたがそこで終わりだった。

 何度事情を説明しても逮捕まで持っていくことが出来ず、ヤクザ達はのさぼって今でも狂犬のように吠えにやって来ていた。


 『民間警察』にコネでももっているのかと疑念を抱いたが、『ロウ・ディフェンダー』がたかだかヤクザと関係を持つメリットが思いつかない。


 意味が分からない事態だった。


 だが、現実として警察が申し訳程度しか動いてくれない以上、何か別の手を考えなくてはいかない。


 どうにか対策を講じようとしている中で、事態は更に悪化した。

 従業員の一人がヤクザに殴られる事案が発生したのだ。


 いつものように店前で大声を放つヤクザ者に、従業員の男が食ってかかった。怒声と怒声が飛び交い、己の怒りと相手の怒りが積み重なり合い、理性の閾値を超えた

途端にヤクザ者の拳が従業員の男の顔面を捉えていた。


 空手をやっていたらしいそのヤクザの硬質な一打は男の身体に幾度も沈み、鼻骨は折られ、顔中が血だらけになった。本来ならすぐに割って入るカスイの両親がいなかったことも、事態の悪化に繋がっていた。


 事態が最悪の状況にならなかったのは、水汐のおかげだ。

 倒れている男にヤクザが下段回し蹴りを叩き込もうとした刹那、一筋の矢が足元を奔った。


 水汐が咄嗟に射った光明だった。

  当日、弓道部の活動関係で弓矢を持ち運んでいた彼女が一矢を放ち、その結果自体は一旦落ち着いた。


 すぐに救急車が呼ばれ、警察が召喚される。

 骨折はあったものの命に別状はなく、障害も残らないというのはせめてもの救いだった。そして今度こそ警察が動く事案になったと皆が考えた。


 言葉や態度だけではない。目に見える形となって悪意が振るわれたのだ。今までは見えない刃物で、無色の返り血を浴びていたからバレなかったが、今回の血は赤色だ。逃れようがない。


 これで決着だ。


 だが、結局誰かが逮捕されることはなかった。信じられないことに、実際に暴行に走った空手家崩れすら、起訴に至らなかった。

 証拠不十分が理由だと警察は説明した。防犯カメラの映像は消え、ヤクザ者が浴びた血や付着した皮膚も、本人が転んで怪我した際のモノだと言う。


 従業員の男を暴行した犯人は、目下捜索中だと言われた。

馬鹿げている。カスイの両親はそう吐き捨て、従業員の男にもう一度証言するように頼んだ。


 誰に殴られたのか?


 その問いに対する男の答えは、分からないだった。


 最初は冗談だと思った。次は脅され、口を噤んでいると思った。

 だが、問答の末にわかったことは、彼が本気で犯人を覚えていないということだった。殴られたことは記憶しているが、誰にやられたのかはどうしても思い出せないと、言った本人が信じられないという面持ちをしていた。


 ここまで来るとオカルトだ。カスイが頻繁に帰省するようになったのもこの後からだった。


 両親や旅館が心配という理由もあるが、水汐のことを気にかけたからでもある。

どうやら、ヤクザに目にかけられるようになったらしい。


 結局取り上げられなかったが、水汐は犯人のことをしっかり覚えていたので、必死になって状況を説明した。

 そのことや、矢を向けたことが気に入らなかったのか、あるいは気に入ったのか神社の方にもヤクザが顔を見せるようになったとのこと。


 水汐の身体について質問することもあるらしい。


 連れ去られた一週間——あれを繰り返す訳にはいかない。

 その為に必要なことを見極めなくてはならないわけだが、そこで足踏みしていることを、カスイは自覚していた。


 「あの時みたいなことが起きればいいのに」


 カスイは一人呟いた。

 その意味を理解した水汐が顔を曇らせたことに、彼女は気が付かなかった。


 「まあまあ」女将が敢えて明るい声を出す。「『民間警察』に頼んでもうちょっと巡回の人数を増やしてもらうよ……最悪、まあ、ちょっとお金渡せばサービスをよくしてくれるでしょ」


 水汐の表情が更に曇る。何かを言おうとして、結局彼女は何も言わない。


 女将の言いたいこともわかる。


 最低限の安全というものは本来、公的に保証されるものだが、それが資本として扱わられる——

 それが、この町のルールだということを、水汐もよく理解していた。




 治安管理モデルの実験場であり、完成形が積穏町の実態だった。いつからか町の中からは交番が消え、ロウ・ディフェンダーが管理する治安の感性を目指すフロンティアとなった。


 ヤクザ間の派閥争いの表面化と、過激な政治主張団体による犯罪が市民の不安の種となり、県知事になった浪士党の最初の課題がそれだった。


 浪士党は大胆な手段を使った。治安悪化が顕在化した一角、積穏町の広範囲にロウ・ディフェンダーの社員を配置、町全体を警護させるという手法をとった。


 浪士党はロウ・ディフェンダーを町のあらゆる場所に派遣し、数多くのイベントに参加させた。


 浪士党支持を表明している企業——例えば浪士党に所属する元芸能人の関係企業がそうだ——による積極的起用が拍車をかけ、町の至る所への配置は思いのほかスムーズに完了していった。


 事件が起きれば即座に介入し、警察が来るまで現場を抑える。避難が必要な事態になれば誘導を開始する。


  元々積穏町には配備されている警察官が少なく、治安悪化に対して警察は決め手に欠けていたのだが、足りない一歩をロウ・ディフェンダーが補う形になっていた。 


 警察にとっても手柄に繋がり、バックアップ組織として認められるようになると、ロウ・ディフェンダーの活躍は更に多方に渡るようになる。


 ロウ・ディフェンダーの実行部隊の切り札である『秘剣』も設立された。銃を持てない者達が、銃を持つことなく凶悪犯に対抗する為の対銃部隊。

 軍事訓練を受けた後にシールドや吹き矢、投擲武器の扱いを習得し、日本国内でも合法的に活動できる装備を整えた選りすぐりの兵達だった。


 名を上げ、実力を示した彼らの影響力の強さを証明するように、無頼漢の過激な行動は鳴りを潜めていった。


 ロウ・ディフェンダーの活躍は、浪士党の政策だと認知され、治安回復の宣言が出た後も積穏町にロウ・ディフェンダーが常駐することになることを止められなかった。


 この時からロウ・ディフェンダーは民間運営による警察の下部組織として機能するようになり、あらゆる企業はロウ・ディフェンダーと契約する義務のようなものが出来た。


 業種問わず、多くの企業がロウ・ディフェンダーに警護を頼み、そして敢えての監視対象になることで健全であることを証明する。多くの会社が優等生であることを強調した。


 警護会社でありながら業務を通じて生活を警護し、そして防犯目的の名の下に監視すら行い現行犯なら自身で確保する。異常を発見すれば警察に通報するという連携度合いは日々向上していった。


 過剰な干渉にも見える行いだったが非難は大きくならず、それでも起きた非難は賛同の波にさらわれ、浪士党の激しい言葉の数々に沈められた。


 今ではあらゆる職業に関わり、各企業の警備と共に監視体制も整えられ、浪士党の国会の中での発言力も強くなっていた。



 その全てが偽善と欺瞞に満ちていたことは、情報を整理する能力がある者からすれば、自明の理だった。

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