第2話 真里の記憶

 私には物心つく前から知らない人──正確には”魔族”という種族らしい──の記憶があった。


 映画のスクリーンみたいに、映像が勝手に流れてくる。

 地球とは違う世界の住人。

 ぼんやりとした記憶の中で、彼は「魔王」と呼ばれていた。


 一番古い記憶は虫のような生き物を食べているところだった。

 ボロボロの家で地べたに寝そべり、そのまま眠ってしまう。

 家族は……どこにもいない。


 彼はとても勉強熱心だったようだ。

 “魔法”というものを研究している場面がよく見える。


 少し視点が高くなると、彼は戦ってばかりいた。

 死にかけたことは一度や二度ではない。

 負けて帰るたび、鏡の前で悔しそうに「次は勝つ」と宣言する。

 その目には強い光が宿っていた。

 なぜそこまでして戦うのか、私には分からなかった。


 やがて彼は王様になり、魔族を従えるようになった。

 魔族からは時に崇拝され、時に恐れられ、向けられる眼差しにはいつも恐怖が混じっていた。

 

 人間にとっては畏怖すべき存在だった。

 血塗れの大地。燃え盛る都市。

 どれだけの命が彼の前で散ったのか、見当もつかない。


 そんな彼に、ただ一人、真っすぐ立ち向かってくる者がいた。

 その眼には怒りだけが灯っていた。

 彼は勇者と呼ばれていた。

 

 勇者とは何度も戦った。

 最後の戦いでも激しい衝撃が走り──そこで記憶は途切れた。


 ◆


 私は彼の人生を見て……とても寂しい人だと思った。

 家族はおらず、他者とは争い続け、王になっても恐怖の対象でしかなく、誰も彼の横に立とうとしなかった。


 記憶は見えても、感情までは分からない。

 だから彼自身は辛くなかったのかもしれない。

 それでも鏡に映る彼はいつも、どこか満たされていないように見えた。

 

 もし一人でも彼に寄り添う人がいれば──。

 そんな想像は無意味だと思っていた。


 ◆


 私には双子の姉、真緒がいる。

 よく笑い、よく動く、元気な子だ。

 私のように誰かの記憶はなく、普通の子どもだと思っていた。


 それは私たちが二歳になったころ。

 真緒には遊びの中に、少し強すぎる“こだわり”が芽生えていた。


 その日、真緒はリビングで積み木をして遊んでいた。

 私はその横で見守っていた。


「まお、もっと、たかくする……!」


 小さな手で積めるだけ積んでは、崩れるたびに目を見開く。

 泣き出すかと思ったのに、真緒はそうしなかった。

 ただ崩れた場所をじっと凝視し、どうすれば崩れないかを考えているようだった。


 そしてまた積み始める。

 何度も、何度も、何度も。


「まお、つよいの、つくる……!

 もっと、もっと、もっと……!」


 二歳の子とは思えないほどの貪欲さだった。


 積み木が倒れた瞬間、真緒の目に一瞬だけ強い光が宿る。

 悔しさとも、執念ともつかない光。

 私はその目を知っている。

 記憶の中で、魔王がよくああいう目をしていた。

 

 倒れても傷ついても、「もっと強くなれる」と立ち上がり続けた魔王。

 どんな時も、自分を高めることを諦めなかった人。


(……似ている)


 積み木を必死に積み上げる真緒の姿と、記憶の中の魔王が重なって見えた。

 あの孤独で、誰にも寄り添われなかった魔王。

 強さだけを支えに、ひたすら戦い続けた孤独な王様。


 真緒は、あの人と同じところへ行ってしまうのだろうか。

 強さを追い続け、気づけば誰も隣にいなくなる──そんな未来が、ふと胸に浮かんだ。


「まり、みて! たかくなったよ!」


 真緒は眩しいほどの笑顔を見せる。

 何も知らないただの子どものように見える。

 けれどその奥に、確かに“魔王の性質”が息づいている気がした。


 胸が少しだけ痛くなった。


(……いやだ)


 強さを求めること自体は悪くない。

 でも、一人で背負う必要はない。


(真緒が一人で背負わなくていいように、私が……)


 私はそっと真緒の隣に座った。


「真緒、一緒にやろっか」


 真緒はぱっと顔を上げる。


「まり、てつだってくれるの?」


「うん。一緒に、もっと高くしよう」


 私は、倒れやすい下の段にそっと積み木を置いた。

 真緒の塔が崩れないように──支えるつもりで。


 真緒は嬉しそうに笑い、私の横に寄り添ってくる。


「まり、ありがとう……!

 いっしょなら、もっとつくれる!」


 その言葉は無邪気なのに、胸を強く打った。


 魔王が孤独だったなら、今度はそうさせない。

 真緒がどれほど強い力を持っていても、その心がどれほど燃えていても、私はその隣にいられる。


(真緒が強くなろうとするなら、私がその横で支えよう。

 崩れそうになったら、下から支えればいい。

 魔王にはいなかった“隣に立つ者”に──私がなる)


「まり、みて! こんなにたかくなったよ!」


「うん。真緒、すごいよ」


 積み木は私たちの背丈を越えた。

 真緒は誇らしげに胸を張り、私はその横でそっと微笑んだ。


 こうして私は、静かに決めた。

 真緒がどんな未来を選んでも──その隣には必ず私がいる、と。

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